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(第1話)心理の迷路 〜善意と狂気の境界〜【創作大賞2025ミステリー小説部門応募作】2024/07/31公開

■あらすじ■
 東京の支援グループ事務所で、ボランティアの藤原美樹が殺害された。新米刑事の桜井由香(18歳)が担当するこの事件は、支援活動の陰に潜む複雑な人間関係を浮き彫りにしていく。
元恋人の村上健太が主要容疑者として浮上するが、由香は違和感を覚える。カウンセラーの吉田理沙の証言や、支援活動における方針の対立が明らかになるにつれ、事件の背景にある心理的要因が見えてくる。
決定的な転機は、吉田のアリバイを裏付けるはずだった防犯カメラ映像と、吉田の親友・佐藤美香の突然の告白だった。
由香は、この事件が支援活動に関わる人々の心の闇と歪んだ正義感が引き起こした悲劇だと悟り、真相究明に挑む。

第1話「歪んだ善意」

東京の閑静な住宅街に初夏の陽気が漂う朝、女性支援グループ「レインボーハート」の事務所から悲鳴が響き渡った。早朝に出勤したボランティアスタッフが、同僚の藤原美樹(35歳)の遺体を発見したのだ。

警視庁捜査一課の新人刑事、桜井由香(18歳)が現場に駆けつけた。長い黒髪と澄んだ瞳を持つ由香は、その美貌で周囲の注目を集めていたが、鋭い洞察力と冷静な判断力で上司からの信頼も厚かった。

「被害者の身元は?」由香が尋ねると、先輩刑事が答えた。
「藤原美樹さんです。このグループで3年ほど活動していたそうです」

由香は慎重に現場を調べ始めた。血痕の飛び方、遺体の位置、散乱した書類。全てが何かを語りかけているようだった。

「凶器は見つかりませんでした。おそらく犯人が持ち去ったものと思われます」
先輩刑事の言葉に、由香は小さく頷いた。しかし、彼女の目は事務所の隅にある棚に釘付けになっていた。

「あの棚、何かが置いてあった跡がありませんか?埃の具合が周りと違うように見えます」
由香の指摘で、科学捜査班がその場所を詳しく調べることになった。

「ここに重い物が置かれていた形跡があります。四角い台座の跡...灰皿かなにかでしょうか」
鑑識課の捜査員が報告すると、由香は思わず身を乗り出した。

「その灰皿、どのくらいの大きさだと思いますか?」
「台座の跡から推測すると、かなり大きめですね。重量もありそうです」

由香は深く考え込んだ。大きな灰皿。十分に凶器になりうる重さと硬さ。そして、それが今ここにない。

事情聴取が進むにつれ、二人の容疑者が浮かび上がった。一人は被害者の元恋人、村上健太(40歳)。DVの過去があり、別れた後も執拗に付きまとっていたという。もう一人は同じボランティアスタッフの田中美咲(32歳)。被害者と支援方針を巡って対立していたらしい。

カウンセラーの吉田理沙(38歳)から話を聞くと、被害者の人柄や最近の様子が少しずつ明らかになってきた。

「藤原さんは、被害者に寄り添う姿勢が強かったですね。時には、加害者の更生の可能性も考慮すべきだと私たちは伝えていましたが...」
吉田の表情には、疲労の色が濃く見えた。由香は「共感疲労」という言葉を思い出した。支援者が被害者のトラウマに影響され、精神的に疲弊してしまう現象だ。

「吉田さん、最近お疲れのようですね」
「ええ...被害者の方々の話を聞いているうちに、自分も同じような気持ちになってしまって...」

この事件は、単なる殺人事件ではなく、支援活動の闇も絡んでいるのかもしれない。由香はそう直感した。

夜遅くまで捜査を続けた由香は、自宅のアパートに戻りながら思いを巡らせた。被害者の藤原美樹、支援グループの人々、そして未だ見ぬ真犯人。全ての人の心の奥底に潜む真実を明らかにしなければならない。

翌朝、由香は早々に警視庁に向かった。中村警部が彼女を呼び止める。

「桜井、村上健太と田中美咲の両名が任意で事情聴取に応じると言っている。まずは村上から話を聞くぞ」

取調室で村上健太と向き合った由香は、彼の態度に違和感を覚えた。悲しみや動揺よりも、どこか投げやりな様子が見て取れる。

「藤原さんとはどういう関係だったんですか?」
「...元恋人です。でも、彼女は俺のことを嫌っていました。むしろ、俺のような男から女性を守るために支援活動をしていたんでしょう」

村上の言葉には、自己嫌悪と諦めが混ざっていた。由香は、彼の中にある複雑な感情の渦を感じ取った。

一方、田中美咲の取り調べでは、支援グループ内の軋轢が明らかになっていく。

「藤原さんは、被害者の立場に立ちすぎていたんです。時には加害者の更生も考えるべきだと私は思っていて...」

田中の言葉に、由香は眉をひそめた。被害者を守ることと加害者の更生を考えること。その狭間で揺れる支援者たちの葛藤が見えてきた。

由香は、この葛藤こそが「認知的不協和」ではないかと考えた。被害者を守りたいという思いと、加害者の更生も考えるべきだという信念。この相反する二つの考えを同時に抱えることで、支援者たちの心に不快感や葛藤が生じているのではないか。

夜になり、由香は再び事務所に戻った。そこで彼女は、ある違和感に気づく。昨日は気づかなかった小さな痕跡。床に残された微かな靴跡。それは、現場を何度も行き来した誰かの存在を示唆していた。

「この靴跡...誰のものだろう」

由香の目に決意の色が宿る。この事件の真相は、まだ見えない闇の中に隠されている。しかし、必ずや光を当てて見せる。それが、彼女の使命なのだから。

翌日、由香は吉田理沙と再び話をする機会を得た。

「吉田さん、支援活動をしていて、葛藤を感じることはありませんか?」
吉田は少し驚いた表情を見せたが、すぐに落ち着いた様子で答えた。
「ええ、もちろんあります。被害者を守りたい。でも、加害者にも更生の機会を与えるべきだと思う。この二つの思いが衝突して、時々苦しくなることがあります」

由香は吉田の言葉に頷いた。「認知的不協和」という言葉が、再び彼女の脳裏をよぎる。

「その葛藤、藤原さんも感じていたのでしょうか?」
「ええ、きっと。彼女は特に敏感でしたから。被害者の痛みに深く共感する一方で、加害者の人間性も無視できないと言っていました」

由香は、この認知的不協和が事件の鍵を握っているのではないかと直感した。被害者と加害者、支援と更生。相反する概念の狭間で揺れる人々の心理。そこに、事件の真相が隠されているかもしれない。

「藤原さんは、その葛藤をどう扱っていたのでしょうか?」
吉田は少し考え込んでから答えた。「彼女なりの方法で折り合いをつけようとしていたと思います。でも、最近は特に悩んでいる様子でした」

由香は、藤原美樹の心の中にあった葛藤を想像した。被害者を守りたいという強い思いと、加害者の更生も考えるべきだという信念。この二つの相反する考えが、彼女の中でどのように衝突し、そしてどのような結末を迎えたのか。

事件の真相に近づくにつれ、由香は自身の中にも葛藤を感じ始めていた。真実を追求することと、関係者の心情に配慮すること。この二つの思いが、彼女の中で軋み始めていた。

しかし、由香は決意を新たにした。この認知的不協和こそが、真相への道しるべになるかもしれない。葛藤の中にこそ、人間の本質が隠されているのだから。

真実はまだ闇の中。だが、由香は必ずやその闇を晴らし、光を当てて見せると心に誓った。

この話で登場した心理学の概念:

  1. 共感疲労:支援者が被支援者のトラウマに過度に影響を受け、精神的に疲弊する現象。

  2. 認知的不協和:矛盾する信念や価値観を同時に抱えることで生じる心理的不快感。

登場人物:

  • 桜井由香(18歳):主人公。新人女性刑事。美人で洞察力が鋭い。

  • 藤原美樹(35歳):被害者。女性支援グループのボランティアスタッフ。

  • 村上健太(40歳):容疑者の一人。被害者の元恋人でDV加害者。

  • 田中美咲(32歳):容疑者の一人。被害者と支援方針で対立。

  • 吉田理沙(38歳):支援グループのカウンセラー。疲労が目立つ。

  • 中村警部(50歳):由香の上司。ベテラン刑事。

新出用語:

  1. 共感疲労(きょうかんひろう):英語では "Compassion Fatigue"。"Compassion" はラテン語の "com" (一緒に) と "pati" (苦しむ) に由来し、「共に苦しむ」という意味。過度の共感による精神的疲労を指す専門用語。

  2. 認知的不協和(にんちてきふきょうわ):英語では "Cognitive Dissonance"。"Cognitive" はラテン語の "cognoscere"(知る)に由来し、"Dissonance" は「不協和音」を意味するラテン語 "dissonantia" から来ている。矛盾する認知や行動による心理的不快感を表す心理学用語。

#創作大賞2025   #ミステリー小説部門

第1話終わり
次は第2話

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