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奇跡講座の学びの終着点 輪廻転生する理由②

全ては夢の中のことという前提で私の今の時点での持論を語ってみたいと思います

先日ワークブックレッスンの学びの会に参加しました
私は自学自習スタイルなのでこういった勉強会に参加できることは自分の視点や理解から脱して大きな気づきを得ることができる機会でとてもありがたいことです

まず「奇跡講座」まえがきについて重要なことが書かれてあるということを教えていただきました
今までに読んだことのある箇所ではありますが内容について深く理解しようとしたことはありませんでした

「奇跡講座」はこのコース自体が終着地点であるとは主張せず、「ワークブック」のレッスンも受講生の学びを完成させるところまでは意図していない。最後には各人が自らの内なる教師に委ねられ、その後の学びはすべて、内なる教師により各人に最もふさわしい形で導かれることになる。(奇跡講座まえがきより)

これからは、神とあなたの真の自己を代弁する声のみを聞きなさい。聖霊はあなたの努力に方向性を与えるだろう。何をすべきか、どのようにして自分の心を導けばよいか、いつ聖霊の確実な導きと確かな言葉を求めて沈黙の内に聖霊のもとに行くべきかを、あなたに告げるだろう。(「ワークブック」、エピローグより)

奇跡講座/中央アート出版社

奇跡講座の学びが終着点ではないとあります
奇跡講座の学びを通して内なる教師と繋がることから各人の学びがスタートします
(私の場合はコース学習者ではありましたが学びを通して内なる教師と繋がった訳ではないので繋がり方は様々です)

その内なる教師に導かれて各人に相応しい形で(霊的成長の為の)学びに取り組むことになると明確にここに表現されていました

奇跡講座に書かれてあることは真理です
私達は分離など本当はしておらず今も神の愛と一体であることは事実なのでしょうが
この本を手にした誰もがそのことを真から理解することはできていません
もちろん私もです

霊的成長の為にはこの真理の概念を理解しておく必要がある為に、知識として奇跡講座の本がこの世界に置かれたのだと私は理解しています

内なる教師に繋がれば自ずと赦しが始まるので、コースには赦しのテクニック的なことはほとんど書かれていません
赦しが始まっている先導者に出会うことができるなら学ぶ機会はあるのですが、やはり基本は内なる教師に導かれながら真の赦しとは何かを理解していくことになります
(残念ながら現在ティーチャーとして教えてみえる方達は赦しについて一側面しか語られておらず、真の赦しの理解にはもっと多面的に捉えることが必要だと思います)

そして赦しをしていくことで自我的な概念が癒されていき
霊としてなぜこの地球という次元に意識が現れているのか、何をこの次元で霊的成長の為に学ぶことになっているのか全て内なる教師によって教え導かれることになります

肉体を持ってこの地球に生まれたように信じているのは今世取り組むべき各人の課題がここにあるからだと私は思っています

そして課題と共に役割として与えられた使命というものがあります
これは与えられた才能を世界で発揮する事が神への捧げ物となるからです
神への信仰心(神である自分を大切に思う気持ち)があれば人間のすることは全て神への捧げ物です

才能と言ってもこれも様々で自分の得意なこと、出来ることを表現するという程度の意味です
人によっては内から湧き出るとても強い使命感を持って天才的な才能を発揮する人もいます

霊的成長の為に使命を全うすることと課題に取り組むために私達は肉体を持って地球という次元で表現することが出来るのだと思います

これは赦しが始まっていなくても取り組めることです
探究の道に入った人ならば直感で自分の取り組むべき具体的な課題は見えているのではないでしょうか
親子関係を始め様々な人間関係のしがらみ、この世界の何かにとても執着していること等
課題は各人全く違うものです
それはできれば隠しておきたい、明らかにせず逃げたいという意識に持っていかれるものだと思います
私にもあります
もし分からなくても「コレかな?」と思うことからコツコツ取り組めれば良いと思います

真理から見るなら全て幻想ですが、赦しをする目的がその課題から逃げることなら赦しは何の役にも立たないままです
取り組みたくなくて隠すことはできますが結局それはどれだけ時間を使っても消えることなく罪悪感として現れ続けるので何処かで覚悟する時を待つ行為となるだけです

それも自分で決めれる選択肢なのでやるやらないは自由です
いつか向き合う事は決まっています
今やるかやらないかはどっちでもよく
自分自身のためにそれをしてあげたいという気持ちになることが大切です

赦しは自分自身の中の葛藤する二つの心の統合という意識的な手段なのですが
赦しが機能するまでにやるべきことがあります
今の自分の内に隠している課題を明らかにし
積極的に取り組みたいという態度(自分自身の為に間違いを正してあげたいや、何とかしてあげたいという気持ち)になるまで待たなくてはなりません
一般的な価値判断で取り組むかどうかを決めるのではありません
とにかく「自分の為に」という気持ちです

幻想内なので、時間など存在していませんいくらでも先延ばしていいのです

コースのいう階梯とは時間の中で輪廻転生を繰り返しながら段階的に達成する霊的成長のプロセスの進み具合のことではないかと思っています
課題に取り組まないなら結局は一番下の自我の階梯から上がることはできません

人間意識から神との合一の前段階おいて、まず私達は実相世界を体験することになっているそうです

その前に個人的に感じている魂を癒し二元性から一つに統合し無垢性としての存在の意識になる必要があるのだと思っています
無垢性とは何も隠す必要の無い状態です
価値判断など無い状態のことです

長期目標として人類の魂はそこを目指して輪廻を繰り返しているのではないかと思っています

まずは肉体レベルで課題に向き合い
赦しに向けた態度を整え
次の段階で自分の魂の傷のように感じているものを自ら癒し、分離意識を解消する手段として「赦し」がこの次元に与えられているのだと思います

このような説明では赦しはまるで個人的な癒しの為のもののように感じるかもしれません(個人的な葛藤を外す為だけでも赦しは使えます要は信念の書き換えです)
しかし真の赦しはこの次元の全ての意識を解放する役目として与えられたものであると理解しています

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