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浮上のきっかけ。

6月が激務だった。本当に激務だった。
そもそも忙しい月、そこに緊急対応が重なったせいで、
考えなくてはならないことが増え、且つスピードを求められた。
考え、決断し、進めていく。そしてまた考える。
お、PDCAサイクルじゃん。ビジネスモデルを地で行く私、かっこいい。

そんな感じで激動の6月を終え、7月。なんだかぼーっとする。めまいもする。
めまいは怖いので耳鼻科に行った。とある国民的鬼退治アニメの人気キャラみたいな先生に「何も異常なし!健康そのもの!」と大きな声で太鼓判を押され、帰宅。うーんそっか。でもめまいはするんだよなぁ…。
だが、7月は大切なライブを3本控えていた。今ここで体調不良になるわけにいかない。生活は慎重に慎重を重ねた。
そんな慎重な生活が功を奏したのか、特に体調を崩すことなく(あ、1本目のライブの時にお腹こわしたのはあった)7月を乗り切った。
再び激動の月末を乗り越え、7月終了。

8月である。どうにもやる気が起きない。
いや、いつもやる気ないじゃん、とは思ったが、こうなんか、体の底から力が湧いてこないのだ。
いつもなら、やる気がないなりに業務の優先順位を付けたり、少しでも余裕がある時に仕事を進めておいたり、それでも困らない程度に仕事を進めることができていた。
だが、今回は違う。とにかく何も考えられない。とにかくやる気が起きない。とにかく何もやりたくない。そんな状態に陥ってしまったのだ。
そんな時に限って、仕事があとからあとから降ってくる。しかも困難ケース。擦り切れまくった社会人としてのプライドをありったけ使って、何とか急場をしのいだ。本当に「しのいだ」という表現がぴったりなくらい。
8月は夏季休暇があったが、休み中もフェスへ行くなど、ある意味矛盾しているくらいの原動力で動いていたので、休暇明けはもっと反動がひどかった。
毎日毎日ほうほうの体で仕事をする。やりがいってなんだっけ、なんで仕事してるんだっけ、私ってなんで生きてるんだっけ…。いつもならこれっぽっちも考えない超絶ネガティブな思考がまとわりつく。好きなバンドの音楽も映像も入ってこない。なんの癒しにもならない。ただ起きて、仕事して、ご飯食べて、お風呂入って寝るだけ。そんな生活を2週間ほど繰り返した。

そんなある日。突如として天啓は降ってきた。

「あ、なんか今日から私元気になるかも」

その通りだった。その日から仕事ができるようになった。いや、今までもできていたのだが、とても能動的になったのだ。
気づかなくてはならないことに気づける。電話をかけるのも億劫じゃなくなった。書類を作ることも自然とできる。頭が冴えている。同僚のくだらない話に付き合えるようになった。心が戻ってきたのだ。

そして9月。今である。
今振り返ると、あの日々は何だったのだろうと思う。
単純に疲れていた、と言うこともあるかもしれないが、一時的に心のチャージが切れたように感じる。
チャージがなくなると世界は真っ白になるんだな、と感じている。

身体が、心がSOSを発信しているのに、無視して突っ走ってしまうと、いつの間にか真っ白な世界に突入してしまう。
「真っ白な世界にいる」→「心のチャージが切れている」→「休息せねば」という思考に入れるかどうか、が分かれ道な気がしている。
今回、私は休息に入ることはなかったが、超低速で運行していたようだ。それでもスピードを落とせたことはGJだったと思う。人間の本能ですかね?このままだとお前死ぬぞ?っていう。

今は仕事もだけど、ちゃんと好きなものを思う存分摂取できている。もう大丈夫。

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