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犬が死に、EXILE THE SECONDのライブに行きSHOKICHIさんに救われて帰ってきた話

3月19日、16歳になった愛犬が死んだ。気の強い、飼い主と飼い主のおかあさん以外の人間にはさして興味がなく他犬にも興味がなくごはんにはかなり興味があり散歩が好きな犬が死んだ。
いのちがなくなった犬のからだはぐにゃぐにゃで抱き抱えている腕から漏れでていってしまいそうで泣き喚きながら必死に抱きとめて、いやだいやだと叫んでも犬はさようならなのよとスルスルと天国にダッシュして行ってしまった。
16年、わたしの大切な相棒だった。
泣いても泣いても涙が止まらず一晩たっても二晩たってもかわらず、ぐにゃぐにゃからカチコチに変わってしまった犬の手を握ってはおいおいと泣いた。
わたしの犬は我が道をいく犬で愛想が良い犬では全然なかった。わたしの友達に無の顔のままおしっこをかけたしどんなに話しかけても永遠に無だった。でも人間界でわたしという人間を散々救った功績があったため、季節外れの大雪警報がでて不要不急の外出は避けるようにと言われていた火葬の日を見事に晴らした。11時に火のなかに入り12時すぎに骨を拾わせてもらい家に帰ってきて13時、雲ひとつなかった空はあっという間に真っ暗になり吹雪になった。わたしは骨の入った箱を撫でくりまわしながら「すごいなメリィは」としみじみと言った。3月21日のことだった。

3月23日はもともとEXILE THE SECONDさんの長野公演にいく予定を入れていた。学生のころの試験でも短期集中型でちっとも成果を出せずに乗り越えられなかった反省をいかさないわたしは直前に予習していこうと思って寝かせていたセトリのプレイリストをついに聴くことができないままに長野に向かった。知っている曲はエクストでプレイした数曲のみという、本当に右も左も分からない状態だ。犬がいなくなって5日、ようやく四六時中泣かずにいられるようになった時期で、でも身体の9割が犬のことでいっぱいだ。あとの1割はライブを楽しめなかったらどうしようという気持ちだった。

SHOKICHIさんというひとが、愛にあふれていて音楽を愛し音楽に愛されピュアで愉快な語録をたくさんお持ちのおにいさんだというのはわかっていた。わたしは今市隆二さんを推させていただいているので(LDH語)なるほど今市隆二さんとおなじフォルダにいる人だ、という認識だった。生でパフォーマンスをみるのは当然初めてだった。
そうしてライブが始まった。たのしすぎる。すごい。経験値ってこういうことだっていうライブ、セクシーでブチアゲでおもしろくてアツい。すぐに夢中になった。
本編最後の曲の前にSHOKICHIさんがぽつりぽつりとお話をしてくれる時間がある。SHOKICHIさんの話はすごく静かで穏やかでとても優しい。こんなMCするひとはじめてみたなと思いながら最初は聞いていたのだけれど気がついたらボロボロに泣いていた。
SHOKICHIさんはするりと人の心の中に入ってくるお話の仕方をする。そして柔らかな光を灯して「足元どう?平気そう?よかった、じゃあいこう」そんな風に横並びに一歩を踏み出してくれているような錯覚をおぼえるのだ。
犬は死に、わたしは生きる。大丈夫よ、それはハッピーエンドにむかうために大切で必要な物語だったんだよ。そう言ってくれてた(言ってない)そのあとに歌った曲、はじめて聴いたけどなんて名曲なんだ。あんな曲聴いたことない。どうやったらあんな曲つくれるんだ。トワイライトシネマという曲だと教えてもらって家に帰ってすぐにダウンロードした。歌詞も永遠に読んでいる。
あのMCと曲の間にながした涙は悲しいだけのものではなくて、すごく心が軽くなった。SHOKICHIさんの話を聴き歌を聴きわたしは救われた、伝わることはないだろうけどそんな人がいる。います。ありがとう。
その日、家に戻りメリィにただいまをした。生きている時にそうしていたように、あのこの骨がはいっている大切な箱をたくさん撫でた。描いたとおりではないけど悪くはない現状だ、そう思ってまた泣いた。