私の解放
認知症の母との会話から
いい人になりたい私
本当はのびのび行きたかったけど、型にはまっていた私を思い出して、心のままに書いて行きます。
支離滅裂感満載です。
先日の母のもの取られ妄想から
母: ねぇ私の黒いお財布持って行った⁉️
私: つぶやき
あ〜、始まっちゃったなぁ❗️
昨日デイサービスに持って行って使ったんじゃないの、どこやったの?
母: それがお財布がないんだよ
解説
母は、デイサービスに行って移動販売が来るので、買い物をいつもしています。
今回も買い物をしてきました。
その時にその財布をつかったのです。
財布がないのではなく、財布を入れているバッグがあるのですが、バッグごとないんです。
そして、バックがないから私がどこかに持ち出したんだと言うのです。
そうですよね、この家には私と母の2人、母が見つけられなかったら、私が持ち出したとしか考えられないですね。
まさか片付けたところが分からなくなった。
または、忘れてしまったなんて事はないと思っている母。
私が、盗んだのではないと話すと
じゃぁ誰かが盗んだんだと言うのです。
誰が勝手にこの家に入ったんだ?と、言うことになりますが、以前住んでいた家に比べたら全ての鍵は簡単に開けられる様にはなってないのです。
その騒ぎが起こったのが、仕事から帰り、夕食の準備をしている時でした。
お腹は空いているし、疲れている。
そんな時に、デイサービスに行った話をするのかと思えば、私が母の財布を持ち出したのではないかと言うのです。
介護の認知症という症状を持っている人たちを見ている人たちなら、基本の基ですが、まさか当事者になるとは。
情けないやら、悔しいやら
もう面倒を見るのをやめようか。
一緒になんていられない。
こんな馬鹿な母だとは思わなかった。
やっぱりこと人は…。
だから大っ嫌いだ。
と、言う感情が沸々と起こります。
実際、私の現場でも同じ様なことが起こります。
でも笑っている私。
他人事だから
でも、
自分の母に犯人にされる。
疑われる。
その意味がわかっていても許せない気持ちになる。
この1ヶ月
特にお金の事では母は揺れ動きました。
それに付き合っていた私は、思春期の頃の母との関係を思い出していました。
子供は、母親を助けるために生まれてくると言われています。
私は子供の頃からいつも母に言われる様に買い物に行ったり、お使いをしたり、言われるままに突然行ってこいと言われて納得できないまま自分で何が何だかわからないけどいかなければならない使命感でケアをしていました。
お金の不自由があったかどうかはあまりよく覚えていませんが、ケアラーでした。
そのケアラーのまま、父が入院して母が付き添う様になりました。
そして父が亡くなりました。
私が家事をしているのに、普段全く来ない父の弟の妻が掃除機を持って私の家に掃除に来ました。
なんとも不愉快な事でした。
その叔母はいい事をしたドア持っているかもしれませんが、私にしてみたら、私なりに家事をしていたにも関わらず、勝手にずかずかと家に入り、勝手に掃除をして行ったのです。
不愉快極まりなかったです。
そして父の病気のことで私は母を許せないことがありました。
思春期は拒食になりました。
このまま食べられなかったら死んじゃうのかなぁ〜と、体力が落ちた体を眩暈がしながら動かしたことがありました。
そんな時も母は、無理なのに食べなさいと言う
そんな母は憎かった
ほっといてくれ
あなたのために生きているわけではないから
声なんて掛けてくれなくていいから
指図したいでくれ
あなたと生活するのはうんざりだ
感情に任せ、プライドに振り回される母を受け止めるのはもう嫌だ
自分のことは自分でやってくれ
何にももう手伝いたくなんかないんだ
もう一緒にいたくないんだよ
もう自由にさせてよ
でも、
何かあると
お母さん死んじゃうからねって言う言葉が降りかかってくる
心配なんかしてやんない
勝手に病気になって可哀想な人になってるんでしょ
私は、あなたの悪魔の部分を知っているから可哀想なんて思わないよ
優しくなんてしてやらない
それが私
あなたに対して優しくなんかならない
うんざりだから
物分かりが良くて、みんなに仲良くして欲しくて、気を遣って
あれやこれやと動いた私
みんな嘘の私
本心からやりたいと思っていることとやらされていることは、全く違う。
今日はそんな事を思い出しました。
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