透視図法試論ー視覚的無意識の手触り

 美術評論家・高階秀爾は、16世紀~17世紀の日本で盛んに描かれた、京都の市街及び郊外を俯瞰する《洛中洛外図》のジャンルに属する屏風の表現に、西欧とは異なる「互いに矛盾するさまざまな価値の共存を認める日本文化の多元性」(★1)を見出している。高階によれば、《洛中洛外図》は、「写真のようにある特定の瞬間に一つの固定した視点から対象をとらえることを前提」(★2)とした遠近法(透視図法)や明暗法といった西欧的絵画技法とは対照的な、「自由に移動する視点から眺められた対象を並置する手法」(★3)を主とし描かれている。すなわち、《洛中洛外図》は、町を雲の上から見下ろすような俯瞰構図で描かれているが、西欧の遠近法的表現である鳥瞰図のように、一つの固定した視点から町を見下ろすようにして描かれたものではない。むしろここでは、画家が京都の町中を自由に移動し、至近距離から女性の着物の柄模様や猿回しや大道商人や通行人などの人々の表情といった細部をも眺め描写したものを、屏風上に次から次に並置する手法がとられているというのである。(★4)たしかに、町全体を見通すべく空中においた一つの固定した視点からでは、女性の着物の柄模様など細かく描けるはずがない。さらに高階は、ここでの「自由に移動する視点」はそれぞれの対象を最もふさわしい視点(都市の概観は空中から見下ろす視点で、各々の人物を区別させるシルエットは水平方向からの視点で、都市の生活情景は至近距離からの視点で)で描くために導入されたのだと指摘している。(★5)
 こうした《洛中洛外図》の構図的分析から、主体(=画家)を絶対化し、全ての対象を「主体の視点の下に従属させようとする」(★6)西欧的観点とは異なる、それぞれの対象(=客体)にふさわしい視点を画家が自由に採用するような、日本の伝統文化にある、矛盾するさまざまな客体をそのまま尊重する態度を見出しているのである。

 高階は《洛中洛外図》の分析を通して、日本の伝統的観点の中に、種々の客体を尊重する態度を見出した。彼の構図的分析にしたがえばこの結論は自明であるように思える。実際に私見ではあるが、このような「主体を絶対視する合理的価値観を持つ西欧vs客体の細部の美をも感じる感性豊かな日本」という図式は広く流布している。
 しかし、《洛中洛外図》を通して、日本文化の伝統の中に客体を尊重する態度があると言い切ることはできるのだろうか。そこで見落とされているものはないのだろうか。あるとしたら、それはなんなのか。本稿はこうした問題意識の上にある。

 合理的価値観を持つ西欧のオルタナティブだとされる日本的伝統文化の位相を再検討すること。この試みは、西欧のオルタナティブとしての日本という文脈からでは決して捉えられなかったであろう、日本の伝統文化に潜んでいたある種の暴力性を明らかにする意義を持つといえるだろう。西欧的合理主義は、自然を征服し、「未開」の土地を蹂躙し、やがてひとをガス室に送るような暴力の理論的背景になってしまった。ポストモダンと呼ばれる思想はこうした事態への反省から生じているとも考えられる。
 こうしてみれば、日本の伝統文化が、すべてを統一的秩序に位置づける西欧的合理主義とは相異なる価値観を持っているとの主張は、日本は西欧的合理主義に支えられたような暴力性を持っていなかった(あるいは持っていない)との主張を意味することになるといえる。とすれば、もし日本の伝統文化の中に西欧的合理主義にみられたような暴力性があった場合、西欧のオルタナティブとしての日本像を素朴に信じる態度は、日本文化を安易に賛美する軽薄な態度につながるだけでなく、暴力性のない日本万歳という過激なナショナリズム、さらには西欧の暴力的価値観を排除した真の日本文化を取り戻せというような排外主義の罠にとらわれる危険性を有していることになる。だからこそ、日本美術史を語るうえで自明の前提となっているであろう「西欧のオルタナティブとしての日本」という枠組み自体を疑ってみることが重要となるのだ。

 とはいってもぼくには、日本美術史を概観しそこに通底する精神を見出す力もなければ、先の高階のように作品自体を構図的に分析し、そこから日本の伝統文化が持つ価値観を取り出す力もない。そこで本稿では、高階の《洛中洛外図》の構図的分析が正しいとして、その上での高階の結論、すなわち日本の伝統的観点の中に客体を尊重する態度を見出した点を批判的に検討することで、「西欧のオルタナティブとしての日本」像に揺さぶりをかけることを目指す。
 そのためには、本来ならば《洛中洛外図》について構図的観点以外の視点から考える必要があるのかもしれないが、ここではまず、先ほどの議論で少し話題に上がった遠近法(透視図法)へと話を迂回させることにしたい。では、なぜここで遠近法(透視図法)について考えておく必要があるのか。



★1 高階秀爾『日本人にとって美しさとは何か』、筑摩書房、2015、90頁

★2 同上、88頁

★3 同上、90頁

★4 高階秀爾『日本美術を見る眼 東と西の出会い』、岩波書店、1996、10頁および13-14頁

★5 『日本人にとって美しさとは何か』、90頁

★6 同上、90頁

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