sumikaの活休とRe:birth tour
最近sumikaが2015年に活休した時のことや、2016年のRe:birth tourのことを思い出していた。思い出していたといってもライブで何の曲をやったとか、MCで一言一句何喋ったとかは1つも覚えていない。ただ、今のsumikaの状況と重なる部分があって、ああ当時もこんな気持ちだったなということをぼんやりと思い返していた。片岡さん復帰のライブ"ふっかつののろし"はDVDとして映像が残っているけど、その後のツアーのRe:birth tour は多分映像が残っていない。でも、8年経っても鮮明に覚えているこの活休からRe:birth tour でのライブの思い出を書いていこうと思う。
2015年、片岡さんの声が出なくなって、7ヶ月間の活動休止。私はその1ヶ月前のライブに行っていた。これからもっとsumikaのライブに行くぞ!というタイミングでの活休だった。まあ、すぐ戻ってくるだろうと、ちょっと休むだけかなと思っていた。でも、待てど暮らせど活動再開のお知らせは来ない。片岡さんが活休に入ってから、Vital Apartment.が発売されたり、ちょこちょこテレビに出たり、片岡さん以外のメンバーで開催されたsumika [roof session ]のライブがあったりと全く動いて無かったわけではないが、ライブには都合が悪く行けなく、その頃は周りにsumika好きな知り合いも全然いなくて、寂しさを共有できる人もいなかった。
だから、sumikaの復活のお知らせは本当に嬉しかった。嬉しすぎて泣いた。早く会いたくて、会いたくてウズウズしていた。
2016年2月12日深夜1時すぎ。FM802でsumikaの新曲が解禁するとのことで、ドキドキしながらラジオをつけて携帯を握りしめていた。「Lovers」宇宙初解禁。初めて聴くsumikaの「Lovers」はそれはそれはとんでもない衝撃だった。
(2023年になって"#涙涙界隈"とかいう謎ブームが起きるなんてこの頃は思ってもみませんでしたね。笑)
その後の渋谷egg manでの復帰後初ライブ、ふっかつののろしはめちゃくちゃ行きたかったけど、流石に高校1年生だった私は東京までは行けず、その後に開催されたRe:birth tour の大阪に行くことにした。発表されてチケットを取ってから、Re:birth tour 大阪まで未だしばらく時間があり、活休前に行ったライブからはほぼ丸1年ぶりのsumikaのライブだった。私は、どうしてもsumikaに直接この嬉しさを伝えたくて、コルクボードにメッセージを書いて渡そうと思った。今考えるとそういうのやって良いのか確認してからやれよと思うが、その当時の私はそんなことは考えていなかった。ライブまでに間に合うかなと毎晩学校から帰ってきてからせっせと作っていた。それくらい久々のsumikaのライブにワクワクしていた。
そしてRe:birth tour 当日。やっと出来上がったコルクボードを持って、福島2nd Line に向かった。グッズの列に並んでいると、ライブハウスの中から音が漏れてきた。このライブハウス行ったことある人ならわかると思うけど、音漏れがすごい。笑 ライブハウスの横にいたら中で何の曲やってるか分かるくらい響いてくる。グッズは多分タオルとトートバッグを買った。入場が始まると、前に並んでいたお姉様たちが「今日は番号呼びたすくくんなんだね〜」と話していた。私は、え、みんなスタッフの名前まで覚えてるの!?と驚いたのを覚えている。(そのお姉様はその当時sumikaの現場ほぼ全部行ってるんじゃないかと思うほど、どこ行ってもいるお姉様だった。最近はお見かけしないけど、お元気でいらっしゃるだろうか、、)そしてsumikaのスタッフさんに持ってきたコルクボードをお渡しした。
キャパ250人。今では考えられない近さだった。前の方では無かったが、ライブハウスの一体感はとてつもなく、空気の密度が高くて、ちょっと苦しくなる感じがあった。私は嫌いじゃない。最近はホールとかアリーナが増えて、味わえなくなったけど、ライブハウスにはライブハウスの良さとか文化がある。たまにマナー悪くてちょっと嫌な気持ちになることもあるけど、より一緒に音楽を作っている感じになるのはライブハウスの良さ。
冒頭でも書いたが、このライブでなんの曲をやったかは本当に覚えていない。最近になってどこかに上がっていないか調べてみた。
なんだこのセトリ!…未来!?み、未来!?ってなった。なんで記憶ないんだよおおお。
Loversを初めて生で聴いたのもこの日。ねえ!とかもこの時からやったのかな。未だこの時は相の手も定まってなかったのだろうか。プリーズカムバック記憶。
覚えてるのは、片岡さんがライブはじめに「sumika第2章はじめまーーす!」って言ったこと、みんなが口々に「おかえりー!」って言ってたこと、片岡さんが活休中すごく辛かったというMCを涙まじりにしている時に、ライブハウスの上を環状線がガタンゴトーンって走る音が響き渡って、今じゃねえよ!って思ったこと、片岡さんより先に他のメンバーの方が涙ぐんでいたこと、あと、おがりんが片岡さんのMC中に弾いていたピアノのメロディーが綺麗だったことくらい。
相当感動したんだろうな。どうやって帰ったかも覚えてないね。
ただ、帰ってからおがりんに「コルクボード届いてますでしょうか」と聞いたら、届いたとお返事をいただいてすごく嬉しかった。
片岡さんも、「いただいたお手紙全部読んでます」とツイートされていた。さて、このコルクボードは今もどこかにあるのだろうか。。段ボールの中でもいいから今も事務所のどこかの片隅にあることを願っています。。
そんなこんなでsumikaの第2章がスタート。「Lovers/伝言歌」をリリースしたsumikaがその後飛ぶ鳥を落とす勢いで大きくなっていったのは皆さんご存知の通りです。
なにはともあれ、片岡さんにはゆっくり休んでいただきたいです。ずっと待ってるんでね。sumikaに会えない寂しさももっと早くお知らせしてよっていう思いも分かる。でも、ぶつける場所と言葉は今一度考えて欲しいね。"言葉は容れ物。中身は自分次第"って片岡さんがいつか仰っていたけど、心は言葉で簡単に壊れちゃうからね。『凡者の合奏』を読んでからようやく活休中の片岡さんがどこまで追い込まれていたか少しだけ知ることができたけど、あそこまで自分を責めて心まで病むことにだけはもう絶対にならないでほしい。
京都音博でのライブの時、片岡さんが一緒に歌うところで「助けて」って言ったの、嬉しかったけど、凄く心が痛くなった。お客さんを信頼してくれてるからこそのその言葉だと思うし、全力で助ける(一緒に歌う)けど、そりゃできるなら言わないで欲しい。お互い最高の状態でシングアロングしたいよ。だから、最高の状態でニコニコの笑顔の片岡さんにまた会えるまで休んで欲しい。この先何年も続けていくために。
おがりんが浜スタで言っていた「何があっても、ちょっと止まってしまうけど、続けていく選択をしていくと思う。」っていう言葉がある限り安心して待っていられるよ。帰ってきたら「おかえりー!」ってまた言わせてね。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?