大学を三年間留年し続けた挙句にその後も引きこもりニートのド底辺人間だったオタクの話

2024年現在。
29歳、独身女。
そんな私は、タイトル通り、いやそれ以上の屑なのでとても今までの人生をつぶさに人には言えなかった。
でもそんな人間でもまだ生きています。
そんな人間の人生をふとネットに流出してみたくなった。どんな反応を貰うか、興味があった。
身内や知人にはとても言えないが、ネットの他人には言えるのが自分でも不思議だが。

これは性格も屑の底辺引きこもりニートが、そこまで落ちた切欠とそんな人間の現在の話です。

18歳、地元から東京に出て大学入学のタイミングで一人暮らしを始めた。
大学3年になるまではそこそこに単位をとって、そこそこにバイトをしてそこそこ遊んでサークルにも出ていた。
それ以外特筆して書くことは無い、ごく普通の大学生だった。
東京での生活は楽しかった。
とにかく物が多い。買い物に困らない。移動にも困らない。
車で30分運転しなければ駅すらない地元とは大違いだった。

2016年
ここで人生が狂った。
ある映画を見てきた。
狂った。
こんなにも好みの人間がいたのか!?!?!?と衝撃を受けてしまった。
軽い気持ちでそのコンテンツを消費してきた人間にはこんなにもドドドド性癖のキャラクターがいたことが衝撃だった。
それまで以上に二次創作というものに触れるようになった。それまでは好きな漫画があったらなんとなく二次イラストや小説を読む程度のオタクだった。
小説を書いた。
専用のTwitterアカウントを作った。
ピクシブで小説を投稿した。
旬ジャンルだったということもあり、多くの反応をもらって承認欲求を刺激されまくった。
二次創作というものは原作というオリジナル作品の褌で相撲を取る作品なので、人気作品に反応が集まるのは当然だったし、多くの人間が好きそうなストーリーを作れば感想が貰えるのも当たり前だった。
同じジャンルのオタクと交流するようになった。
性癖の合う人に出逢えた。
楽しかった。とにかく楽しかった。
元々小説を書くことが大好きだったのだ。中学生の頃に出版社に小説を投稿するくらいには書くことが好きだった。公開すらしない二次創作を書いたり、オリジナルでも何かしら書いたり、とにかく小説を書くのが好きだった。
多くの反応を貰うのがこんなにも楽しいなんて知らなかった。
知らない方がよかった。

大学の勉強よりもオタクの生活の方が楽しかった。
大学をサボるようになった。

同人誌というものを出すようになった。
ネット上でしか会わなかった人間に会うのは楽しかった。趣味性癖が合うなら尚更。
自分の書いたものを好きだと言われるのは嬉しかったし、やっぱり楽しかった。

3年の単位をほとんど落とした。
それでも大学には行かなかった。
4年になってもほとんど行かなかった。
当然のように4年の時もほとんど単位を取らなかった。ほとんどというよりゼロだったと思う。
それでも、引きこもりオタクの生活を続けた。
当然、リアルの人間関係も希薄になっていく。大学の友人は当然大学院進学の勉強だったりインターンや就職活動なり私との差が開いていた。
たまに大学に行った時に「久しぶりじゃん!今何してるの?」と聞かれた時は、流石の私も正直に引きこもっていたなどとは言えず「インターン行ってた」などと言っていた。
当然インターンなど行ってないしそれどころか卒業すらあやしいのに。
最早学生と言えるかどうかも怪しかった。
留年した。
留年なんて言葉が自分に関係するなんて高校三年生の時にはまるで想像がつかなかった。

それでもオタク活動は止められなかった。だってそっちの方が楽しかった。
3年間くらいたまにバイトをしながらそんな生活を続けた。
大学を留年し続けて、いっそ退学したかった。退学して就職しようなんて甘い考えを持っていた。
大学を退学しなかったのは一重に親の支援のおかげでしかない。
大学だけは卒業しろ、体だけは売るな、留年していた三年はずっと言われてた言葉だった。
親ガチャなんて言葉があるが、それで言えば私の親は子供ガチャで大外れを引いてしまった。

留年して二年ほど、ある印刷会社で受付のバイトをしていた。9時~5時、週5日フルタイム出勤だった。
当然、正社員になるという話もあった。
あったけれど、その時には通学すらしていない大学のことを考えて断ってしまった。
今思えばそのままそこで就職していた方が良かったのかもしれない。バイトの内容は楽しかったから。

バイトを辞めた。働くのが面倒くさくなってしまった。
コロナになり、引きこもりの私でも単位を取れるようになりなんとか大学を卒業した。
それでも就職はしなかった。
とにかく仕事をしたくなかった。
面倒くさかったのだ。
それでも金だけは出ていってしまう。ただでさえ東京は物価も家賃も高いのだ。
バイトだけでは当然足りない。
親に支援はしてもらっていた。
それでも足りない。


体を売るようになった。


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