7/30 消え去った『ももたん論』という架空の文章について

1 はじめに(注意書きを含む)


普通、実在する人物についての文章をインターネットなど誰かの目に触れる場所に発表するとき、基本的に許可を要する。
黙認されている場合もあるけれど、僕はそういうトラブルが怖いから、引用する場合も含めて許可を取るようにしている。
以前もあるツイートについて自分の抱えた意見を発表したくなったので、そのツイートの内容を含めた文章をその方に事前に見てもらい、許可をもらってからnoteに投稿した。
それが僕の礼儀だと思うし、noteでそういう部分が欠如していると、そういう人なんだ、と冷めてしまう。

しかし今回のnoteの対象となる人物、つまり「ももたん」なる人物に一切の許可を取っていない。なぜなら許可を取らずに公開してほしいと言われたからである。

失うものない

このnoteを書いている7/30にももたんにDMを送ったところ、このような返信が来た。ちなみに一番最初の返信は10秒も経たずに来たのでびびった。
返信が来たときはももたんに悪影響になりうる文言がないように確認してもらいたいとも思ったが、その可能性よりもむしろももたん自身も一読者として僕の中のももたん観を知りたい、そして何より、書き手としての僕を信頼してくれている証拠であろう。

僭越ながら彼女の信頼を裏切らないような文章を書こうと思う。そしてその文章を書くだけの理由が、些細なものであるが、今の僕にはあるから最低限、僕が振り返ったときに面白い文章を書くように努めようと思う。
それを『ももたん論』という、以前架空の文章として一度だけ言及したものの形を取って発表してみようと思う。余談も多いがお付き合い頂きたい。

また注意書きをここで一つ。このnoteでは普段僕がつぶやかないような下ネタが多く散見されると思う。それはnoteの面白さを優先したこと、それに加ももたんの文章に対しての敬意を込めたオマージュ、そしてそれらの理由を盾にして下ネタを言いたい。お食事時などに閲覧しないことを推奨する。

2 ももたんとの邂逅

ももたんと知り合ったのは、去年の夏の後半だったはずだ。

B3になってようやく大学垢を作成し、しばらく経ったころと思う。性癖サークルが花火のような栄枯盛衰を極め、僕のTLが落ち着きを見せていたころ、たまたまFFのスペースを聞いていた。

あれほど衝撃的なスペースを、僕は聞いたことがない。

というかスペースが衝撃的なことなど、ほぼないのだ。だいたいは知っている人たち同士の良い意味での内輪の話が多い。ときどき輪を広げるためにツイートを覗いて興味を持った人との初めての会話となることもあるが、大体は平穏なものである。まぁ他にないこともないのだが、今回は省略する。

そのスペースは息を切らしながらとめどなく話し続ける女性とその聞き手役を務める男性ふたりによるものだった。聞き手の方はときどき質問こそすれど、よっぽど話し手の女性の独壇場だった。

そしてその女性こそが、ももたんである。

スペースの内容は、「マッチングアプリでタワマン住みを自称している男が本当にタワマンに住んでいるがないであろうと高をくくり、実際にマッチングして男の家に行ってみたところ本当にタワマンに住んでおり、しかも薄暗く整えられた明らかなヤリ部屋を見て恐怖を覚えたが武力行使で勝てないと考えたももたんが、男の部屋で何度も逆立ちを披露して男の性欲を著しく萎えさせることに成功し、走って逃げ帰った、その帰り道」のことであった。

僕は、この人間とどうにかして仲良くなりたいと思った。この女は本物だ。

僕は頭のネジが外れた人間を好む傾向にある。でもそれを自称する人間は頭のネジが外れているというより、ネジを入れる穴すらないことが多い。頭の中に何も入れるものがないからだ。「まじでこのメンツ、全員頭のネジ外れてて最高~」という謎メン(笑)全員に包丁一丁ずつ持たせたところでデスゲームは開かれないだろう。せいぜい誰かがヒステリーを起こすだけだ。

念のため言っておくがももたんはそういう、世間的に危ない人にはまったく当てはまらない。今の例え話として挙げられた話は実はただの僕のヘイトなのだけど、たまにはこういう何の意味もない毒も吐いていたい。

話を戻すと、ももたんは本当に頭のネジが外れていると思う。いや、頭のネジを締め直そうとしている、に近いかもしれない。そしてそのことに意識的である。
ももたんと仲良くなった当初、ももたんの口から「伊織さんって私とかがーるがるとかやばい女めちゃくちゃ好きですよね」と言っててウケた。はい、その通りでございます。女性に限らず、頭のネジが外れていたり緩んでいたり締め直した形跡が見えると、僕には非常に魅力的に見えるのだ。

魅力的な人間にはどうにかして近づきたい、けれどそれより嫌われたくない。きっと仲良くなる契機があるはずと僕はももたんのアカウントをフォローした。
当時ももたんは自撮りをアップロードしていて、結構可愛くてびっくりした。この女が逆立ちして男のちんこを萎えさせたと思うだけでわくわくした。今思うと男がいきり立っているのを「逆に立つ」と名付けられた行為で回避するのは、出来すぎている話に思う。これは僕の考えすぎなので無視してください。

ももたんは結構な頻度で悪口をツイートする。ももたんの良さの一つだ。僕の性根もかなり腐っているのだけど、ももたんのも相当だ。みんなが薄々思っているけど口には決して出せないことを彼女は平気でツイートする。これを読んでいる人も、ゴリラの落書きみたいな写真のアカウントがえぐい悪口を見たことがあるかもしれない。

その中に、僕が以前から抱えていて他のみんながあまり言っていない、そういう悪口があったので僕はそのことについてDMした。ももたんはそれに応えてくれ、会話を何度か交わして打ち解けることができ、僕のおごりの約束でご飯まで行き着くことができた。

Twitterを介した現実での遭遇、つまり「エンカ」という行為を、僕はほぼしたことがなかった。現在の「伊織」というアカウントでは初めてのことだったと思う。それに相手は憧れのももたんだ。いろんなことを聞きたくてしょうがなかった。

待ち合わせ場所でももたんとのDMを確認して彼女を待った。確かももたんは10分ほど遅れてきたと思う。

向こうの横断歩道に、明らかな千鳥足の人間がいた。

僕は胸が高鳴ると同時に戦慄した。あれが、ももたん?

ツイート通りのももたんが現れた高揚と、本当にこの人間との約束を果たして良いのだろうかという恐怖、緊張が同時に襲いかかる。後者の感情が打ち勝てば僕は彼女から走って逃げていただろう。ただし僕の好奇心がそれに打ち勝った。

「ももたんですか」
「はい」
「僕が伊織です」
「ももたんです、遅れてすみません」

そしてやはりその人間がももたんだった。ももたんは女性にしてはかなりの高身長だ。それに手足も長く、モデルのような体型をしていて、前述の通り顔立ちもかなり整っている。その人間がふらふらと道路を横断してきたのだ。けれどももたんは基本的に礼儀はしっかりしているので、悪い印象は一切なかった。

「そんなにふらふらして大丈夫ですか」
「伊織さん、私今日レズ風俗落ちました」
僕は大笑いした。レズ風俗の面接に、落ちるなよ。それを初対面の人に、言うなよ。レズ風俗落ちた日本死ね?

それからともにご飯を食べてわかったことは、Twitterのフォロワー数が多い人あるある、現実での会話はそこまで面白くない、が見事に当てはまらない。ももたんは現実のほうが面白い。
ももたんのユーモアのセンスはフリック入力の速度を遥かに凌駕しているのだ。メガガルーラみたいに1ターン2回殴ってくる感じだ。

余談だが最近ももたんとがーるがるさんのお二人と話したとき、がーるがるさんもメガガルーラばりにユーモアを投げてくるので、メガガルーラ二体にぼこぼこにされるあの子どもの気持ちになった。あの動画、かわいそうだけど未だに面白い。

この子、もう大学生くらいかな

もう一つわかったことは前述した通り、ももたんがかなり礼儀正しい人物ということだ。話し方もかなり丁寧だし、良い意味で普段のツイートとは乖離した印象だった。もちろんギャップもあるのだろうけど、すごくいい人というイメージだった。

その帰り道、ももたんは「色々あって家がなく、Twitterでpaypay乞食をしてネカフェ泊まりをしていたところ、会ったことのない北大生から「現在恋人の家に同棲しているので自分の家に居候していいですよ!」と連絡をもらい、家主不在の居候をしている」という話をしてくれた。頼むからそんな話は一番最初にしてほしい。けれど、より面白い話をとっておくというのは彼女が根っからのエンターテイナーであることを示すエピソードにも思える。

偏見に由来する余談なのだけれど、めちゃくちゃ面白い人って、人生で面白くなる必要があって、そのために進化したことが多いと思う。見た目がかっこいい人って、話が面白くないことが多い。たぶんちやほやされて、周りが精一杯話を振ってくれて、面白い返しをしなくても話を続けてくれるような人生なのだろう。けっ。

3 ももたんのパトロン

話を戻すと、ももたんは奇妙な生活をしており、しかも当時は収入も不安定だった。レズ風俗に応募したのもその現状を打破するためのものだった。僕はすっかりももたんのファンになっていたので、何か生活の支えになればと思い、ご飯を振る舞うようになった。当時は一人暮らしだったし、誰かのために作ろうと思うとご飯を作るモチベーションが上がるので、両者に得がある形だった、と思う。

多いときは週に2回程度、待ち合わせしてご飯を届けるもしくは僕の家に遊びに来てご飯を食べた。ハンバーグを作った記憶がある。
ももたんに食べたいものを聞いたとき、味噌が入った卵焼きがおばあちゃんの味なのでそれを作って欲しいと言われ、卵に味噌をまぜて作ったところ、美味しいけれど直接味噌を塗ってほしいと言われ、卵を巻きながら味噌を塗ってみるが、美味しいけれどもう少し濃くしてほしいと言われたことがある。ももたんのおばあちゃん、塩分は控えたほうがいいと思います。でも出されたご飯にちゃんと美味しいけれど、というももたんは立派なお孫さんだと思います。

ちなみにももたんは当時の僕のことをパトロンと呼んでいた。お孫さん容赦なさすぎてウケる。

ももたんが遊びに来る時間帯はだいたい深夜だった。深夜一時に遊びに来てご飯を食べて、色んな悪口を好き放題言って深夜三時に帰る、ような感じだった。

わざわざ言及することでもないのだけれども、ももたんと僕に恋愛的な感情が浮かび上がったことは一度もないし、セックスとかしたこともないし、体に触れたこともない。僕の家に泊まったこともない。

本当に、一緒にご飯を食べて、話をするだけで楽しかったのだ。

4 ももたんの内面について

楽しかったといっても、ずっと笑い転げているわけではなかった。もちろんももたんの、ここじゃ書けないような悪口を聴いているときはそうなんだけど、話す内容は悪口だけではなかった。

ももたんの悪口の一つに、体育会系への嫌悪感に関するものがある。その点に関しては、僕も昔から男ながらホモソーシャルな場所はあまり得意じゃなかったからかなり理解を示していた。

そしてももたんと話しているうち、その嫌悪感に由来するものが過去の体験に基づくものであると知った。それを聞いたとき、僕の中でのももたんのイメージが大きく変化した。
当たり前かもしれないけれど、人間は色々な体験が有機的に絡み合って、新たな姿に変化する。

そしてももたんの変化は、すごく誠実なものに思えた。一人の人間が、このへんてこな世の中で生き抜くために得なければならないペルソナ、それこそが「ももたん」だったのだ、すとんと腑に落ちた。もちろん人間が必死に得たペルソナを側から評価するのは失礼だと思うけれど、好感をもってしまったからしょうがないのだ。

めちゃくちゃ悪口を言って、たまにそういう真面目な話をして、一緒に御飯を食べて、それだけで楽しかったのだ。

それからすぐに、ももたんに恋人ができた。素直に嬉しかった。ももたんを好きになってくれる人がいて、なんかよくわからないけどすごく嬉しくなった。僕は彼女のためにオムライスを練習したかったから、彼氏ともどもオムライスを振る舞ったら高評価で嬉しかった。ちなみに彼女に食べさせたら三口でお腹いっぱいになってた。燃費良すぎだろ。

5 『ももたん論』の出現、そして消失

ある日、ももたんがnoteを書いた。
ももたんはあまりnoteを書かない。普段のツイートの了を見ていればわざわざ書くようなこともないだろうし、ツイートが十分すぎるくらいに面白いから別に良い。書いたとしても、面白いnoteだ。

しかしそのときは違った。以前話してくれた、ももたんの男性性に対する姿勢の由来となった原体験を、事細かく書いていたのだ。

僕は正直驚いた。「ももたん」というペルソナを脱いでみんなの前に現れたのだ。僕はすぐにそのnoteを見た。

ももたんの真面目な文章は、飾り気がない。素朴だ。それはももたんなりの誠意だと思う。なにか大切なことを話すときに、取り繕おうとしない潔さだと思う。その文章に目を通したとき、僕はえもいえぬ感情になったのを覚えている。

僕はそのnoteを引用リツイートして褒め称えた。それはももたんのツイートだからでなく、一人の人間が語る幼少期の体験を綴った文章として、僕の心を揺さぶったからである。
しかしただ褒めるだけでは能がないから架空の文章『ももたん論』の冒頭を引用するという形をとった。よく覚えていないけれど、普段の尖ったツイートに代表されるのがももたんのように思えるが、それはあくまで表層的な分析であり、彼女の本質というのは非常に内省的な観察によるものであり、このnoteは普段彼女の心の奥底に潜んでいるはずの核の部分を覗き見ることができる、貴重な文献である、といった具合のことを書いたはずだ。
それがこのnoteのタイトルにも採られている『ももたん論』の由来である。

この引用リツイートを見たももたんはすごく喜んでくれた。曖昧だけど、伊織さんがこのように褒めてくれた、正しい理解だ、みたいな冗談めいた感じだった気がする。冗談でもすごく嬉しかった。
その頃になるとももたんへの憧れも良い意味で消えていて、対等な立場で話したいことや悪口や、もやもやする気持ちについて話し合って、正解のない話題におけるひとまずの正解を見つけるような、一番楽しいタイプの時間の過ごし方をよくしていた。

しかし事態は大きく変わる。ももたんのnoteを掲載したお知らせのツイート、そして僕の引用リツイートに鍵引用リツイートが十数件ついたのだ。
TwitterつまりXについて詳しくない人のために説明すると、他人のツイートつまりエックセズを再投稿するリツイートつまりリエックセズをするともとのツイート主つまりリセックス主に通知が届く。しかしリツイートつまりリセックスしたアカウントが非公開アカウントいわゆる鍵垢であると通知は届かず、引用リツイートつまり引用セックスであればその内容さえ見れないのである。セックス。

もう面倒なので普通にTwitterでの呼称を用いるが、鍵引用リツイートはあまり良くない行為として知られている。誰かはよくわからないけれどこのツイートに対してなにか言っている、というのはあまり嬉しいものではない。自分は誰かも、その内容は教えないけど、いまお前についての悪口を言っているよ、と伝えるようなものに近い。

僕は鍵引用されることなどこれまで一度もなかった。こうやって陰から悪意を向けてくる人が本当にいるのだと軽い衝撃を受けた。そして言いようのない気持ち悪さも。なんかあれみたいです。ミツバチがスズメバチ殺すときに何百匹も集まって熱で殺すみたいなあれ。まぁ僕死んでませんけど。殺すにはアカウントの数が足りなかったでしょうね。当時はお一人だったと思うので次やるときはお友達も呼んで楽しんでください。

ただももたんには僕とは比べ物にならない量の引用リツイートが届いていた。まぁももたんはアンチがいてもしょうがないと思うし、当時に限らずそういうリツイートはつきものだった。ももたんの味方、さらに言えばももたんの囲いと思われて、ある意味そうなのだけれども、ももたんとともに僕は晒し上げられたのだろう。

それを受けてももたんは、「伊織さんが鍵引リツされてかなしい」と言い、noteもツイートも削除してしまった。惜しいことをした。

ももたんは、切り売りするかのごとく自らの人生を開けっ広げに開示し周りの人々を喜ばせようとする。それはももたんなりの道化であり、いまもそれは変わっていない。それは僕がnoteの掲載許可をもらったときに言っていた「失うものない」が十分に示しているであろう。それが彼女の生き方だ。

しかしその「失うもの」の中に、ももたんにとっての大切な人は一切含まれていないのだ。きっとももたんにとっては自分の心をナイフで深く刺されるより、大切な人がかすり傷を負うほうがつらいのであろう。

また当時は僕がももたんのnoteについて言及したことによるものだったから、故意ではないとはいえ、ももたんに原因があるように思えたのだろう。もちろんこのことに関してももたんに負の感情は全く覚えていないのだけれど、少しでも可能性があるかもしれないと思うだけでももたんには大きなダメージを負ってしまったのかもしれない。

それから間もなく、ももたんはアカウントを削除した。また新しいアカウントを非公開で作成したが、色々ありすぐにはフォローできなかった。

現在はそのアカウントをフォローしているし、高頻度ではないが実際に会ったりもしている。色々あったが仲の良い友人である。

6 「ももたん」とはなにか

僕は、普段生活している中でももたんについて考えることが多い。だいたいはももたんがとんでもない書き込みをして、そのどれもが面白すぎるからなのだけれども、やはりそれだけじゃない理由も含めて、ももたんという存在が僕の中で大きいものであるからに思う。

極端な話、僕は家族だったり恋人だったりについての文章をこんなに長々と書いたりしない。もしももたんが僕にとっていちばん大切な人物であるならば納得がいくかもしれないが、正直言えばいちばん大切な人物ではない。恋愛感情だってないし。すごく大切な人の中のひとりではあるが。もちろんそれはももたんにとっても同様だと思う。

だから以前から、自分の中でのももたんの位置づけがよくわからなかった。こういうことははじめてだったのだ。

僕は最近、ももたんの話を仲の良い人にする。あけっぴろげには話さないけれどクローズドな場所でなら話すこともある。
その仲の良い人に言われた言葉が非常に正解に近く思えて、このようなnoteを書くことになった。周りから見れば些細なことだろうけど僕にとって、そしてきっとももたんにとっても、大きいことだと思う。

「伊織さんにとって、ももたんは理解者なんでしょうね」

理解者。この言葉がすごく腑に落ちた。そうだ、理解者だ。

今までなんとなく、理解者という称号は親類や恋人にのみ付与されるイメージがあった。ももたんはそれには当てはまらないけど理解者だ。だから自分の中で、いまだ当てはまらない人物として位置づけを迷っていたのだ。

ももたんは僕のことを理解してくれていると思う。そしてこれは勝手だけど、僕はももたんのことを結構理解していると思う。

けれど、それ以上でもそれ以下でもない。いつものようにDMして、悪口して、ツイートを見て笑って、たまに会う、それだけなのだ。
互いに理解し合いながら、何にも縛られず、そうやって過ごせる友人が一人でもいることは僕にとってすごく幸せなことに思う。ももたんにとってもそうであれば嬉しいし、もしそうだったらどっちかが死ぬまでそうだと嬉しい。死ぬまで悪口考えたい。

7 さいごに

めちゃくちゃふざけたりめちゃくちゃ真面目な文章を書いたりして、色々忙しい文章になってしまったし、レポートをあと3本書かないといけないのにそれらを合わせたくらいの文章量になってしまった。ただ、書きたいから書いた。ここまで読んでくれた人が一人でもいればすごく嬉しい。


最後に、ここ最近で一番面白かったももたんの投稿たちを紹介して終わる。

覚悟を感じる。いかにも、ももたんらしい。

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