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加藤好洋先生と月森あこ先生のセッションを受けて(1)

3/13日、加藤好洋先生と、月森あこ先生のコラボセッションに行ってきました。

念願の初セッションで、本当に緊張と興奮で身体はガチガチ。会場に着くと、あこ先生が手を振ってくれました。着いてからも、ガチガチで、口がうまくまわらず、何年ぶりでしょうか、、この緊張感。そんな僕の緊張を解こうとあこ先生は優しく気遣ってくれます。

まずは、僕のホロスコープの説明をして頂きました。

思考というワードがあがり、その部分が僕の場合かなり優勢だそうです。上手く使わないと、哲学者といえばカッコいいですが、(後で述べる通り)土の要素が弱いのと相まって、単に現実離れした何も役に立たない戯言を語る変人になる可能性もあります。また、実際には大したことないのに、勝手に頭の中で妄想が膨らみノイローゼ気味になる可能性も。この状態を「一人ハルマゲドン状態」とあこ先生は、名言されました。


思考の暴走を飼い慣らす


本当にあこ先生の仰るとおりで、昔から、僕は異常に思考が暴走します。年齢を重ねる度に、落ち着いてはきたと思うのですが、それでも、僕は自分が言葉と知識に逃げてる感覚を覚え、数年前から読書量を抑えました(ホントに読みたいと身体が欲する本は別です)。
また本の読み方も変えました。最初から順に最後まで順番に全て読むという型をはずし、目に入ってくるページだけ見るようにしました。いらないと直感した(考えてではなく)本は売りました。

それから、思考が暴走しようとするのを感じたら意識して身体感覚に集中したり、同じ動作をしたり、ギターやピアノで同じフレーズをループ演奏しながら思考を沈めてみました。

思考の暴走が度を越し苦痛に耐えられなくなると、お気に入りの神社に行きました。僕は神社のオーラなど見ることができませんが、パワーが強い場所にいくと、瞼が重くなり、思考ができなくなります。その感覚が気持ちよく、その感覚を日常に落とし込むように意識しながら過ごしました。

また、ブルースリーの有名なセリフ「考えるな、感じろ!」を頻繁に唱えました。今している目の前の仕事に意識して集中するようにしました。

どこかに出かける時に、タイミング悪い時に(例:高速道路運転中、パーキングが遠い場所で)、腹痛が起きて「💩催して漏らしたらどうしよう」と不安な思考が出てきたら、打ち消して「大丈夫、大丈夫、信頼しよう、僕の身体の叡智を」と言い聞かせました。 

すると、不思議なことに、お出かけに行くまえに急に催すか、高速運転中でも催すのは決まってパーキング近くで起きるのです。そういった、「大丈夫なんだ!」という‘’体験‘’を通じて、少しずつ思考でコントロールできない物事に対しても安心感を得ることができてきました。

高速道路で思い出しましたが、高速を走行中、変性意識に入ったのかわかりませんが、
「あの空海は『神がいるなら、私がこの崖を飛び降りても死なないはずだ』と、崖から飛び降りたんだよ」というエピソードを友人に語っていた時、突然大量の涙が溢れてきました。

もしかしたら、僕の💩漏れの恐怖を空海さんのエピソードに重ねていたのかもしれません。空海さんは、思考を超えたものの有無を知るために、💩漏らすことではなく、死をかけていたのです。
僕とは違うそのスケールの偉大さに感動したのでしょうか。空海さんも僕と同じ道を辿ったんだな、、、と感極まったのでしょうか。

このようなエキセントリックな試行錯誤の末、ようやく前よりは思考が落ち着いてきたという実感はありましたが、それでも、まだまだ余計な思考をしてしまいます。困ったものです。

徹底的に思考を突きつめていくと、行きつく先は、二つの選択しかありません。

思考の限界を知り、信仰、信頼の段階へと飛び込むか、思考にすがりついたまま苦しむか。科学的思考は全てが説明可能でなければ満足、安心しません。実際、数ある未来への選択肢の中から、思考がその可能性の全てを把握し、そのなかからベストなものをチョイスするなど不可能です。

人は、未来を知らないけど、選ばなければならないのです。💩漏らすかもしれないけど、とりあえず漏らさないと信じて進まないといけません。別に漏らしたっていいんです。その結果、ステキな出逢いにつながるかもしれないのですから。あるいは話のネタになるのですから。そう自分に言い聞かせてきました。

※注:💩は例えでもあります。

感覚でいうと、思考に自分を同一化するのではなく、空が自分で、そこに自然と浮かんでくる雲が思考、という感じで訓練しました。
即興演奏みたいな感じです。
余談ですが、ジャズピアニストのキース・ジャレットのライブには何度も通いました。

今書いていて、思いました。僕のサビアンは、「実験をしている発明家」だそうです。
まさに、試行錯誤してる様はサビアン通りじゃありませんか、、、

風の時代というより土の時代


あこ先生からは、
「四元素の中でハセガワさんは風が強い、でも、土が弱い」と診断して頂きました。

風の時代と言われてるから、「やったあ!ノリノリやん」なんて思ってはいけません。土の要素が、現実に根を下ろす力(物理面)が弱いのです。

この後、加藤先生が到着し、僕はルシ要素が高く、この世の理、悪を知る必要があると指摘して頂きました。清濁合わせ飲むの、濁が足りないのです。自分では濁もそれなりに経験してきたつもりになってましたが、本当は全然足りないのです。加藤先生に比べたら月とスッポンです。伊達に童顔とよくいわれてきたわけではないんだな、と心の中で思いました。その濁を飲むことなくして、イエスの道を進むことはできません。
これから先の道は、その悪、この世の真理を学ぶ道だそうです。

加藤先生は「自分の状態をよく観て、そして現象をみること」と仰ってくれました。
自転車に乗るには、自分でトライし、痛い思いもしながら、コツを自分で掴み取っていかなければなりません。
「大丈夫」という先生の言葉に、勇気をもらえます。マラソン大会の日、好きな女の子に、頑張って!と声をかけられて、いつも以上に早く走れたことを思い出しましたが、先生の言葉には、圧倒的な安心感がプラスされています。先生は先人であり、先駆者なのですから。その女の子と比較するのは失礼でしょう。

そういえば、僕が憧れる同性は、振り返ってみると、どこか輩?的な、傾奇者風の雰囲気を醸し出しており、圧倒的な安心感を与えてくれる人なのです。

↓ 昔アンティーク家具の仕事をしているときに知り合い、惚れてしまった僕のブラザーであるスティーブ兄貴を思いだしました。


たまに、ファッ○!と何かにあたってたり、ズボンゆるゆるで半ケツだしながら仕事していましたが、とても優しく、圧倒的な安心感に、ボクは惚れてしまいました。
彼は経営者でもあり、自ら家具のリメイクをする職人でもあり、仕入れや引越し、バイヤーのヘルプ業務、トラクターの輸入業、肉体労働も自ら行い、何かトラブルが起こると、臨機応変に即座に対応してくれました。
「オッケー!メイト!ノープログラム!」と言って。

「誰もオレより優れているわけじゃないし、オレも誰かより優れてるわけじゃない。オレはやりたいと思ったことをただやるだけ。なりたいと思ったら、それになるだけ。だからケンもなりたいと思ったら、やるだけ。誰もそれ以上でも以下でもない」と言っていました。

そんなことも思い出しました。
文章を書いていると、色んなことが浮かび、話が脱線してしまいます。すみません。

大アルカナカードと僕を待つ悪魔


大アルカナカードは6枚出ました。
これは、通常はあり得ないことです。
それだけ外圧があるということです。
覚悟しなければいけません。
でも、それもイエスへの道へと続く必然の道と捉えるならば、違ってみえます。オールオッケーです。それに近い言葉を先生も仰ってくれました。
巷に溢れる「あるがままオッケー、全て肯定!今のままの貴方がステキ!キラキラ!」とは重みが違いました。当たり前です。

僕の背後には、恐竜みたいな悪魔が控えているそうです。僕の成長の為に必要ということで「祓わないね」と言って頂きました。良かったです。
神は悪魔を使う。その人の成長のために。
映画のタイトル忘れてしまったのですが、そんな映画があったのを思い出しました。

続く


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