蓋振り返り part1

前置き

 こんにちは、noteでははじめまして、やすべです。
本文を書き進める前になぜ急にこんなことをし始めたのかということについて触れていきます。
 私は現在家から片道2時間かけて大学に通学しており、往復では4時間もの時間を移動に費やしているという状況でして、この時間をほとんどTwitterを見るのに使っているのは流石に…と感じていたわけであります。そこで三田の先輩方がnoteで振り返りを書いてるのを見て「なんか書いてみるかあ」と執筆欲が出てきたため、現在こんな文章を書き散らかすことになったと言うわけです。
 全体的に読みにくい日本語が散見されると思いますがご容赦いただけると幸いです。


原点

私がキャップを投げ始めたのは中学1年生のとき、わっきゃいさんの動画を見た小学校の友達におすすめされた所からです。当時はその友達と押し投げでキャッチボールをするくらいでしたが、その頃から既に炭酸飲料の蓋を好んでいた気がします。右手が言ってるんです、固いのが良いと。
時期は進み中2の夏頃、この頃からその友達と試合を始めました。といっても距離を測っていたことはなく、住宅地のちっさい公園の対角線上にマウンドとベースを仮想で置いたもので多分8mくらいだったはず。バットは友達の家に転がってたそれっぽい棒の周りに新聞紙を巻きつけまくって最後ガムテープで止めたものでしたがこれがまあ飛ぶ飛ぶ。公園に隣接してる民家の2階部分の壁に何回も飛びました。今考えるととんでもないクソガキです。ちなみにピッチングの内容はあんまり覚えてないです。2アウトから5点くらい取られた記憶だけあります。

見た目が武骨すぎる

この友達は中3あたりで近所から引っ越して疎遠になり、2人でキャップをやることは無くなってしまい寂しい限り。中高が違うと会うハードルが高くてどうにも…。

中2

打越リーグ、開幕

打越リーグってなんですか、今考えました(自問自答)。この頃同じクラスの仲の良かった連中と中学校でもキャップの試合を始めました。
昼休みに飯を食べながら試合を進めるスタイルでこっちも距離は近いしバットは部活で余った角材を部活のやすりで削りまくって(部活のやすり木屑まみれにしてすいませんでした)作ったものでいろいろ適当でした。特に近くに停まってた教師の車にノーバン直撃が三塁打なのは面白かった。東西で出たtinyのメンバーは全員この試合に参加していました。この頃から諌見はコントロール良くて別格でしたよ。あとは仲山がここぞで打つタイプの打者やってました。自分は押し投げと練習中の振り投げを混ぜつつまあまあのピッチングをしていました。
これらの試合は打席結果を記録して打率なんかも計算していたのですがいかんせん学生アドレスの共有ドライブが閉じられてて今は見られないのが悲しい限りです。

角材バット

中3

知っての通り2020年に世界はパンデミックに襲われました。それは我が浅野学園も例外ではなく、中3春は午前午後に授業が分かれて昼休みと言う概念が吹き飛び、その後も飯を外で食うなんてもってのほかという状況で打越リーグは自然消滅してしまいました。クラス替えもあったしね。
そんな中奥村諌見箟はしぶとくキャップを続けていたようでジャグリング部の練習スペースをジャグリング部が使わない朝などに無断使用してキャップを投げていました。この頃私は蓋のモチベが完全に消えていたのでずっとゲームかPCいじって遊んでました。

結局復帰した理由は覚えてないですが多分奥村に引きずられて復帰したと思います。中3の秋くらいなら復帰してこの頃には投げ方が完全に振り投げになってました。無論コントロールは目も当てられませんでしたが。一生上ずる蓋に「なんでそんなにライズするんだよォ!」とキレ散らかしていた記憶があります。打席にいた諌見も困惑してたと思います。残りの中3はそんな感じでコントロールに苦戦し続けていました。

高一

高校生になればコントロールが良くなる…なんてことはなくまあコントロールの悪いこと悪いこと。
高一で特筆すべき点は私と奥村があることを志したことだとでしょう。それは

蓋の全国制覇

全国47都道府県で蓋を投げると言うものでこの頃旅行に行きまくっていた私と奥村は行く先々で蓋を投げました。土岐市、塩尻、高崎、精進湖、千畳敷、果ては角館駅の15分の停車の間に投げるなど…。Twitterにあげた高千穂のキャップ投げはこういう背景があったんですね。今後沖縄でキャップ投げやる日とか来るんか…?それ以外はあんまり書くことないです。何かしら成長はしてると思うんですけどねぇ。

制覇状況、ぼちぼち頑張ります

高二

高二からは練習に大きな変化がありました。体育館練習の始まりです。諌見が横浜市民用のシステムから体育館を予約して土日なんかにそこでやるというのを月一くらいでやり始めました。体育館でやると言うことで動画を撮っていたのですがほとんどを共有ドライブに入れていたので大半がお釈迦に…。生き残ったやつTwitterにあげてましたね。この頃はまだ投本間も感覚でやってましたし私の左打ちは逆手でバットを振るという変態打ちを通り越した打ち方をしてたりでまだまだという感じでした。
高二の夏か秋頃からピッチングのフォームを気にしたりし始めて、「再現性」という部分に重きを置いて練習し始めた気がします。今でもそんなに再現性は高くないのでこれからも課題だと思います。ずっと。

奥村が9イニング投げ込んだ時の記録
9回にランナー出た時「9回裏同点のランナーが出た」とか言うから…

おわりに

いかがだったでしょうか。高三からは練習会や大会参加が増えて文量も多くなると予想されるのでここで一区切りとさせていただきます。こうして振り返ると思った以上に覚えてないもんですね…。高一高二で割と漫然と蓋を投げていたらしく少し反省です。まあそういった量をこなす投げ込みも今に繋がってはいるので良しとしましょう。ここまで駄文を読んでいただきありがとうございました。高三の振り返りもしばらくしたら投稿するので是非よろしくお願いします!

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