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〈my story〉経営者としての在り方①

 現在私(大西)は現役大学生であり、授業外活動の一環として「京都ではたらく私のライフストーリー」メディア作りに参加しています。取材対象者様へインタビューを行い、自分が将来何をしたいのか考えるきっかけとなりました。今回ご協力いただいたのは、小田浩子さんです。インタビュアーは大西、佐藤、編集は大西、野崎です。
職業:有限会社遠山 代表取締役

有限会社遠山・・・コンビニ4店舗の経営
         外国人の就労支援
         ホワイトニングサロン
         街づくり・人づくりのコミュニティースペース(Free Port京都)の開設

【中学時代】父の会社が倒産

 私は中学受験で東京の学校に入りました。「皆様ごきげんよう」て言うような、いわゆるお嬢様学校だったんです(笑)。
 父親は宝石商をしていて、近所で「誘拐されるならあそこの子」と噂されるくらい家がお金持ちだったんです。だけど取引先が事件を起こし、父親の会社も連鎖倒産してしまいました。債権者が、学校帰りの私を追いかけるということがあったので、学校側に話して、裏門から出してもらうこともありました。
 世の中の大人は汚い、怖いといったマイナスのものばかりが入ってくる中学時代でしたね。多感な時期だったので友達と上手く話せなくなってしまって、私といるときっと面白くないだろうって思うと、余計に話せなくなっていきました。

【高校時代】友達の言葉で世界が開ける

 高校生になっても一貫校なので、みんな同じように進級していきます。お金持ちの子が多く、私は自分の劣等感を覆い隠すために、心の中でみんなをばかにしていました。
 でもあるとき1人の友達が、私の机の前のところに座って
「なあなあ、みんなのことを馬鹿にした目で見てない?」
 ってはっきりと言ってくれたんです。そのおかげで、それまで霧がかかってた世界が開けて、自分の中で何かが動き出して、みんなと同じように楽しくできるようになって(笑)。
 そのときの友達の一言ですよね。そこから自分の中で自己肯定感が芽生えて、自分って何だろうっていうのを探しはじめました。

【浪人~大学時代】アメリカでの経験

 大学受験に失敗し、私は、アメリカに2年ほど留学します。
 母から「あんた、行ってみなさい」と半ば強制で。行きたかったわけじゃないんだけど、行きたい大学は行けなかったし、もういいやみたいな感じで決めました(笑)。
 留学先では世界中からいろんな国の人がきていて、その中にはアラブ系の人で国に帰ったら奥さんが7人いるとか、宗教などの理由でアルコール飲めないっていう国の人もいたり。
 日本では合法なものが違法になるから、同じこの今を生きていても国、生まれた場所によって全然違うんだ。今まで自分が持ってきた価値観、これは一体何なんだろう。日本の常識は世界の非常識なんだっていうことを気づきました。気づいてしまったので日本に帰ってきてからも、日本の社会で生きていくには正直生きづらい。例えば、みんなが右向くときに、本当に右なんだろうかと考えてしまう。すぐ疑って、本当に右だなと思ったらもちろん右を向くし、いや、それは違うんじゃないかって思ったら、やっぱり私はみんなと同じ方向を向くことはできない。そんな感情が学生時代に生まれました。

【社会人1年目①】ブライダルとの出会い


 その後京都のウェディングドレスのメーカーに就職しました。英語もちょっと話せるし、観光のビジネスとかもいいかなとか思ったりしたんですが、ある会社さんのホームページがあって、その中のドレスの写真が「めっちゃ好き」って思ったんです。その会社を調べて、とりあえずエントリーしたら最初の玄関にその写真がかかっていたんです。私はそのドレスにとても惹かれてしまったんです(笑)。面接のときにも「求人誌の中のあのドレスがとても好きで、あれは商品じゃなくて、もはや芸術品だ」って言ったんです。結果、この子面白いなみたいな感じで採用いただきました。
 こっちの方が給料がいいとかそういう感覚では選んでなくて、自分が何がしたいかの方が大事でした。私はこれを作る現場にいたい、作れる人たちと一緒にいたいっていうような感じですね。

【社会人1年目②】社長の視座で考える

 どの視座で物事を考えるかは大事だと思います。
 新入社員の頃は社長室の掃除があって、朝早く週に1回行って当番が回ってきました。そこに黒い革張りの社長の椅子があるから誰もいない時にちょっと座ったりしてたんです(笑)。何回か座ってるうちに、ふと社長ってここで何考えてんのかなっていうふうに思うようになりました。
 自分が見えてるものと、社長が見えてるものは多分全然違うもの。やっぱりこの会社のことを一番考えているのは社長だから、社長が何考えてるかなって想いを馳せると、どこの会社に入っても間違いないと思いますね。大事な視点だと思ってるので、就活を向かえている学生さんにもその社長の視座というのを一つ考えてみてって話もします。

【社会人1~3年】香港での仕事


 就職した頃、海外事業部門をちょうど作るとこだったので、途中でそちらに出向して、香港の担当をしました。一緒にドレスを作っていくデザイナーさんと香港へ行って私が通訳して。それまで私が担当するまでは、日本語と中国語がぐちゃぐちゃで進行していました。それを一つの決まりを作って、「この段階はこうして下さい。」って全部作り直しをして、みんなが仕事をしやすいように「仕様書を英語に統一しましょう」とかいうのをやってましたね。そうするとやっぱり向こうの方も管理がしやすくなるし、喜んでいただけるので、そういうことをして美味しいもの食べさせてもらって、お仕事させてもらっていました(笑)。

【3年目退職】20代の2つの後悔

 実は、20代の自分が諦めたことで今でも後悔していることがあるんです。
 1つは、ブライダルの会社の社長に「香港に子会社を作るからそこ行ってくれないか」と頼まれたんですけど、いろんな事情があって自分の中で無理だなと思って断ってしまったことです。
 もう1つは辞職した後の話なんです。辞職したけども、私は仕事することが好きだったので、せっかく香港と繋がりがあるし、何かビジネスできないかなと思ったんです。香港の貿易センターとかがやってるビジネスフェアみたいなのがあったので、そこに行こうかなと思ったけど、悩んだ結果、結局諦めてしまった自分がいたんです。

 だから、私の人生の中の後悔は、実はその二つでして、もしあの時やっていたら、また違う生き方できたよねって今でも思う時がありますね。
 全く人生で後悔がないってことはもちろんないんだけれども、そのときにチャレンジしなかった自分っていうのはやっぱり後悔します。
 やるかやらないかだったら、やって後悔するならいいけどやらない後悔ほど、こうやってずっと残るものはないなっていうのは思うのね。だからみんな若いうちに失敗することはすごくいいことで、失敗しなかったら見えないことっていっぱいあるんです。

 今あるアメリカの大学ではわざと失敗をさせるっていう授業があって、何もしない子は0点。何かやってチャレンジして失敗しなかったら駄目みたいな授業があるくらい、やっぱり学びが大きい。チャレンジすることはすごく大事だから、あの時の私は何もしなかったから本当に0点で、あの時にとりあえず1回やってみたらよかったなっていう。
 だから若い子は人生の中で悩んだならとりあえず挑戦してみてほしいなと私は思います。

経営者としての在り方②へ続く
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