見出し画像

爆裂愛物語 第十三話 見送り人

 波が打ち寄せ、静かに揺れている船舶……ふたりの男と、それを見送る人々がいた。船はこの地を離れ……海に漕ぎ出す準備をしている……これから戦争に行くのだ。みなは船に物資と武器弾薬を運び入れていた。
「うし、大方終わったな」
 我路が一息つきながら言ったその言葉に、
「我路」
 アイが呼びかけた。
「これを」
「これは?」
 アイが渡してきたのは、USBだ。
「セリオンの電子機器、レーダー、などをかく乱するデータがあります。半径十キロ圏外に入る前に使ってください」
「ああ、ありがとう」
「最新鋭イージス艦なので、そんなに長くは使えませんが、現在この船舶はステルス化もしているので、乗り込むまでの時間稼ぎにはなるかと思います」
「わかった」
 そうして……いよいよ戦地への出発を控えたその時、
「いってらっしゃいませ……」
 皆が見守るなか、凪が小さな声で言った。その言葉とともに差し出された手には花束があった。それを見た我路の表情が少し緩んだ気がした。
「船の操作は憶えたな?」
 園さんが尋ねるとハンスが迷わず……
「大丈夫。このバカはともかくボクは完璧です」
「お前⁉ 捕虜の自覚あんのか⁉⁉」
 その場にいた誰もが思った……ああ、ハンスが一緒でよかったな、と……凪を拉致した者の顔を見てみる……
「お前がおらん間はまかせとけ」
 宮さんが我路の肩をガシッと叩いた。
「オレら右翼があの連中束ねてシェルター護ったるわ。ちゃんと待ったるから、思いっきり行けやガキども!」
 宮さんの熱い言葉に頷きながら返す
「はい、宮さんも気をつけて」
「おぅ」
 宮さんはそのまま立ち去っていく。凪のほうを見ると、彼女は寂しそうに笑っていた。
「行っちゃうんだね……」
「……すまない」
 そう言うと彼女は首を横に振る。
「ううん……仕方ないもん」
 そう言って凪は笑顔を見せた。

 前夜

 船内の武器庫にはさまざまな兵器が置かれていた。機関銃やら迫撃砲といったものが大量にあったのだ……そしてそれらを見た後だからだろうか? 戦争というものが少し現実感を帯びて感じられたのである……
「……」
 しんと静まり返った空気が張り詰めていた……これから自分たちは戦地へと向かうのだと痛感させられる……我路とハンスは、共に武器弾薬の整備と調達をしている。並さんと宮さん、園さんも手伝ってくれた。それぞれが作業を分担しながら行う。その様子はさながら熟練の技術者のようだった。パーツを分解し、丁寧に磨き上げ、油をさす。弾丸を入れる際は慎重に慎重を重ねたものだった。火薬を詰める際も丁寧だった。装填の際はさらに細心の注意を払った。手榴弾の安全ピンを抜き……導火線を伸ばしながらしっかりと奥まで押し込み……安全ピンをさした。
 ハンスは手慣れた手つきで無表情に淡々と作業をこなしていた。彼の腕の動きはとても早かった……まるで機械のように正確かつ迅速であった……その姿は職人、というより、まるで機械のようだ。冷酷で冷徹で冷静な殺人鬼を思わせるオーラを放っているのだ……彼は何を考えているのだろうか? それとも何も感じていないのだろうか……? 彼は……ずっと、こうやって、生きてきたのだろうか? 氷細工のような美しい顔に、微かな笑みが浮かんだ。まるで地獄こそが居場所だとでも言うように、美しく、冷たい笑みを浮かべていた……そう、これはまさに悪魔そのものの表情なのだ……!その微笑みを見るだけで背筋が凍るような感覚に襲われた……それはあまりにも恐ろしく、同時に魅惑的で蠱惑的な美しさでもあった……
 我路は……精悍で真直ぐな表情を見せながらも、何処か悩んでいた。整備する度に、こうして銃器の重さを手に感じる度に、戦場に行く実感が湧いてくる。しかしその一方で……なんとも言えない不安感のようなものが頭をよぎるのである……だが……考えているうちにも時間が過ぎていく。覚悟を決めなければ……我路は、自分が持つべき得物を考えている。ナイフだろうか? それとも拳銃だろうか? 手榴弾か? しかし悩む暇もなく時間は刻一刻と過ぎ去っていくのだった……
 そんな、男たちの背を……凪は後ろから見ている……何もできない自分に歯がゆさを感じながらも……黙って見守るしかなかった。凪にとってここは異世界なのだ……だから何もしないことが最善であると思った……本当なら自分も何かしたかったのだが、それで彼らの足手まといになってしまってはいけないと考えるほどだった……そして凪は静かに祈ることにした……愛する人が無事に帰ってくることを願って……。
 
 その夜……我路はなんだか落ち着かなかった。これから戦場に向かうのだ。そして血が流れるのだ……そう思うと胸の奥深くに疼くものがあり……なんとも言えない焦燥に駆られてしまうのだった………………だが、それ以上に、
「……」
 なんだかやり残したことがあるような気がして、じっとしていられない気持ちになってしまう……
(何か足りない気がする)
 そう思うのだが……やはりその正体はわからない……でもなにか大事なことを忘れているようなそんな気がしてならないのだ……だがそれがなんだったのか思い出せないままであった……モヤモヤとした気持ちが胸の内にくすぶっていて落ち着かない……だからベッドから立ち上がり、部屋を出ようとドアを開けてみた。すると……
「あ」
「あ……」
 部屋のすぐ前に凪がいた。どうやら部屋をノックするかどうか悩んでいたようで、しばらく沈黙が続いた。
「……なぁ凪、よかったら、ちょっと歩かねぇか、山ん中でも」
 そう声をかけると、凪は驚いたように目を丸くしたあと、嬉しそうに微笑んだ。
 外に出ると夜風が気持ちよくて、木々の香りに包まれた。ふと空を見上げると星が輝いていて、その光が自分たちの旅路を照らしてくれているような気がした。
 凪は三歩後ろを歩くだけで、一言も発しなかった。ふたりの足取りに合わせて歩いていると、いつの間にか森の奥の方へと来てしまっていたようで……
「あ……」
 森の奥に……
「綺麗だな……」
 ちょうどサークル状に空いた空間があった。そこからは夜空がよく見え……満月が輝いていた。月明かりがふたりを照らす……
「……うん……月が綺麗……」
「……少し座ろうか?」
「……うん」
 ふたりは並んで座りながら、しばらく夜の森を眺めていた。月明かりに照らされた樹木たちが幻想的で美しくて……でもどこか寂しくて切ない気持ちにもなった……
「綺麗な夜だね……」
 そう呟くと、隣にいる我路は頷いた……そしておもむろに口を開いた……
「正直なところを言うとな、少し、恐いんだよ」
「え?」
 そうして見てみた彼の横顔は、月にうつされ、研ぎ澄まされて見えていた。
「このまま、凪やみんなと、アマノイワトで静かに暮らしたい気持ちもある」
 だが同時に……酷く寂しげに見えていた。
「だけど……それじゃダメなんだ。それだけじゃ……いずれ、殺志はアマノイワトにも来るかもしれない」
 遠くを見るような目で空を見上げていた……
「っふ……オレは、凪やみんなが思うほど真直ぐじゃない。実際悩みっぱなしだ。あっちにブレ、こっちにブレ」
 その姿が儚げで今にも消えてしまいそうで……
「……」
 そんな彼の横顔を見ているだけで胸が苦しくなった……なぜだかわからない……だけど彼がこのままどこか遠くに行ってしまうような気がして……
「どうしたの……?」
 思わず我路は聞いてしまった……すると彼女は……
「!?」
 我路の胸の中に飛び込んだ。そして抱き寄せた。儚い魂を……離さないようにぎゅっと……遠くにいってほしくない……死んでほしくない……離れないでほしい……そういった、想いの総てが、打ち明けられたのだ。その瞬間……蛍たちがいっせいに光を灯し、ふたりを包んだ。まるで天の川のように……きらめく光が周囲を包んでいった。その幻想的で非現実的な光景はまるで一枚の絵のようで……
(あぁ……)
 そう思った途端、
「我路……」
 凪の瞳には涙があふれてきた……
「私……」
 どうしようもないくらいに胸が苦しかった……
「我路を悩ませちゃいない……」
 切なかった……
「わかってる……でも……それでも…………」
 苦しいほどに苦しくて……泣きたくなるほどだった……
「我路に行ってほしくないよぉ……」
 それと同時に気づいたことがあった……自分が彼に抱いていた本当の気持ち……その正体に気づいたのである……
「どこか遠い所にふたりで逃げて……静かに暮らしたい…………」
 自分はこの人を愛しているのだと……。
「ダメだよね、こんなの……」
 だからこんなにも辛いのだとわかった瞬間だった……
「でも、でも!」
 だからこそ泣いたのかもしれない……そんな時だ……
「!?」
 突然抱きしめられて口づけされた……。
「……」
 それが嬉しくて凪もまた同じように身をゆだねた……。それからしばらくはお互いの体温を感じていたくて抱き合っていた。まるで全身の細胞に“ふたり”を宿したいと願うように。愛し逢う者同士として手を握りあい、やがて自然と見つめ合い口づけを交わす……。凪は自分の心が今まで感じたことのない幸せで満たされていくことを感じつつ……愛する人と唇を重ね合わせることに夢中になっていた……次第に舌を伸ばして相手の口の中へと侵入していき絡め逢わせていった…………お互いの口から唾液が流れ出し混ざり逢ってゆく感覚に酔いしれながら激しいキスを繰り返す中で互いの体をまさぐり合いながら快楽に溺れていった………………愛とはなんなのだろうか? 恋とはどういうものなのか? それを永遠に探し求める旅人のごとく……ふたりの時間は流れて行ったのだった………………。
「行こうか?」
 そしてふたりは歩き出した……永遠の愛を確かめ逢ったふたりは道を歩き始めたのだ……蛍の明かりが道を指し示すなか、手をぎゅっと握り逢って、いつまでも一緒にいたいと思いながら……ふたりきりの時間を求めて歩いていく……お互いを感じながら生きていくと決めたのだから……手を握り逢った。蛍たちの輝きに照らされて、月明かりの下の道をどこまでも歩いていこうと思った……たとえどんな暗闇が広がっていようとも……その先に必ず光り輝いているものがあるはずだから……。

「っん……」
 船に戻ったふたりは、
「もっと……」
 同じ部屋の、
「もっとぉ……」
 同じのベッドの上で、
「もっと……強く抱いて?」
 抱き逢った。もう離れたくない、この一瞬がずっと続いてほしいと思いながら……
「愛してる……」
 そう囁いたとき、二人は互いに求め合うように身体を重ねた……。我路は、今にも折れてしまいそうな凪の身体を強く抱きしめる。凪の柔らかな肌と温かい感触が伝わってくる……互いの鼓動の音が重なりあい響きあう……。やがて……二人の唇が触れあい重なる……そして口づけをしながら互いを求め合った……。
(ああ……こんなに幸せになれるなんて……今まで生きてきて良かった……)
 そして我路は……凪の、胸の傷に、キスをした。
「んっ……!」
 思わず甘い吐息を漏らしながら身をよじらせる凪を見て我路は微笑んだ……。この胸の傷は、もう……悪夢の証ではなかった。上書きされていったのだ。想い出を重ねるごとに、身体を重ねるごとに、愛を重ねるごとに……もう恐くない。触れることも触れられることも。そして……再びキスをしようと唇を近づけてくる凪の髪を優しく撫でながら言った……。
「……大丈夫……」
 ああ……本当に大丈夫だ……。こんなにも自分をさらけ出すことができるなんて……。弱さも、醜さも、美しさも、その総てを……抱きしめ逢える……
「ありがとう……」
 そう言って凪は彼の胸の中で瞳をとじた……彼の温かさを感じるだけで十分だった……それだけでいいと思ったのだった……。こうして二人の夜は過ぎてゆく……朝が来るまで抱き合って離れないでいよう……そう誓った二人だけの夜の始まりであった……。ふたりの距離はいつのまにかゼロになっていた。そしてどちらからともなくゆっくりと唇を近づけていく…………お互いを求めているかのように自然に引き寄せられていき、やがてふたつの唇同士が触れ逢った瞬間……今まで抑え込んでいた感情が溢れだして止まらずに、強く抱きしめ逢いながら激しく求め逢うようになったのである……ああ……幸せだ…………このまま死んでしまってもいいと思えるくらいに……。そして二人は同時に絶頂を迎えていった……その瞬間が訪れるまでの間だけでもずっと一緒にいられることを祈りつつ、お互いに愛していると何度も囁き逢い、愛撫し、絶頂に達した瞬間にはこの上ない幸福感に包まれていた……

「……」
 そんな熱く情熱的な空間の外、扉の向こう側には……アイが立っていて、
「……」
 下の階にいる夏凛には、その吐息はおろか鼓動のひとつひとつまでが鮮明に感じ取れていた。
「……」
 だが二人は無言だった。アイも夏凛も無言のまま、まるで見護るようだ。アイも、夏凛も、二人とも……ここまで来たら、全部解っていた。ふたりのことも、我路のことも、そして……凪のことも……そしてふたりは永遠に結ばれるのだろう……そう思うと……なぜか……少しだけ哀しかった……だけど…………とても嬉しかった……。だから……二人はなにも言わなかった……いや、言えなかったのだ……

「……」
 翌朝、ベッドの横には裸の凪がスヤスヤと寝ている。昨日はあれから何度も何度も互いを求め合い、愛し合って……結局二人でそのまま寝てしまったようだった……。少し肌寒いので布団を掛け直す……彼女の寝顔はとても愛しく感じられた……思わず髪を撫でてしまう……凪の寝顔は本当に愛らしいのだ……こんな可愛らしい子と結婚できたらどんなに幸せなことだろうか……ふとそんなことを考えてしまう……きっと彼女とならどんな困難だって乗り越えられるはずだ……そんな風に思ってしまうのだった……我路はそんな気持ちを抱いて凪の頬にキスをした……そのまま、彼女を起こさぬように我路は、黒い着物姿のまま部屋を後に、武器庫へと向かう。今日はいよいよ出発だ……。
 ガチャン……武器庫の厚い扉を開く。中には自動小銃にマグナム、手榴弾にロケットランチャー、ライフル、などありとあらゆる武器が並んでいる。そして隅の方には弾薬箱があり、ここに置いてある分だけで数十発はあるだろう。拳銃に至っては数百個単位で置いてあったようだし、弾倉も多数あったため持ちきれないほどの弾数のようだ。他にもいろいろとあるようだが詳しく見る暇はなかった。なぜならこれから出撃の準備をするためである。
 凪との熱いひと夜を共にした我路に、迷いの眼差しはない。まるで禊を終えた後のように晴れやかな気分だった。今ならどんな苦難も乗り越えられる気がしたし、どんなことにも負ける気がしない……そんな全能感すら感じていたのだ。そしてこの高揚感はいつまでも冷めることなく、今なお継続しているのだ。そんな万全の状態のまま、我路は、自分の得物を決めた。それは……
「……」
 日本刀。直刃の刀は、漆黒の鞘に収められたまま、微動もしそうにない。鞘越しにも研ぎ澄まされた鋭い気を感じる。鞘から抜いていないのにここまで存在感を放っているということは……相当な業物なのだろうと直感しつつも、それを手に取る。ずっしりとした重みとともに伝わってくる刀身の鋭さ。指先からは痺れるような冷たさを感じたような気がしたほどだ。しかし迷わず柄を握り、深く一礼をしてス……と、刀身を抜いた。そこには光さえも断ち切ってしまうかのような恐ろしい輝きを放つ白刃があった。その美しさに目を奪われながらも構えてみる……なるほどこれはなかなか難しいようだ。まず刀を正中線に合わせてバランスを取るのは難しいようだとりあえず水平に両手で持ちながら素振りしてみることにしたその瞬間――何かが身体を突き抜けたような感覚に襲われた……凄まじい切れ味だ!そしてそこからはまるで導かれるかのように次々と技をこなしていくことができたのだった。これには自分でも驚いたものだ試しに一度振ってみただけだったのに、気が付けば汗を流して息を切らすほどになっていたのだから驚くしかないだろう。それくらい集中力を高めていたということなのかもしれない。
 研ぎ澄まされた氣……そう感じずにはいられなかったのである…………刀身から伝わる圧倒的な存在感……。まるで刀そのものが一つの生命体のように脈打ち鼓動しているかのような錯覚すら覚えるほどだった……気づけば、我路の瞳にはひと筋の涙が零れていた……。これがどれほど素晴らしいものなのか、どれだけ大切なものなのかということを理解しているのだ。だからこその涙かもしれない……それほどまでに感動しているのだ……。この剣を持つ者として恥ずかしくないように生きなければならないという想いを強く抱いたことだろう。もう二度と手放すまい、たとえどんな困難があろうとも必ず守り通してみせると心に決めたに違いない…………これからも共に戦い続けるのだと決意を固めた瞬間………………………………闘いの決意を決めた。

 現在

「我路、これを持て」
「⁉ これは……」
 並さんが手渡してきたそれは、黒い特攻服で……軽い、にも関わらず、頑丈な手縫いの丈夫な生地でつくられていて、動きやすい造りになっていた。戦闘服だ。それは、魂を吸い込むように漆黒の輝きを放っている。何より……
「……」
 背には、
「これ、何て読むんですか? ウかんむりに、神に、主……」
「“ソシジ”だ」
「“ソシジ”?」
 “ソシジ”一文字が、黄金の刺繍で縫われていた。
「GHQが何が何でも葬りたいと考えた漢字。戦後、今では漢字変換もできないようになっている」
「……意味は?」
「“人間の生きる意味”、“生きる概念”を表す。具体的には、
 “愛”と“感謝”と“調和”」
「“愛”と“感謝”と“調和”……」
「我々右翼の根源思想であり、大和魂の神髄であり、GHQとマッカーサーが恐れた日本人だ。
 神道の祭事などにも使われた大切な言葉であり、究極の言霊を宿す漢字だ」
「……それを、自分に?」
「個を尊重し、皆を尊重する
 右翼の思想の源流であり、戦後、失われた日本人
 それを……若者であるお前に、託す」
「……」
 我路は深く考えていた。この特攻服を、今の自分に、授けてくれた意味を……
「ありがとうございます」
 だからお辞儀をしてそう答えた。すると並さんは、
「はい」
 と……ひと言だけ、返した。

「では、行ってまいります」
 深く敬礼をした我路は、そのまま身を翻すと甲板へと上がろうとする……
「我路……」
「⁉」
 そんな我路の背に……凪は、ただ、左手をあてて、呟いた。その左手には、想いが込められている。切ないほどの愛が籠っていた……
“お願い、生きて帰ってきてね!”
「右も左も、見ないで」
“あなたの帰る場所はここにちゃんとあるから!!”
「ただ、前だけ、見て」
“だから……死なないでね!?”
「私が支えるから……」
“私を置いて行かないで!!!”
「我路?」
“あなたは私にとって必要な存在だもの!!!!!”
「愛は……」
“もうあなたなしの人生なんて考えられないんだから!!!!!!”
「奇跡を、起こす……」
そして……心の底から愛する男の背中を押しながら……心の中で叫び、現実には震える細い声で、囁いた。

 私は知っている……
 私の望みを叶えてくれる人たちがいることを……
 あの人たちが助けてくれることを……
 だから……私も勇気を出す! 命を懸けて……大切な人のために……
 この人の背中を押すことができるなら……!! そう想いを込めた小さな言葉は……

「ああ……約束だ」
 総てを籠めた想いは、背中越しに、彼に、伝わったのだろうか? 彼は、ひと言、それだけを返して、振り向くこともなく、船に乗り込んでいった。彼も彼女も、何も言わなかった。言葉にならないほどの大きな感動が胸のうちにあったからだった……その感動は、これから、ふたりに、どんな運命や宿命が待ち受けていようと、強く強く、支えてくれるのだろう……

 船は波を掻き分け、港から離れていく……船のエンジン音だけが鳴り響き、他にはなにも聞こえない……そんな静まり返った世界のなか……
「“私たち”って、言ってほしかったですね」
「⁉」
 凪の隣にきたアイは、耳元で話しかけた。いつもの棒読みで。
「あなた一人では、どんなに頑張っても我路を支えられませんよ?」
「あ、いや、その……」
「でも、あなたがいなければ我路を支えられない」
「⁉」
「それは、私も、他のみんなもそう。だから、全員平等で特別」
「……アイさん?」
「我路の言っていた言葉の意味が、やっと解った」
「……」
「ねぇ?」
「⁉」
 ふと横を見た。アイの……いつもの無表情に、
「私、なんで泣いてるんでしょう?」
 ひと筋の涙が、零れていた。

 感情の意味が解った。感情は……どんなに非道い手段を用いても、消すことなどできないのだ。感情は、まるで、血液のよう……心臓を巡る血管を流れる血のようなものだから……血流を止めたり、物理的に除去したりすることはできるけれど、それでも、血を抜かれて死んだあとも、心のなかを巡り続けるのだ……手首を切ってみれば、暖かく赤い血が流れるように……嗚呼、少女は、人間、だったんだ。だから……涙という、ひと筋の血を、零している。

 船は波を掻き分け、港から離れていく……
 船のエンジン音だけが鳴り響き、他にはなにも聞こえない……
 空っぽな気持ちのまま、そっと瞳をとじた……
 このまま瞳をとじていれば……
 そうすれば……この哀しみを感じずにすむだろうか……? 少女の頬に一筋の涙が伝う……
 その涙の行方すら、彼女には見えない……
 少女の顔は……無表情でありながら“感情”を知った……
 まるで海の水面そのものを映し出したかのように……
 静かな波紋だけが広がっていた……
 その日、船が見えなくなるまで、彼女はそこにいた……
 いつまでも、いつまでも……

 並さんと宮さんは、遠くの山の上から、我路の乗る船を見送っていた。並さんはいつものように眉一つ動かさない冷静さで手を後ろに組み、宮さんはその傍らでやはりいつもの如く唇を真一文字に引き結んでいる。
「……行ったな」
 並さんが呟くように言ったその言葉は風に流されて消えていくようだったが、隣に立っていた宮さんには確かに聞こえたのだった。
「ええ……」
 ふたりはしばらく無言のまま、静かに海の彼方を眺めていた……そしておもむろに口を開いたのは宮さんの方だった。
「並さん……オレね、殺志って、我々右翼の、業、に見えるんですよ。元々は大東亜戦争の決戦兵器やったワケですから」
「なるほどな」
「我々右翼は、先の大戦……鬼畜米英という列強から、アジア太平洋を開放したい一心で、大事なモノを見失ってしまっていたのかもしれません」
「731部隊……などが、そうだな」
「オレはね……その、業を、若者に背負わせっちまってる……それがなんだか、歯がゆくて、恥ずかしいんですよ!!」
「それは違うぞ、宮」
 並さんは、いつもの低く通る声で断言した。その声には凄みがありながらも包容力がある。
「あいつはもう立派な右翼だ。大和魂を背負った」
 その声はどこまでも真摯だった。まるで息子の背を見送る父親のようでもあり、そして、その瞳の奥に微かな羨望が見え隠れしていることに、宮さんは、気づいていただろうか?
「オレたち右翼の魂は、しっかり若者に受け継がれたんだ」
 宮さんはしばらく感慨に耽りながら水平線を眺めていた……
「オレね……あいつが可愛いんですよ」
「ああ……」
 宮さんと並さんは同時に頷いた。
「我路は、オレたちの息子だ。立派な」
 二人とも少し表情が堅いように感じられる……それは、もちろん、あの少年の強さを知っているからに他ならないだろう。

 そんな二人の遥か背後に……夏凛は立っていたのだった。
「僕は花凛」
 彼女は唇をギュッと噛み締めて
「僕は全てが見える」
 眉間にしわを寄せていた……
「全てを感じる。」
 そして……
「全てを知っている」
 ふと微笑を浮かべると、こう言った……
「だから解る」
 夏凛は……
「我路は、僕も含めたたくさんの人たちに支えられている。だから迷いがない。真直ぐで、力強い」
 そう言った。そして少し笑った気がした。それはまるで、何かを懐かしむかのようにも見えた……

 ダンと咲夜はアマノイワトの中、黙々と整備をしている。これから施設を稼働するために、生活空間を整えるために、
「我路とハンス、行っちまったね」
 少しでも手を休めたくなかったのだ……
「ああ、勝手な奴らだ 笑」
 だから二人は黙っていた……
「だからあたしらがやらねぇと」
 ただただ無言で作業を続けていたのである。
「ああ、オレらがやらねぇとな」
 ふたりはそう言い合うと、黙って手を休めず作業を続けるのだった……
「あいつらが還ってくるまで、この場所を護るんだ」
 ダンはそう言って、自らの頬を叩いた……するとその瞬間、不思議と気合が入ったのだ。そして彼は思ったのである……オレにもできることがある、と……そして幸運にも、隣には、咲夜がいてくれるのだと。二人は黙々と整備を続けた。カチャ、カチャ……音が響く。たまにオイルの匂いを漂わせながら、コツコツと工具を使って作業をしていく……無数のパイプとコード、バルブ、配電盤や操作パネルがモノクロームに覆う空間……そんな空間が、なんだかとても落ち着いて、清々しく見えた。

つづく

この記事が参加している募集

#恋愛小説が好き

5,017件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?