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まあるいせなか

「働かざるもの食うべからず」という言葉がある。
生きていくためには、何かをハラに吸収しなければ死ぬ。
食べていくためには、糞まじめに働かなければならない。
働かない=あの世へ逝けという残酷な言葉だなあと、子供心ながらに感じたのを今でも覚えている。

例に漏れず、私も残念なことに人間なので働くことにした。
別に嫌とか、逃げたいといった感情に苛まれることはない。
特にこれしたいあれしたいもし尽くしたので。
世のため人のため成し遂げたいことも、強くは抱いてない。
意味とか意義とか考えるだけ無駄である、それが私個人が悟った一つの解だった。

ウチには一匹のペットがいる、爬虫類だ。
帰宅した時の唯一の相棒であり、私を目視した途端隠れたり寄ってきたりと非常に気分屋な子である。
彼は特に働いていないが、メシを食べることができる。
私が代わりに働いて餌を買い、メシをあげているから。
私の責任で、命を勝手に預かったのだから当然なのだけれど。
そんな彼に渡すエサが尽きたので買いに出かけた。

帰り際に、確実に半世紀は経営しているであろう大衆食堂を見かけた。
正直やっとこさ仕事に慣れてきたところで、さっさと帰って昼寝を決め込みたかったのだが、足が勝手に店内に入っていた。
水滴が滴る年季の入ったヤカン、ラミネートもされていない、ピンで留められただけの手書きのメニュー、常連客の落ち着いた雰囲気。
何より目を惹いたのが、店主さんだった。

見たところお歳を召されている店主さん、長年の労働からか首は深く曲がっており、釣られるように背中もまるい。
私はとりあえず味噌ラーメンを注文した、ただ無心で啜りたい気分だったのでご飯はなし。

暫く待っていると、のそのそと店主さんがこちらに近づいてきた。
「確認ですっ。 味噌ラーメンで よろしかったか?」
あっ、ハイ。 味噌ラーメンで お願いします。
「味噌ラーメンで ハイ 確認でしたっ。」
失礼かもしれないが、見た目からは想像できないほどハキハキと、丁寧に聞かれたので面食らってしまった。

そして到着味噌ラーメン、トッピングはチャーシュー二枚ともやしねぎ少量、至って普通の味噌ラーメン。
だが、童心に訴えかけてくる器とスープの色味が、言語化しがたいオーラを放っている。
スープを一口啜ると、幼い頃に祖父と食べた、今はないあの店のあの味と景色が脳裏に蘇ってきた。
そこからは、ただただ無心で食べる、啜る、何も考えず。
いや何も考えたくなかった。

食べている最中も、店主さんはハキハキと、丁寧に、身体をゆっくりと動かしながら、一人ひとりに丁寧に、料理を作っていた。
お会計を済ませて、一言ごちそうさまでしたと言うと、店主さんは少し驚かれた顔をされ
「あっ ありがとう 外暑いから 気を付けてっ」
そうひとこと私に言い、見送ってくれた、最後まで、ハキハキと、丁寧に。

歩いていると、ぽつぽつと涙がこぼれていた。
意味とか意義とか、本当は考えたいけれど、それに嫌気がさして悟って封じた心が泣いたのだろう。
まだ短い人生で、色んなステージで、色んな人を見てきた。
仕事のやりがいを語る、高価なブランド服と時計を身にまとった人。
脱サラして、好きなことを仕事にするのがいかに素晴らしいかを語る人。
それはそれで いいと思う。

でも私には、ヨレた一枚のシャツで、ずっと変わらず一人ひとりに向き合っている、あのまあるいせなかが、一番カッコよく、勇ましく見えた。
そんな話を、どこかに書き留めておきたかった。

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