【航海日誌】義母の葬儀を終えて①
「妻は一人っ子」であり、先日「義母の葬儀の喪主」を務めさせて頂きました。
「慌ただしい日々の中で感じた事」が、「これから同じことを経験するかもしれない人」の糧になれば。
そんな想いで。
不謹慎かもしれませんが。
【7月3日】
義母は持病があり、数年前から入院。
最近は食事が進まず体重が落ち、「時間があるときにはお見舞い」を繰り返していた。
この日、
入院中の病院から「ここ数日食事が進まず、危険な状態。」との連絡を受ける。
取り急ぎ妻と病院へ。
「血圧が60以下」になる事も。
それでも、「こちらからの問いかけ」に「うなずく」や「手を動かす」などの反応を示す。
親族へ「状況」を連絡する。
【7月4日5日】
義両親の家に泊まりながら、お見舞いに来てくれる親族の対応をする。
「義母の容態」は、「晴天のへきれき」というよりも「そういう事もありうる」。
そのため家族にも親族にも「ある程度の覚悟と落ち着き」がある。
義母への「かける言葉」は、
「こう(↓)」だった。
【7月6日①】
「血圧が50以下」になる事も。
妻と話し、この日から「義母へかける言葉」は「こう(↓)」する事にした。
17時ごろ、義母永眠。
その場にいた親族みんなで、「お互いよく頑張ったね」と声をかけ合う事が出来た。
【7月6日②】
病院側からの「こんな言葉(↓)」で、「葬儀に向けての対応」が始まる。
正直、「えっ?」という驚きしかなかった。
既に18時を過ぎている。
それでも「葬儀会社の目星」はつけており、「怒涛のやり取り」が始まる。
「コロナ禍以降、斎場を使用しない家族葬がとても増えている。」と。
業者によっては「この季節(夏)なんで、何日もご自宅で過ごす事は出来ませんよ。」と。
「葬儀の内容」をある程度固めないと「依頼する葬儀会社」を決められない。
葬儀会社が決まらないと、「病院からの引きあげ」が出来ない。
「義母の死を悲しむ時間」など、
微塵も無かった。。
「同じことを経験するかもしれない人」へ
ご家族内での立場で、「喪主をする事になるかもしれない」と感じている人はいらっしゃるかと思います。
振り返れば、
「義母の葬儀は、非常に恵まれていた。」と感じます。
「突然」ではなく、「そういう事もあり得る」という覚悟が出来ていたので。
「お墓」は決まってませんが「お寺」も目星がついていました。
今回の件を通じて親族と沢山話しましたが、「家族を見送った経験のある親族」は皆「こう(↓)」言います。
本当にそう感じました。
では、「そうならない為に出来る事」は無いのか?
私は「こう(↓)」感じました。
不謹慎ですが、本当にそう感じました。
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