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(第1話)ランサーズ社創業物語【創作大賞2025ビジネス部門応募作】2024/08/29分

■あらすじ■
ランサーズ株式会社の創業物語は、2008年に秋好陽介が設立したことから始まります。彼は、フリーランスが自由に働ける環境を作りたいという強い思いを持ち、クラウドソーシングサービス「Lancers」を立ち上げました。初期は苦難の連続でしたが、2010年には取引額が1億円を達成し、2019年には東京証券取引所に上場。コロナ禍を機にリモートワークの需要が高まり、さらなる成長を遂げました。現在、ランサーズはフリーランス支援のリーダーとして、日本の働き方を変革し続けています。

第1話:新たな働き方の夜明け

2008年4月、東京の小さなオフィスで、秋好陽介は深い息を吐いた。28歳の彼は、ついに自分の会社、株式会社リートを神奈川県川崎市に設立したのだ。窓の外では、春の柔らかな日差しが差し込んでいた。

秋好は椅子に深く腰掛け、これまでの道のりを振り返った。1980年生まれの彼は、幼少期から両親の影響で起業家精神を育んできた。父は中小企業の経営者、母は専業主婦だったが、二人とも「自分の人生は自分で切り開くもの」という価値観を持っていた。

大学時代、秋好は経済学を学びながら、様々なアルバイトやインターンシップを経験した。そこで彼は、日本の労働市場の硬直性や、才能ある人々が組織の枠に縛られている現状に疑問を感じ始めた。彼は、自由な働き方を求める人々がいることを知り、そのニーズに応えられるサービスを作りたいと考えるようになった。

大学卒業後、秋好は外資系コンサルティング会社に就職した。そこでの経験は彼の視野を大きく広げた。グローバルな視点、データ分析の重要性、そして何より、インターネットが持つ可能性。これらの要素が、後の起業につながる重要な基盤となった。

「誰もが自分の才能を活かせる世界を作りたい」

その思いが、秋好を起業へと駆り立てた。しかし、理想と現実の間には大きな隔たりがあった。資金調達の難しさ、ビジネスモデルの構築、そして何より、新しい概念を世に広める困難さ。秋好は机に向かい、ビジネスプランを何度も練り直した。

夜が更けていく中、秋好の脳裏に一つのアイデアが浮かんだ。「クラウドソーシング」。インターネットを通じて、企業と個人をつなぐプラットフォーム。それは、彼が描いていた新しい働き方の形だった。

興奮を抑えきれず、秋好は深夜にもかかわらず、共同創業者たちに連絡を取った。「聞いてくれ。僕たちがやるべきことが分かったんだ」

電話の向こうで、仲間たちも秋好の熱意に呼応した。彼らは夜通し話し合い、サービスの概要を固めていった。彼らの中には、技術面を担当する高橋秀明もいた。彼はプログラミングの専門家で、秋好のビジョンを実現するために欠かせない存在だった。

それから数ヶ月後の12月、クラウドソーシングサービス「Lancers」がついに誕生した。サービス名は、中世ヨーロッパの自由騎士「Lancer(ランサー)」から着想を得たものだった。自由に、自分の技術を活かして働く人々。それは、秋好が思い描いていた未来の働き方そのものだった。

しかし、これは始まりに過ぎなかった。サービスの認知度を上げること、ユーザーを獲得すること、そして何より、日本の労働市場に新しい風を吹き込むこと。課題は山積みだった。

最初の数ヶ月間、ユーザー数は思うように伸びなかった。秋好と仲間たちは、毎日遅くまでオフィスに残り、サービスの改善と宣伝に奔走した。時には、資金繰りに窮して個人の貯金を切り崩すこともあった。

「本当にこれでいいのだろうか」

そんな不安が頭をよぎることもあった。しかし、そんな時、秋好は自分がなぜこの事業を始めたのかを思い出した。才能ある人々が自由に働ける世界。その vision は、どんな困難があっても諦めるわけにはいかなかった。

ある日、一人のフリーランスデザイナーから感謝のメールが届いた。Lancers のおかげで、自分の才能を活かせる仕事に出会えたという。その言葉に、秋好は胸が熱くなるのを感じた。

「これだ。これこそが、僕たちがやるべきことなんだ」

秋好は決意を新たにした。たとえ道のりは険しくとも、一人でも多くの人々に新しい働き方の可能性を提供する。その使命感が、彼の原動力となった。

2009年に入り、少しずつではあるがユーザー数が増え始めた。8月には本社を神奈川県鎌倉市に移転し、10月には「Lancers アフィリエイト」をリリースするなど、着実に事業を拡大していった。

しかし、成長に伴い新たな課題も浮上した。品質管理の問題や、フリーランスと企業のミスマッチ。秋好たちは、これらの課題に一つ一つ丁寧に向き合った。ユーザーの声に耳を傾け、システムを改善し、サポート体制を強化していった。

2010年12月、簡単な作業を依頼できるサービス「Lancers タスク」をリリース。これにより、より多くの人々がクラウドソーシングを利用できるようになった。

秋好は、自分たちの挑戦が少しずつ実を結びつつあることを実感していた。しかし、彼の目指す「誰もが自分の才能を活かせる世界」の実現には、まだまだ長い道のりがあった。

「でも、一歩一歩前に進んでいる。そう信じている」

秋好は窓の外を見つめ、決意を新たにした。「これから始まる挑戦は、きっと簡単なものではない。でも、この思いを諦めるわけにはいかない」

彼の目には、未来への希望と不安が入り混じっていた。しかし、その瞳は強い意志に満ちていた。新しい時代の幕開けを告げる、その瞬間だった。

2012年5月、会社名をランサーズ株式会社に変更。これは単なる社名変更ではなく、クラウドソーシングという新しい働き方を社会に浸透させるという決意の表れだった。

秋好は、自社の成長だけでなく、フリーランス全体の地位向上にも力を注いだ。2013年2月には東京大学と自動検知に関する共同研究を開始。これは、クラウドソーシングの品質向上と信頼性確保のための重要な一歩となった。

同年6月、本社を東京都渋谷区に移転。この移転は、より多くの企業やフリーランスとの接点を増やし、事業を加速させるための戦略的な決断だった。

2014年1月、法人向けの一括業務委託サービス「Lancers for Business」をリリース。さらに、株式会社インテリジェンス(現パーソルキャリア株式会社)との業務提携を実施。これらの動きは、クラウドソーシングを企業の人材戦略に組み込むという新たな可能性を開いた。

同年12月には KDDI 株式会社との業務提携を実施。大手企業との連携は、Lancers の信頼性を高め、さらなる成長への道を開いた。

2015年3月、フリーランス実態調査を開始。これは、フリーランスの実態を可視化し、社会的認知を高めるための重要な取り組みとなった。

秋好は、クラウドソーシングの可能性を日本全国に広げることも忘れなかった。2015年9月、地方自治体向けサービス「エリアパートナープログラム」(現「Lancers AREA PARTNER」)を開始。地方の人材と都市部の仕事をマッチングさせることで、地方創生にも貢献しようとしたのだ。

そして2015年12月、初の海外現地法人「Lancers Philippine Crowdsourcing Inc.」の営業を開始。これは、Lancers のグローバル展開の第一歩となった。

2016年4月、セミナーやフリーランス交流のためのコワーキングスペース「新しい働き方LAB(ラボ)」を渋谷に新設。同時に、スキルやサービスの EC マーケット「ランサーズストア」をリリース。これらの取り組みは、フリーランスのコミュニティ形成と、より多様な働き方の提供を目指したものだった。

2017年には、プロフェッショナルフリーランス向けサービス「Lancers Top」(現「Lancers Agent」)をリリース。高度なスキルを持つフリーランスと企業のマッチングを強化し、クラウドソーシングの質的向上を図った。

2018年5月、株式会社新生銀行と連携し、フリーランス向けクレジットカード「FreCa」を開発・発行。これは、フリーランスの金融面でのサポートを強化する取り組みだった。

そして2019年12月16日、ついに東京証券取引所マザーズ市場に上場。これは、Lancers の成長と、クラウドソーシングという新しい働き方の社会的認知の証となった。

秋好は、上場の鐘を鳴らしながら、創業時の思いを振り返った。「誰もが自分の才能を活かせる世界」。その vision は、少しずつではあるが、確実に現実のものとなりつつあった。

しかし、これで終わりではない。むしろ、新たな挑戦の始まりだ。秋好の目には、さらなる高みを目指す決意の光が宿っていた。

Lancers の journey は、まだ続く。日本の、そして世界の働き方を変革する。その壮大な物語は、まだ序章に過ぎないのだ。

第1話終わり

#創作大賞2025 #ビジネス部門


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