死にたいと言う人がいたら

急に暗い話でごめんなさい。

知り合いの知り合いの方が自殺してしまったので自殺の話をしてみようかなと。
最近は馴染みのあるショッピングモールでも自殺された方がいたのもきっかけではある。

自殺と聞くと、怖くて、なんだか気持ち悪くて、触れたくないような、自分の世界と関係ないように感じる人も多いと思う。
そうであったほうが良い気もする。

でも、勉強してみると自殺はそれほど異質なものでもない。残念ではあるけれども、それもその人の問題解決の表現の仕方なのだみたいな。
もちろん自殺はダメだけど、そう思ってしまう人がいることも理解している。
ストレスのあまり視野が強烈に狭窄して、死ぬ以外の解決策を考えられなくなっている、コーピングの一種なのかもと。
心理の勉強をしているとそういうふうに客観的に見るようになった。
良くも悪くもなのか。

死にたいのだと話す人がいた時、それを否定したり考え直させたりしようとするのではなく、まずは死にたい気持ちを受け止めて、死にたいことについて否定せずに話してもらうことが大事らしい。
そうして話していく中で、自殺以外の問題解決方法が見つかるようになっていけば良い。
死にたいと考える人がそれを人に話すのは相当に勇気がいることなのだ。
でも、絶対に止められるし否定されることはわかっているから共有できない、でも死にたい気持ちは拭えない、こういう辛さがある。

だから、打ち明けてくれるようなことがあれば、それ自体に感謝して、否定せず死にたいことについて淡々と深く話を聞いてみることが最善の策だと思っている。
死にたいと打ち明ける人がいたらむやみに止めないでほしい。
そうやったんか、って淡々と聞いてあげるだけで良い。無理に止めない。

でも、自殺する人の中には誰にも相談しない人も多い。それでは絶対に止めることはできないし別の生き方を考えていくサポートもできない。
今回も急な話だった。
その人にも大事な妻子はいたし、仕事も頑張っていたし生きようとしていたとも思う。
それでも人には電池が切れてしまう時がある。
これから残された家族はどう生きていくのだろうか。

自死の遺族の心に残る傷は、すごく大きい。
子どもの心には大きくて深くて消えない穴がぼっかりと空いて、埋まることはない。
何年もそのしがらみと付き合っていくことになるのだろうか。
悔しくて残念でどうしようもないような。
でもそういう人が楽になれる道は絶対ある。

こうして毎日電車は止まっている。

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