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十日市場でいのちのでんわをかけて切った話

高校へはJR横浜線で通っていました。十日市場駅から東神奈川駅まで。毎日の通学は、地図帳とか資料集とか、荷物がかさばるし重かったのを覚えています。リュックで満員電車に揺られていました。初めて痴漢にあったのも横浜線です。

何もかもうまくいかなくなって、どこにも気持ちを吐き出せなくて、「いのちのでんわ」にかけたことが一度だけあります。高校2年生の頃です。十日市場駅の改札を出たところにあるミスドの前の公衆電話でした。


あれは思春期の、鬱だったのだと思います。自分で自分をがんじがらめにして、生きていくのが辛かった。家庭内の不和を、友達に打ち明けられない。友達との不和を、家庭に持ち込めない。アルバイトもしていなかったし、生活の二拠点がどちらも心休まる場所ではなかったのです。先生とか、親戚とか、関係の薄い相手には話そうという選択肢すらなかった。勉強にも身が入らない、というか、ついていけない。部活の成績も上がらない。なんだか周りは楽しそうなのに、自分だけ置き去りにされている気がする。でも開き直ることもできないしプライドがあるからできる子に「勉強教えて」とも言えない。



どうしたら楽になるのかわからなくて、何かで知った「いのちのでんわ」にかけてみたのでした。学校帰りに、迷って迷ってかけました。助けてくれるのかもしれない。話すことで楽になれるのかもしれない。

オペレーターさんは、女性で、親より年配な感じでした。自分が思っていること、困っていることを話すと、「そうですか」と傾聴しながらときに復唱してくれました。いま思うと、カウンセリングの基本姿勢です。オペレーターさんはなにも悪くない。でもそのときに気づいたのです。この電話では、なにも、一ミリも、伝えたいことが伝わっていない。どこも、楽にならない。

だってこの人は私の問題を解決してくれる訳ではないから。




電話代も、人目も気になって、10分も話したでしょうか、自分から「もういいです」と切り上げました。「いのちのでんわ」にかけることが恥ずかしい隠すべきことだと思ったのです。そのオペレーターさんは、最後に住んでいる地域や年齢を聞いてきたように思います。それも、失意の底に落とされました。相手は統計をとろうとしている。私は大勢の中の一人じゃなくて、ただここにいる私が苦しいのに。



今ならば、吐き出すことで気持ちを整理できたりとか、誰かに知ってもらうことで心が軽くなったりとか、することもあると知っています。でも高校生の私は、他力本願で、自分で自分を立て直そうという力が不足していたし、問題がなんなのかもわかっていなかったから。電話じゃだめでした。顔も見えない知らない相手じゃ。そんな短時間じゃ。


その後、もっと切羽詰まった挙げ句、泣きながら家庭科の先生にいろんな気持ちのごちゃごちゃを面と向かって打ち明けることになり、スクールカウンセラーに通うことで、気持ちを整理し前を向けるようになっていきました。


悩んだとき、聞いてくれる人がいると思えば命綱になります。たとえ電話しなくても、そういうダイヤルがあるという存在自体が、誰かの今日を支えることもあると思います。


ただ、いまでも十日市場はちょっと悲しい場所で。孤独を思い出してしまう場所です。

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