『読書感想3』
W.Somerset Maugham
(1874-1965)
『Rain』雨
「雨」の舞台は、通称(Pago・Pago)パゴ・パゴと呼ばれる米領サモアのツツイラ島にある港街です。
マクフェイル博士夫妻は、任地エイピアに向かう船の中で、デイヴィドソン宣教師夫妻と知り会います。
デイヴィドソン宣教師の受け持ちは、サモアの北にある一群の島からなっていて、離れて散在していますので、彼はカヌーで巡回しています。そんな場合は、妻が本部に残り伝道の仕事をしています。
デイヴィドソン宣教師夫妻は、先住民の生活、結婚の習慣、衣服、ダンスの習慣。その他、先住民の伝統的な生活習慣をことごとく汚らわしい未開の文化として決めつけ、撲滅し西洋の文化を取り入れる教育に情熱を注ぎます。それを善と考えている二人です。
宣教師夫人は、マクフェイル夫妻にいつもこんな話を甲高い声で、いわゆるキリスト教の絶対的価値観について話続けます。いかに夫妻が、忠実に宣教師として任務を果たしているかと言う話です。普通は、(パゴ・パゴ)の港で帆船に乗り変えエイピアに入港する事になっていますが、麻疹が流行しているため船の中で他に感染者がいない事が確定するまで入港が許可されません。そこで、雨の降り続く港の宿で待つ事になります。
元、売春婦のミス・トムソンも同じように雨を凌ぐ宿をとります。
彼女は、ハワイの売春宿で働いていましたが、今度は、オーストラリアに渡ろうとしています。
ミス・トムソンは、毎夜賑やかに酒を飲み、ダンスをして騒ぎますので二組の夫妻は閉口します。
そこで、デイヴィドソン宣教師は、ミス・トムソンに狂信的とも思える布教への情熱を注ぎ始めます。
現地の総督も巻き込み、彼女をサンフランシスコの感化院に戻す策をめぐらし、ミス・トムソンを追い込んで行きます。
彼女は、「教化を受け入れ」悔い改めることを誓います。
宣教師デイヴィドソンは、「私は、一つの滅びた魂を、主の御手
に導く特権を与えられた」と瞳を輝かせます。
マクフエイル博士は、彼女に3年間もの感化院での生活を強いる結果を招いた宣教師に対し納得がいきませんでした。
翌朝、早く博士は起こされます。そして道に半分水につかったままのデイヴィドソン宣教師の死骸を見ます。死骸は、喉を耳から耳まで切られて、まだ右手に切ったカミソリを握っていました。
ミス・トムソンは、嘲笑の表情で
憎悪を込めて「男、男が何だ。豚だ! 汚らわしい豚! みんな同じ穴の狢だよ、おまえさん達は豚!豚」と罵ります。そこでマクフェイル博士は、一切をはっきり呑み込みましま。
『宣教師は、何故自殺したのか!』
19世紀、西洋文明を善とし、未開の文明を悪とし、宗教によって現地の文化を教化していった時代、デイヴィドソン宣教師は、その先鋒をかついだ宣教師であったが、デイヴィドソン自身、人間を越える事ができなかったと言う事でしようか!
モームは、自身の人間観について書いています。「人間について、もっとも私を驚かせたのは、彼らが矛盾に満ちていると言う事だ。首尾一貫した人間など、ただの一人もお目にかかった事はない。全く相容れない緒性質が同一物の中に存在し、それでいてもっともらしい調和を生んでいるのに驚かざるをえない』
モームは、文学に社会問題、政治、宗教、哲学を持ち込むのは邪道だと考えていました。ストーリーテラーに徹すると同時に、彼独特の人間観を織り込み
大衆が楽しめる大衆文学を築きました。この短編『雨』も最後にどんでん返しのあるストーリーで面白い話を創り出しています。
『雨』『赤毛』この二編は、短編小説史上の傑作だと評価されています。
モームの代表的傑作は長編『人間の絆』他『月と六ペンス』等があります。
未熟な読書感想を読んで頂き有り難うございました。🍃🍂