真実の旅人⑭

生態学という学問について簡単に説明してから、最近私が問題に感じていることについて書かせていただきます。難しいことは書いてませんので、興味のある方は読んでください。

生態学という学問は、「関係性」を扱う学問です。とっつきにくい方は、言葉で考えた方が早いと思います。生態学は「生態系」を扱いますが、この「生態系」の「系」というのは、どの学問でもそうですが、「関係性」の体系を意味していますよね。ですから、何か個別の生物とか、どこか特定の地形とか、どこかの山とか川とか、そういう個別のものを対象にしているのではなく、生物を含めた環境全体を、「関係」として捉える学問ということになります。

生態学も、そもそもは、世界とは何ぞや?というような純粋な哲学的問いから生まれた学問だと私は承知しているのですが(南方熊楠は関係性を曼荼羅にたとえたことで有名)、昨今は、世界的に環境破壊が進む中で、もっぱら、生態を保全する、という文脈で学問的知見が披露されることが多いように感じています。(もちろん、このこと自体は悪いことではないですが、個人的には、これをちょっと残念に思います。)

生態系を保全するのに一番いいのは人間が消えることですが、そういうわけにはいきませんので、生態学では、「里山」という場を、人間が活動する場としては、最も理想的な場だと考えます。「里山」というのはあの田舎の里山のことです。皆さんがぱっとイメージする里山でおそらく合ってると思います。意味的には、生態の「関係性」を極力壊さずに人間が活動できる場、くらいの意味です。で、この里山がなぜ「関係性」を壊さないのかと言いますと、「循環」を考えて設計されているからです。

「循環」というのは、これは「関係性」を別の角度から言ってるだけで、「里山」では、「関係性」を壊さないように資源を「循環」させるんです(循環するから関係が保てる)。具体的には、例えば、牛や鶏がウンコをします。それを、稲ワラや落ち葉と混ぜて発酵させ、畑にまきます。で、野菜ができます。食べます。ウンコをします。発酵させます。といったような、資源を再利用するサイクルを意味しています。で、こういう事が出来ているコミュニティを循環型社会と言います。要するに、都市化される前なら「当たり前だったこと」が出来ているコミュニティのことです。これが「循環」の基本ですが、都市化されてるところでいきなりこれは無理ですので、都市における「循環」の概念は、もうちょっとざっくりした感じで使われることが多いです。

で、今書いてきたことを踏まえて、私がこの記事で取り上げたいのは、少し前の記事でも書きましたが、とある自治体が水族園をリニューアルして鯱(シャチ)を見世物にし始めた問題です。この自治体は、本当に公務員の質が悪い自治体で、とにかく公務員がですね、自分たちの給与水準だけは確保したいんだと思いますが、住民の意向を踏まえずに、使えるものは何でも使えって感じで街のPRばっかりやるんです。で、中身があるならともかく、場当たり的なことばっかりやるんで相互に矛盾が多くて何かにつけ住民から批判されてるんです。この水族園もかなり入園料を上げるんで住民から批判されていたのに強行したんです。もともと人気があったので、自治体がそこに目を付けて鯱を見世物にすることを目玉にしてリゾート化したんです。料金を値上げしてリゾート化なんて住民は誰も望んでないのに、強行したんです。公務員が、自分たちの見栄とか給与のために。要するに、公務員のために鯱が虐待されているんです。本当に酷い話なんです。許せないです。

上でも長々と書きましたが、「生態系」を保全するために一番重要なのは、「関係性」を保つことです。で、これをやるには、住民や企業に趣旨を理解してもらう必要がありますので、何より、自治体のアナウンスが重要なんです。要するに、日頃から、生態の「関係性」を保全しましょう!って啓発しておくことが何より重要なんです。これが何より重要なんですが、この自治体のやってるアナウンスは鯱の虐待なんです。もうめちゃくちゃ。酷すぎ。自治体としてやるべきことのまるで逆のことをやってるんです。ここ数年、地元の漁師さんはイカナゴという魚が全く捕れないって大騒ぎなんですが、そんな最中に鯱を見世物にして、まるで逆のアナウンスをしてるんです。こういうことが出来るのは、きっと、生態系を「関係性」として捉えることの重要性を理解できてないからだと思います。

いや、これはおそらく、単に理解するという話じゃなくて、やっぱり感覚として理解できてないんだと思います。だって、これ、「風の谷のナウシカ」や「天空の城ラピュタ」で描かれた一番重要な論点です。子供の時にこういうアニメをみて、ちゃんとエッセンスを感覚として理解できていれば、生態学で細かな問題について勉強する必要なんてないです。私はこれを感じ取れていれば、フーコーやボードリヤールさえも、わざわざ読む必要ないと思っています。何も感じ取れない人が、あれこれ難しい本を読んでも意味ないです。余計に世の中がおかしくなるだけです。共感できない人間って、保身のために知識を悪用することしかできないんです。

おわり






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