書きたくなってしまった

外は雨が降っていて、頭が痛くて気が狂いそうな午後にこれを書いている。

今日は1曲も書けなかったし、イベントの会議もリモートでずっと聞いてるだけで役立たずだったし、ゴミ箱のゴミ溜まってるし、洗濯物出せてないし、とか言い始めたら鬱だけど。
それでも今日生きてることってすばらしいんだよね、とタンスの麻縄を見ながら思い出す。この思考は多分、私の18年に起因する。

私は昔、所謂“優等生”だったわけだけれどこれって本物じゃなかった。小学生の頃の私は頭が良かったから、母親が「赤点さえ取らなければいいんだからね」と言う時は、いつも私が90点以上の答案を見せる時で、6歳の時に不倫していなくなった父親への感情が含まれていることにも気がついていた。
そのしがらみを見て見ぬふりすることができるなら、私は優等生でいる方がいい、正しいことだと思っていた。
小学生の頃の私は、賢くて馬鹿だった。

中学生になって、私は1年間ほぼ皆勤賞だった。
でもそこから中学には行かなかった。
みんな私の頭がおかしくなったと思った。
だけど、富裕層が多かったうちの中学は、だれが住んでいるマンションの方が高級だとか、〇〇はかわいいけど足が太いとか、そんな話しかしてなくて、その時の私は正直みんなの方が頭悪いと思ってた。だけど、今思えば私が変わり者すぎたから、全然馴染めなかったんだと思う。その時はギリギリ繋がってた父親との面会も蹴った。
私は私を守るために、一直線に逃げた。

母親は私に精神科を勧めた。これは素直に従った。車で1時間の入院施設つきの精神科まで、叔父に送ってもらって通った。これも理由があって通えなくなるのだけれど、それはまたの話にする。
そのあと、一向に“良くならない病気”を治すために、私は入院した。この頃には、私も私がおかしいことに気がついていた。そして、母親もどんどん狂っていった。海外で流行っているから、と効果のないオイルを平気で3万円分買ってきたり、私をそれを販売している人に会わせようとしたり、今思えば「やべぇだろ…」ってことめっちゃしてた。

そして、私も狂っていって、度重なるリスカなど色々してたわけだが、その経験があって今は、「いつ死んでもいーや!!」モードに突入してて、幸せとかいう概念超えて生きてる。でも一応、麻縄はとってあって、お守りみたいに眺めたりしちゃう。エアコンとか照明のリモコンは失くすけど、これだけは失くさないの不思議なんだよな〜とか思いながら生きてるけど、やっぱ人って大事なものは簡単に失くさないし、捨てられないんだよな。私は人間のそういう不器用さが大好きです。そういう部分を見た時、絶望から救われるまである。

だから今日も部屋片付けません!寝転んでお菓子食べてまた寝ちゃう!!おやすみ!!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?