そしてこの時、仕事の他に、作詞があったのです、仏教もありました。俺はこれらで無我夢中で生き抜きました。俺は決してスムーズに生きてきたわけではありません。悩み苦しみながら生きてきたのです。生き方を仏の教えに頼り、仕事に義務、作詞に夢を持って、そして縋って生きてきました。俺はこんな時、どん底だったのです。こころは沈み込んでいました。

俺は統合失調症、人間恐怖症を疾患して50年強たちます。
俺は20代、30代の頃
明日は善くなるとは想えずに暮らしていました。
しかしあと10年かければ善くなるだろうと思って生きていました。
そう夢を、希望を持っていたのです。
30歳の頃、あと10年ならば、40歳、
まだまだ元気に働いて元気に過ごしていけると思っていたのです。
また、結婚もできるかも知れないと思っていたのです。

しかし現実は40歳になっても、50歳になっても状況は、苦しみ悩む状況は変りませんでした。

それでも頑張れたのは俺の生への情熱だと想います。
そして、六波羅蜜(忍辱行や精進行など)を行じて生きれば良いという、仏教の教え、善い人間になれるという教えが俺を踏ん張らせました。

そしてこの時、仕事の他に、作詞があったのです、仏教もありました。俺はこれらで無我夢中で生き抜きました。

俺は決してスムーズに生きてきたわけではありません。
悩み苦しみながら生きてきたのです。

生き方を仏の教えに頼り、仕事に義務、作詞に夢を持って、そして縋って生きてきました。

俺はこんな時、どん底だったのです。
こころは沈み込んでいました。

それでも生きる事を、義務みたいにして生きていました。
毎日、とても苦しい人生でした。

いま想えば、善くも生きてこれたと自分で自分に感心するばかりです。
こんなこころの日も、これまでに沢山あったのです。


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