真実の旅人⑤

先の記事で少し言及した「保守」という言葉もそうですが、よく理解してないのに日常的に氾濫している言葉は沢山あります。観念的な言葉を、その意味を知らずに多用するのは問題です。都合よく操作されてしまうことになりますので。左翼的な思想は保守思想から枝分かれしたもので、もともと二元論としてあったわけではありません。

それから、「国家」という言葉。これもなんか、奇妙な使い方をしている人が沢山います。国家なんてそもそも存在しません。要するに観念上の言葉なわけですが、何も考えてないと、観念と現実を取り違えてしまいます。と言う私も、こういう考えを大学の時に竹田青嗣さんの本で知りました。竹田さんはフッサールの研究者ですが、実存主義は言語論的な価値の転回をテーマにしてきた学の分野でもあります。

竹田さんは在日朝鮮人なので、とりわけこういう問題について敏感だったのかもしれません。在日朝鮮人は、所属するコミュニティが曖昧なため、つねにアイデンティティの問題に向き合わなければならず、そういう意味で実存的なのだと思います。私はフッサールの細かな話はほとんど覚えてなくて、国家の問題について語られていた部分だけを鮮明に覚えています。

私は、本来、在日朝鮮人でなくても実存的な思想は本質を理解するという意味でかならず触れておくべきものだと考えております。だって、正義論は本質論と表裏一体ですので、本質論なしに正義なんて語れません。で、逆に考えると、むしろこの部分の教育を敢えて避けて通る日本は、要するにわざと国民をバカにする政策をしているのだと思います。

日本は、戦前はロシアの南下政策を防ぐため、戦後は共産主義を防ぐための砦として機能しているわけですが、自分から人間の盾になりたいなんて、こういうことは国民がバカじゃないとできません。そのためには常に本質から目を背けさせる必要があり、子供の多感な時期にどうでもいいことをバカみたいに詰め込み勉強させているのは、私はこれを「愚衆化のマーケティング」と呼んでいます。

このマーケティングによって、保守という意味を完全に間違って理解している人や、国家が存在するものだと思い込んでいる人を日本中にバラまいているので、現状、鼻クソみたいな日本人だらけになってしまっています。それで私は、最後に日本を守ってくれるのはもしかしたら在日朝鮮人の可能性があるな、と最近わりと真剣に考えていて、在日の人に結構なシンパシーを感じています。

おわり




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