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加藤先生動画Feedback:共感は共生の最低LINE 強制せんでもカイちゃうでそ?

出すのは基本得意なんですが笑、書くという出力が弱いので、初ブログですが書いてみましたm(__)m


先生が「最終的に、他者と合一していかなければならない」とおっしゃっていたのを聞きながら、(自分の話ばかりで恐縮ですが)思い出したことがあります。


僕は時々、街ゆく人の中から、自分とは全く波長の合わなそうな人の顔をあえて探して、「この人として、僕が生まれてきてたって不思議じゃない」と考えて、自分がまるでその人になってるような気分に浸ることがあります。

高校時代、友人と何かについて論争してたら、

「お前のその考えはホントにお前の考えなのか?」といわれ、、

「、、、オレの考えではない、、、頭に入っていた誰かの考えをただ話してだけだな、、、」

と、青天の霹靂の如くショックをうけ、その後、半年ほど夢遊病者のような日々を過ごしました。

「何が正しいのか間違ってるのか、今まで嫌いだと思ってた人も、ホントに嫌うべき人なのか?」と、何もかもわからなくなりました。

その中で、本能的、自然発生的に、生み出された一つが、ただ他人を観察することでした。自分の考えがなくなった分、ひたすら観察しました。
ドラマを見ても、前の僕なら嫌いであっただろう役柄の言動にあえて焦点をあわせ、どうしてこのような言動をこのキャラクターはするのか、と考えられる限りノートに書き出しました。名付けて‘’ドラマ瞑想法‘’。

自分の考えを保留にしたからといって、他人の言動に怒りを感じないわけではありません。ただその怒りは以前の自分というフィルターを通した怒りではないので、あまり暴走はしませんでした。

「このバカ!」と言われて嬉しくはなりませんが(今では、滾るので、エネルギーアップや!と思えますが)、劣等感も幻想だとわかってきたので、そこが刺激されない分、耐えられる怒りのままで、相手が何故そういう言動をするのかが何となく見えてきました。

好きではないが、理解はできる。でも友人には今はしたくない、みたいな笑

学生の時好きだった、仏教唯識学で著名な横山紘一先生は、

「(相手に)なりきって!なりきるんだ!」

と、毎回講義中に叫んでいました笑 

「私の子供?私の妻? ではない。私とは何か?この私、私、私、これが問題なのだ」と。「学内のゴミを拾って歩くのは、私自身を綺麗にしてるのだ」と毎日ゴミ拾いをされてました

他人から攻撃されてる時、他人から相談されてる時、楽しく会話してる時に関わらず、その時の自分の言葉や振る舞いがどこから発せられるか観察すると、個としての自分(プライドやこうでなければならないという自己)にこだわった硬さから発せられる場合と、相手の状態に意識を合わせ、そこから不思議と自然に言葉や振る舞いが出る時があることに気づきました。心地いいのは後者であり、後者の方が滞ることなく流れていきます。どんなに修羅場であったとしても笑、流れていく、そんな気がします。

自分というものをいったん外すことで意識は自分の考えではなく、外側(他者)に向きます。その時の感覚が、他者と合一化するという感覚に近いのかもと思いました。

考えるの語源は、「身交ふ(かみかふ)」と読んだことがあります。身体が対象と交るということでしょうか? 頭でひねくりまわすというより、対象の情報を取ろうとする行為なのかもしれません。

アレの時も、自分の妄想に沿って相手をコントロールしようとするより、相手にとって最適なポイントや強弱、リズムで、タッチング、モミモミング、チロチロリング、ストローキング笑、をした方が、お互い気持ちよくないっすか?
あれ?、、


加藤先生がいう、他人と合一する、という境地までは遥かに至らないですが、そこまでいくためには、見落としている自分の中の執着や重りを徹底的に見つけて捨てていく、頭だけではなく、体感として何度も意識することが必要なんだと感じています。


僕は今、在宅フリーランス(あまり人と関わる時間が少ない作業)と派遣の二足の草鞋をしているのですが、前社を辞めるときは、「大抵の人間は会社の利益よりも、マウンティングして優越感に浸るのが目的になってしまっていて、自分の足を引っ張るばかりなので1人でやった方がいいわ」と笑、フリーランス一本でいけるように頑張って行こうと考えていました。個に向かっていたのですね。

が、今は職場の人間関係に恵まれ、協力し合って仕事をする、コミュニケーションがとれる、といった当たり前のことができる喜びと楽しさから、考えが変わりつつあります。

人間は他者と関わらないと本当は満たされない。
でも、‘’誰と関わるか‘’が大切なんだとも思います。一年前まであれほど息苦しかったのが、その苦しみは今は全くないのですから。

今の自分を恥ずかしいと思えるように、さらに成長したい。

僕としたことが、タイトルのカイちゃうでそ?が即理解できなかったのが悔やまれます、、ちなみに心の傷はないようで、おかげさまでカキまくってます笑

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