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私の仮面はいくつあるのか。

できれば人と関わりたくない。
でも、誰からも嫌われたくない。できるだけ好かれるように頑張る。努力する。気遣いする。
それはただの自己満足だし、誰からも好かれるだなんて無理だし、実際こういう誰からも好かれようとしてるやつは大抵嫌われる。それでも、誰にでもいい顔をしている。そんなことも思いつつ、ああもうどうでもいいわ、お前に嫌われようがどうでもいい、だなんて思っている自分もいる。別に自分が好きなようにしたらいいやと思う。でも結局、相手の意見聞いてから考えをまとめる。
友人と話す時も、本当に面白いと思える時と、正直クソほどどうでもいい時がある。真剣に聞けない時もある。こういう話の時、本当ならこういう感情にいつもならなれているはずなのに、なれない。そんな時だってある。
仕事ができなくて、嫌になる自分もいる。泣きじゃくる日もある。別に仕事とかどうでもいいわって思う時もある。手を抜きまくる時だってあるし、めちゃくちゃ集中してしまう時もある。仕事の時は、大抵本当人間関係というのはつくづく面倒だなと感じる。人間を感じない仕事をしたいなと日頃から思うことが多い。
こんな風に、人と関わりたくないと思いながらも、友人から遊びだったりご飯に誘われたら、誘われた日くらいから何を着るか考え出す。
一人で着飾って出かけるのも好きだけど、誰かと出かける時の方がより一層着飾ることに夢中になれる。一人の時は、まあこんなんでいいかとやっぱり自分が動きやすい服装になりがちで、友人と出かけるとなるとその人に合わせて自分の服や小物をチョイスできたりするのが楽しい。そう、楽しいのだ。誰かと会うことを楽しいと思える自分もいる。
だけど、どうやったら誰とも関わらずに済むのかなと常に考える自分もいる。人といすぎると疲れる。
本当ごくたまにもう何もしたくない、人と関わりたくない、顔も見たくない、誰とも話したくないといつもの面倒くさいながより一層上回ってやってくる時がある。
でも、嫌われたくない自分がいる。
本当の自分はどう思っているのだろう。
人間は、たくさんの自分がいて、その中でこの人にはこんな自分、あの人にはこの自分とそうやって仮面を使い分けているのだろう。私もそうなのだから。誰だって、多重人格であると私は思っている。
本当の自分なんて、存在するようで存在しないのかもしれない。どれだって、自分からしたら本当の自分なのだから。
彼氏も欲しいなんて言いながら、いやでもできると面倒くさいなと思ってしまう。だけど、周りの話を聞いて羨ましがる自分もいる。愛されることを羨ましがっている自分がいる。だけど、自分がいざそういうことになってしまったら。考えただけで、うだうだしてしまう自分がいる。
そう、私は人といるのに多分向いていない。
人といるのが極端に嫌いなわけでもないし、友人と会うのもとても好きだけど、会わないなら会わないでそれでいい。別に全然会えなくてもいい。だけど結局恋しくなってしまうのだろうか。
誰とも関わりたくないというのも、会ったら会ったで楽しんでしまうのも、そうやって会うことで結局寂しい思いをしてしまうのも全部ちゃんと自分なのだ。
そんな自分のことを、私はまだちゃんと理解できてないし、この理解はいつになったらできるのかも分からない。ちゃんと自分のことをお前はそういうやつだよねと言ってあげたい。でも、まだそんなこと言うには自分を知らなすぎるし、他人も知らなすぎる。
私が、一体どうしたいのか。
それは、まだそれぞれの場面にならないときっと分からないことばかりで困る時とあると思う。
だけど、結局は自分で選択するしかない。それも含めて自分であって、自分がどうしたいのかは自分で決めるしかないのだから。
だから私はこれからも、ああだこうだ嫌だと言いながらも、人と関わることにはなるし、誰とも会いたくもなくなるのだろう。それでいいのだ。それが私なのだ。とりあえずはそうやって生きていこう。
いつか自分の中で納得できるような答えが見つかることを心から願っている。

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