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7/16 ぼくたちの生き方を聞いてくれるんですか?

どうも伊織です。みなさんどうですか、新作ジブリは。今日は新作ジブリの話をします。

ネタバレはしないつもり、というか内容の話はしないつもりでいるけれど、気にする人は読まないでください。

とりあえず新作ジブリこと『君たちはどう生きるか』。ご存知かと思うが、全くの広告を打たず、公開されていたのは公開日とどこが目なのかよくわからない鳥一匹のみ。ジブリ、というか映画界でもかなり珍しい広告戦略、だった。

僕はネタバレを厳重に気にすることはないのだけれど、ジブリがそのような戦略を取っているのならばそれに従うのが礼儀だと思い、可能な限りネタバレを避けた。それにだいたい成功しつつ、昨日の昼頃、作品を鑑賞した。

劇場の客の入り具合は、かなりのものだった。最近こそ行けていなかったが、年に十数回程度は映画館に行くので、日本の映画館での映画鑑賞回数の平均は超えているはず(たしか年一が最頻値だった、まじ?)。なので、なんの広告も打たずこれだけの入を達成しているのは、紛れもなく宮崎駿とスタジオジブリというネームバリューそのものの強さだ。

内容の話はすっ飛ばす。個人的には結構良かったけれど、ストーリーの筋を追うので精一杯。もう一回見たほうがいい気がしています。見るかも。

んで、今日話したいのは、Twitterでもたびたびつぶやかれている、「感想」についてである。

僕は、感想を話すのが苦手だ。なにか、自分で感じたことをそのまま話したり書いたりするのは結構難しい。もちろん本を読んだり映画を観たりして、非常に良いと思うことは多いし、それを人にも勧めることも多いが、自分の中で抱えている感想にすべき感情というものがあまりに稚拙すぎて、それをそのまま直接伝えることはできない。

じゃあ感想を伝えるときにはどうしているかと言うと、その稚拙なことをそのまま言っている。仕方ないので。

けれど、それっぽいことを言うこともできる。というか、言うこともある。

なんか、それっぽいことを言うとかっこよく見えるのだ。頭もよく見えて、すごい人に見える。もしかしたら僕のことをそういうことが言える人と思っている人もいるかもしれない。

けれどそれらはやはり偽りなのである。感想は自らの内なる感情を言葉にするものであるはずなのに、ちょっとした見栄のためだけに外側から技術を持ってきて、それを言葉にしている。こんな情けないこともないのだけれどみんな結構やっているし僕だって魔が差してやってしまうことがある。

それでね、今回のジブリの作品は、非常に感想を述べるのが難しい。なんというか、一回観ただけでは感想など簡単に出てこないと思う。何を見せられているかはよくわからないが、面白い。

だからtwitterにもそういうよくわからないものを見て、色々なにか言ってみようと思っている人がうじゃうじゃいるわけなのだ。

僕はそういうのが、結構うんざりなのである。

僕の好きな映画の一つにスタンリー・キューブリック『2001年:宇宙の旅』がある。僕はキューブリック作品が大好きだ。映像美がすごいから。宇宙船のシーンとか大好き。

けれどあの作品は、なんかよくわからないけどすごいと思われたい人たちが、すごいと思われたいがために、踏み台のように作品を使うのだ。それがすごく嫌だ。僕はキューブリック作品が好きだけど、そんなことをするくらいなら、宇宙の旅よくわかんねーと言われる方がいい。自分の知識や地位を引け散らかすために作品を虚仮にしてはならないと思う。

しかし、かっこいいから、という理由で小説を読んだり、映画を観たりすることは好きだ。それをきっかけに芸術に触れることが様々なことにつながると思っているし、背伸びで触れてみたコンテンツが自分の中で大切なエッセンスになると信じているから。とにかく、虚仮にする行為が嫌いなのだ。

それで、ツイッター・ランド。肥大した自意識たちの集会場と名高いこの地にて、そういうのが散見される。ほんっとーに!!!

ただ、ある書評家の人が書いたnoteを見たのだけどそれは面白かった。読んだときは、ほんとうかー?となる意見もあったし、それは今も変わらないのだけれど、そういう意見に触れることこそがたくさんの視点を持つことにつながると思うし、きっとその方は本当にそう思っているのだろうし。

でも嘘を書く人もいてめちゃめちゃうける。劇場の中スカスカなわけないだろ。お前本当に劇場で見た?映画の違法視聴は、犯罪ですよ?

なんかこうさ、少しくらいのファクトチェックとかしないのかなとか思う。お前が見た時はすかすかだったのかもしれないけど、書くという行為に対して無意識すぎる。お前が何かを書いて、なんの影響も考えていないのは、すごい無責任。きっとその人は作品を純粋に楽しむことはもうできないのだ。もちろん、僕だって完全にはできないと思っている。けれどさ、そこまで毒されていたら、もう何も楽しめないんじゃないでしょうか。きっと楽しめていたとしてもそれは虚構です、虚構。一生よくわからないコンテンツを自らのステータスのためだけに繰り出して、自分でもよくわかっていない言葉でまとめて、なんかよくわからないことになる。それで毒にも薬にもならない、誰かの毒になんてなりようがない、つまんねーこと吐きやがるんだ。

それを引き出している作品が、君たちはどう生きるか、なんて皮肉ですわよ。もちろんそれは僕においてもね。きをつけまーす。


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