真実の旅人⑬

私が日本の和歌が素晴らしいと言う時、私は日本人の直観が素晴らしいと言っているのです。心が素晴らしいと言っているのであって、言葉の選び方とか、テクニックとか、レトリックとか、なんちゃらかんちゃら、そういう外形的なものが素晴らしいと言っているのではありません。そういう観念的な話じゃないんです。私はいつも歌う人の心を見据えています。何事にも共感できず、外形的なものにこだわるしか能のない人々が、日本スゴイ教になるんだと思います。

ですから、私は別に和歌の言語表現をとりわけ素晴らしいものだと思っているわけではないです。万葉集が朝鮮語で書かれていようと、日本語で書かれていようと、正直どっちでもいいです。私にとって重要なのは、正直さであり、素朴さなのです。俳句に季語があろうと、なかろうと、どっちでもいいです。俳句でも、短歌でも、別になんでもいいです。散文でもいいんです、自分の心に響けば何だって。言語表現じゃなくても別にかまいません。

私は絵画も好きですが、印象派もフォーヴィスムもキュビスムもシュルレアリスムも、この時代の絵画はみんな好きです。この時代の絵画には、芥川龍之介の「羅生門」のような、実存からにじみでた強い反抗の意思を感じます。儚さ、を感じとれる精神は、これは間違いなく真の強さでもある。私はそう思います。ですから、私は、やはり実存というものなしに、美しさ(歌)を語ることができません。

おわり

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?