自己紹介
このnoteでは主に批評(ここでは哲学的文章や文学作品の読解,芸術鑑賞,日常の経験などから構築された自らの思考を綴る文章群をさす)をあげていく予定です。そこで、ぼくがどういう背景を持った人物なのかを少しでも知っておいていただけていると、ここでの批評により親しみを感じていただけるだろうということで、自己紹介の記事を最初に書くことにしました。(大学アカなので大学デビューという側面もありますが…)
まず、なぜぼくが批評に興味をもったのかについて。ぼくが人文的な文章を最初に読み始めたのは、高2の時です。公民の先生が見せてくれた宮台真司と落合陽一との対談の中で話題にあがった宮台真司『制服少女たちの選択』の刺激的なタイトルに惹かれ読み始めたことがきっかけです。(刺激的というか単純にえっちだと思いました。ぼくはえっちかえっちじゃないかで物事を判断するくせがあるようです)身の回りでおこっている現象から社会という大きなものを語る手つきに興味を覚え、そこからサブカルチャー分析に関心を持つようになり、東浩紀『動物化するポストモダン』に出会いました。そこで出てきた「抑圧からの再開帰」というタームにかっこよさを感じ、批評を勉強すればこんなかっこいい言葉で世界について語ることができるのだと思い東浩紀の本を読み進めていきました。批評に興味を持ったきっかけは、批評にえっちさとかっこよさを感じたからでした。今でも、批評は大きなことを語れるかっこいいスタイルだと思っています。
そんなこんなで東浩紀にはまっていく中、高3になり学校で倫理の授業(哲学史などを学ぶ)が始まったことで、より東浩紀の文章が読みやすくなっていきました。彼の「ゲンロン0 観光客の哲学」では、倫理で学んだ空想的だと思っていた哲学的概念を現実の社会問題を考える手段とする手つきに興奮を覚え、彼のデリダ研究の博論をもとにした「存在論的、郵便的」では、複雑な概念を様々な哲学的知見を使い謎解きのごとく解明していく手つきに感動を覚えました。その感動から「存在論的、郵便的」を使い、俳句の考察をした文章を書き、哲学のコンクールで賞を頂きました。これにより、ぼくは自意識過剰になっていきました。
高3で哲学の賞を受賞したことで有頂天になっていたぼくは、その年の受験は全落ち。浪人が確定しました。浪人期に自分のやりたいことを考えていく中で、批評には関心があるが本当に哲学に関心があるのかと疑問を抱き、浪人期の冬に東京藝術大学を第一志望にしました。(最初に第一志望にしていた京都大学を諦めた反動で東京藝大を志望したという側面もあります…悲しい…)結局、東京藝術大学と早慶には落ち、上智文学部哲学科に進学する運びとなりました。今は、東京藝術大学を受験する際に考えていた遠近法と日本美術の関係に関心があります。これはそのうち文章にする予定です。ぜひ読んでください。
東浩紀を超える批評家になりたい(高校生のときのぼくが東浩紀より面白いと思える批評を書きたい)というのがぼくの夢です。浪人期にできた川端康成を研究している友達の院生は、夢を持ち続けていればいつか何らかの形になる、と言ってくれました。夢は叶わないかもしれない。しかし、ぼくが何かを形にすること、それ自体にも意味があると思っています。だから、とにかくここでは批評を書きます。
最後アツくなりすぎた。。まぁ、こんな感じのひとです。これからよろしくお願いします!
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