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またまたご無沙汰しちゃいました( ;∀;)

シングルマザーになって
早半年が過ぎました。

がむしゃらにやってきたけど
ふと立ち止まるとなんだか急に泣けてきたり
やっぱり、人間波はあって
不安になることはありますね。

離婚当初には味わうことがなかった感情に襲われてました。
ただ
今はしっかりその時期を経て
そのなんだかよくわからない不安と戦って
見事に生還したので
ここに記します_φ( ̄ー ̄ )

離婚して
事業を始めて
逆に不安にならなった方がおかしかったのかな
って自分で自分を俯瞰で見てました、最近。

結婚している時は
やはり守られていたんだなってわかってはいたけれど

直面する現実があると
そういうことの積み重ねで

1馬力で子どもを育てることの大変さに
急に不安になって襲われることがありました。

具体的に何かっていうより

日々のいろんなことの積み重ねですね。

強気で自分のことを信じて疑わなかった私が
弱気になった瞬間がここ最近何度かありました。

まだ見ぬ勝手な想像での不安要素や
起こってもいないことへの恐怖(少し大袈裟です←そういうとこある 笑)

でも実際
最近そんな感情になり

少しいろんなことをゆっくり考えられて
自分自身を俯瞰で見ることができて
良かったなって思っています。

シングルになって
初めて弱気になった瞬間でした。

だからこそ見えなくなってしまったものや
逆に気づけたこと

こんな気持ちになって苦しかったそんな中にも
必ず学びはありました。

まず、子どもがかわいそうという他人の言う勝手な意見

私、4歳の時から父母はいなくて祖父母や叔母に育ててもらいましたが

果たして『かわいそうな子』だったんでしょうか?

確かに【彩ちゃんはお母さんがいないから一緒に遊べない】と言われたことは
ありました。
でも、お母さんがいてもいなくても私自身の問題で嫌われるようなことがあったからかもしれません。

ということは、『母親がいなかった』と言う事実は
私と言う人間がどういう人間だったか、に付随しただけの話で
嫌われた一番の理由ではなかったかもしれません。

人間ってつくづく何か理由をつけたがる生き物だなって思っています。

それはもちろん私も。

だからこそ、親が離婚して子どもがかわいそうって違和感でしかなくて。

一般的に世間的に見たら親が揃っていた方が見方としてはいいのかもしれません。

私もあるときにそう思ったから。

でもなぜそう思ったのか?
と自分に問いただしたら、『みんながそうだから』でした。

なぜみんなと同じでないとハミ出しものみたいに見える世の中なのか・・・

そんなふうにしか考えられない自分も
かわいそうだよって言ってる人と結局同じだったことがショックだった。

地球上にこれだけの人がいるんだから

いろんな意見があって当然だって
急に広すぎる視野で言ってしまえばそれまでだけど

人を愛して愛されて幸せに生きていくには
他人にどう言われても、人の意見を聞く耳を持てた上で
自分自身と周りの人を愛おしく大事にしていければいいのではないか

そんな意見もあるんだなって
心に留めて
でもそれに傷つくような子にならないように
育てていけたらいいなって
娘に対して私は思いました。

正しいとか正しくないなんて誰が決めるのって話で

でも一つのものの見方しかできないのは不健全だなって思ったんです。

外的視覚などで入ってくる情報に自分の心がザワザワしたりしたけど

そんなふうに思い悩む日々も
自分の成長のために必要な時間だったんだなって
そこまで思えるようになったから
もうこれは生還したよね?笑

生きていたらいろんなことがある。

それは誰もみんな同じ。

そこで困難や挫折にどう立ち向かって
立ち上がっていけるか。

わかったような気がする、最近でした。

ということで
またまたパワーアップした自分に拍手な気分です。

転んでは立ち、転んでは立ち、時には向き合えなくて
ひたすら泣く日々もあるかもしれない。

でもそれが糧になり
人間力がアップして人の気持ちに心底寄り添えるセラピストになれたら。

と、楽しくばかりではいられない人生もひっくるめて
結果楽しめる人間に成長していきたいと強く思った39歳の春でした。