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(第1話)ラクスル創業物語【創作大賞2025ビジネス部門応募作】2024/08/23公開

■あらすじ■
2009年、松本恭攝が印刷業界の非効率さに着目し、ラクスルを創業。デジタル技術で印刷のオンラインプラットフォームを構築。その後、物流(ハコベル)、広告(ノバセル)、ダンボール(ダンボールワン)へ事業拡大。東証マザーズ上場を経て、プライム市場へ。パンデミック下でも成長を続け、テクノロジーソリューション事業に進出。アジア展開も視野に。松本の「仕組みを変えれば、世界はもっと良くなる」というビジョンのもと、挑戦は続く。一部フィクションを含みますが、ほとんどは実話に基づいています。

第1話「革新の序章 - ラクスル創業記」

2009年9月1日、東京・渋谷。28歳の松本恭攝は、人生最大の決断を下そうとしていた。大手コンサルティング会社アクセンチュアを退職し、自らの会社「ラクスル」を立ち上げる瞬間だった。

松本は1981年、東京都出身。幼少期から両親の影響で起業家精神を育んでいた。父は中小企業診断士として独立し、母は専業主婦から料理教室を開業。その姿を見て育った松本は、「自分の力で何かを生み出す」ことに憧れを抱いていた。

2000年、松本は慶應義塾大学総合政策学部に入学。在学中の2002年8月、シリコンバレーを訪れる機会を得た。そこで目にしたのは、次々と世界を変えるサービスを生み出す企業群だった。GoogleやAppleの急成長、そしてFacebookの誕生。これらの企業の存在が、松本の心に強く刻まれた。

「いつか自分も、世界を変えるようなサービスを作り出したい」

その思いを胸に、松本は2004年4月、大学卒業後にアクセンチュアに入社。様々な業界のプロジェクトに携わる中で、日本の産業界の非効率さに気づいていった。

特に印象に残ったのは、2007年に携わった印刷業界のプロジェクトだった。

「松本さん、この業界は繁忙期と閑散期の差が激しいんです。12月は24時間フル稼働なのに、2月はほとんど仕事がない。でも、機械や人員は常に抱えていなきゃいけない。これが経営を圧迫しているんですよ」

クライアントの言葉が、松本の頭に新しいアイデアの種を植え付けた。印刷機の年間平均稼働率はわずか30〜40%。この余剰能力を活用できれば、業界全体の効率化につながるのではないか。

転機は、2008年9月15日に訪れた。リーマン・ブラザーズの破綻に端を発する世界金融危機。経済の大混乱は、松本の人生にも大きな影響を与えた。アクセンチュアでも、多くの企業がコスト削減に走り、コンサルティング案件は激減。松本は自身のキャリアについて、深く考えざるを得なくなった。

「このまま、誰かのために働き続けるのか。それとも...」

松本の心の中で、かつてシリコンバレーで感じた熱い思いが再び蘇ってきた。印刷業界の非効率さを解決するアイデア。それを実現する力が、自分にはあるはずだ。

しかし、起業の道のりが平坦でないことは、松本もよく分かっていた。安定した年収1,000万円以上の職を捨て、まったく未知の世界に飛び込むことへの不安。両親や周囲の反対。わずか300万円の貯金で始める起業への不安。乗り越えなければならない壁は、高く厚かった。

そんな中、松本の背中を押したのは、大学時代の恩師である國領二郎教授の言葉だった。

「松本君、人生は一度きりだ。後悔しない選択をしなさい。君には、世界を変える力がある」

その言葉が、松本の中で響き渡った。

「やるしかない」

2009年8月31日、松本はアクセンチュアに辞表を提出。そして翌日の9月1日、ラクスル株式会社を正式に設立した。設立時の資本金はわずか300万円。オフィスは、渋谷の小さなシェアオフィスの一角。従業員は松本を含めてたった3人。しかし、その3人の目には、強い決意の光が宿っていた。

ラクスルのビジネスモデルは、印刷業界の余剰生産能力を活用するというものだった。印刷会社の閑散期に注文を集中させることで、機械の稼働率を上げ、コストを下げる。そして、そのメリットを顧客に還元する。このアイデアは、松本がコンサルタント時代に培った経験と洞察から生まれたものだった。

しかし、このアイデアを現実のビジネスに落とし込むのは容易ではなかった。技術的な課題、信頼関係の構築、資金の問題。様々な壁が立ちはだかった。

設立から1ヶ月、松本たちは毎日100件以上の印刷会社に電話をかけ続けた。しかし、反応は芳しくなかった。

「ネットで受注?そんなの、品質管理できないじゃないか」
「余剰能力の活用?でも、それじゃあ本業に支障が出るんじゃないのか?」

断られ続ける日々。しかし、松本は諦めなかった。彼は、この仕組みが印刷業界に革命を起こすことを確信していた。

ようやく、設立から2ヶ月後の11月、一社の中小印刷会社が、ラクスルのサービスに興味を示した。

「まあ、試してみようか。うちも最近は暇な時間が多いしな」

その一社との取引が始まったことで、ラクスルは少しずつ動き始めた。最初の注文は小さな名刺の印刷だった。たった100枚、売上にして5,000円。しかし、松本たちにとっては、大きな一歩だった。

「よし、これを足がかりに」

松本は、さらに多くの印刷会社を回った。粘り強い交渉の末、少しずつではあるが、賛同してくれる会社が増えていった。2010年3月までに、提携印刷会社は10社にまで増えた。

そして、サービス開始から6ヶ月後の2010年4月、ついに大きな転機が訪れる。ある大手のIT企業から、10万枚のチラシ印刷の依頼が入ったのだ。通常なら100万円以上かかるはずの注文を、ラクスルは60万円という驚きの価格で引き受けることができた。

注文主の担当者は目を見開いた。

「こんな価格で、しかも3日で納品できるんですか? しかも品質も申し分ない...これは革命的だ」

この成功を皮切りに、ラクスルの名前が少しずつ業界内で知られるようになっていった。

「松本君のところ、面白いことやってるらしいぞ」
「ラクスルって知ってる? あそこ使うと、けっこう安く済むんだって」

口コミで評判が広がり、徐々に注文が増えていく。それに伴い、提携する印刷会社も増えていった。2010年9月までに、提携印刷会社は50社を超え、月間売上も1,000万円を突破した。

しかし、成長には新たな課題も生まれた。注文の増加に伴い、人手が足りなくなってきたのだ。松本たち3人は、毎日深夜まで働き続けた。食事は立ち食いのそば、仮眠はオフィスの床の上。そんな日々が続いた。

ある日、疲労困憊の面持ちで働く仲間たちに、松本は語りかけた。

「みんな、少し辛抱してくれ。俺たちは必ず成功する。今は踏ん張りどころなんだ。この苦労が、いつか笑い話になる日が来る。そう信じてる」

その言葉に、仲間たちは静かに頷いた。彼らの目には、強い決意の光が宿っていた。

そんな中、2010年11月、さらなる転機が訪れる。シリコンバレーの著名なベンチャーキャピタル、DCM社が、ラクスルに興味を示したのだ。

「松本さん、御社のビジネスモデル、非常に興味深いですね。我々で出資を検討させていただきたいのですが」

この申し出は、資金難に悩むラクスルにとって、まさに救世主のようなものだった。しかし、松本は慎重だった。

「ありがとうございます。ただ、私たちのビジョンを理解していただけるかどうか...」

幾度かの面談を経て、松本はDCM社の真剣さを確信。2011年1月、ついにラクスルは1億円の資金調達に成功する。

この資金を元に、ラクスルは本格的な成長のステージに入った。優秀なエンジニアを迎え入れ、システムを強化。営業チームも拡大し、全国の印刷会社とのネットワークを急速に広げていった。

2011年9月、サービス開始からちょうど2年。ラクスルの年間売上は5億円を突破。提携印刷会社は200社以上となり、顧客数も1万社を超えた。松本が掲げたビジョン「仕組みを変えれば、世界はもっと良くなる」が、現実のものとなりつつあった。

印刷業界に大きな衝撃を与えたラクスルの成功。「ネットで印刷」という概念が、徐々に浸透し始めていた。多くの人々が、印刷のあり方が変わりつつあることを感じ始めていた。

しかし、松本の野心はこれで満足するものではなかった。彼の頭の中には、すでに次の構想が浮かんでいた。

「印刷だけじゃない。物流だって、広告だって、まだまだ非効率な部分がある。全ての産業をもっと効率的に、もっと便利にできるはずだ」

松本は、オフィスの窓から東京の夜景を眺めながら、静かに微笑んだ。

「これは始まりに過ぎない。俺たちは、まだまだ世界を変えられる」

彼の瞳には、さらなる革新への情熱が燃え盛っていた。ラクスルの物語は、ここからが本番だった。

#創作大賞2025  #ビジネス部門



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