The Clash of Civilizations?          ( 文明の衝突) 

Samuel P. Huntington(サミュエル・フィリップス・ハンティントン)
1993年 Foreign Affairsに掲載したものから日本語訳

「Abstract:Акичка(文)

Samuel Huntingtonの論文「文明の衝突?」(1993年)は、
外交誌:Foreign Affairsに掲載されたもので、9つのサブチャプターから成り立っています。
Huntingtonの「文明の衝突」というテーゼは、冷戦後の紛争は主に文明を中心に展開すると主張し、かなりの議論を巻き起こしました。
この要約では、彼の主要なアイデアとポイントを、元の論文の流れに従って簡単に説明します。

Samuel Huntingtonは、冷戦後の国家間紛争において、異なる文明間の衝突が重要な役割を果たしているという考えを支持する証拠を提示しています。彼は、冷戦の前後を通じ、異なる文明の国々が紛争に関与する可能性が高いことを発見しました。また、冷戦期にはイデオロギーと超大国の同盟関係が文明間の緊張を抑制していたことも明らかにしています。

 Huntingtonも多くの学者と同様に、新たな政治的世界秩序の出現を予見しています。増加する対立の新たな現実。他の学者たちとは対照的に、彼はこれらの対立の中心に政治や経済ではなく文化があると考えています。異なる文明を代表する国家の集団は、「文明政治」の時代を導入し互いに戦うことになるだろうと述べています。

 Huntingtonにとって、世界とその国家は政治や経済の観点ではなく、文化と文明の観点から見るべきだと考えています。彼はそれに基づき文化を定義、2つの多層要素と区別したうえで、村、国、大陸の例を提供し、異なるレベルでの文化的な集団を構成しています。
 
彼は最終的に、文明を次のように定義します。
 「文明とは、人々の最高の文化的な集団であり、人間を他の種と区別するものを除いて、人々が持つ文化的アイデンティティの最も広いレベルである。」さらに、彼は文明に動的な属性を付与している(文明にはダイナミックな特性があり、拡大、崩壊、あるいは変容したりする)

彼の論文のサブチャプターの最後の行で、文明が国家国家よりもはるかに以前から存在し、国際システムの主要な構成要素として機能してきたことを強調しています。

誤字・誤訳などご了承ください。以下、本文です。


次世代の紛争のパターン:THE NEXT PATTERN OF CONFLICT

世界政治は新たな局面を迎えており、知識人たちは、歴史
の終焉、国民国家間の伝統的な対立関係の復活、部族主義
とグローバリズムの相反する引力からの国民国家の脱却な
ど、それがどのようなものになるのかについてのビジョン
を躊躇なく広めてきた。これらのビジョンはいずれも、新
たな現実の一面を捉えている。しかし、これらのビジョン
はいずれも、今後数年間で世界政治がどうなっていくかと
いう重大な、いや、中心的な側面を見逃している。
この新しい世界における紛争の根本的な原因は、イデオ
ロギー的なものでも経済的なものでもない、というのが私
の仮説である。人類間の大きな分断、そして紛争の主な原
因は文化的なものになるだろう。国家は世界情勢における
最も強力なアクターであり続けるだろうが、世界政治にお
ける主要な対立は、国家間や異なる文明のグループ間で起
こるだろう。文明の衝突が世界政治を支配する。文明間の
断層が未来の戦線となる。
文明間の紛争は、現代世界における紛争の進化における
最新の段階である。ウェストファリア講和によって近代的
な国際システムが誕生してから1世紀半の間、西欧世界の
紛争は、官僚機構、軍隊、重商主義的な経済力、そして最
も重要な支配地域の拡大を試みる君主-皇帝、絶対君主、
立憲君主の間で起こっていた。その過程で彼らは国民国家
を作り上げ、フランス革命以降、主要な対立軸は君主では
なく国家間となった。1793年、R.R.パーマーは次のように
述べている。

この19世紀のパターンは、第一次世界大戦が終わるまで続
いた。その後、ロシア革命とそれに対する反動の結果、
国家間の対立はイデオロギーの対立へと移行した。冷戦時代
には、この後者の対立が2つの超大国間の闘争に具現化された。

これらの王侯、国家、イデオロギー間の紛争は、主とし
て西洋文明内の紛争であり、ウィリアム・リンドが「西洋
内戦」と名付けたものである。これは、世界大戦や17世紀、
18世紀、19世紀の戦争と同様、冷戦にも当てはまる。
冷戦の終結によって、国際政治は西欧の段階から脱却し、
その中心は西欧と非西欧文明、非西欧文明間の相互作用と
なった。文明の政治において、非西洋文明の人々や政府は、
もはや西洋の植民地主義の標的として歴史の対象であり続
けるのではなく、歴史を動かし、形作る者として西洋に加
わるのである。


文明の性質(本質):THE NATURE OF CIVILIZATIONS

冷戦時代、世界は第一、第二、第三の世界に分かれていた。
こうした区分はもはや意味がない。現在では、政治体制や
経済体制、経済発展の度合いではなく、むしろ文化や文明と
いう観点から国々をグループ分けすることの方がはるかに
有意義である。
文明とは何か?文明とは文化的実体である。村、地域、民
族、国籍、宗教集団はすべて、異なるレベルの文化的異質
性において、明確な文化を持っている。南イタリアの村の
文化は、北イタリアの村の文化とは異なるかもしれないが
、どちらもドイツの村とは異なるイタリア文化を共有して
いる。ヨーロッパのコミュニティは、アラブや中国のコミ
ュニティと区別する文化的特徴を共有している。しかし、
アラブ人も中国人も西洋人も、より広い文化的実体の一部
ではない。彼らは文明を構成している。したがって、
文明とは最高の文化である。
人々の集団であり、人類を他の種から区別するものには及
ばないが、人々が持つ最も広範な文化的アイデンティティ
である。文化的アイデンティティは、言語、歴史、宗教、
習慣、制度といった共通の客観的要素と、人々の主観的な
自己認識によって定義される。ローマに住む人は、ローマ
人、イタリア人、カトリック教徒、キリスト教徒、ヨーロ
ッパ人、西洋人など、さまざまなレベルで自分自身を定義
することができる。ローマに住む人は、ローマ人、イタリ
ア人、カトリック教徒、キリスト教徒、ヨーロッパ人、西
洋人など、さまざまなレベルのアイデンティティを持つ。
人は自分のアイデンティティを再定義することができるし、
実際に再定義している。

文明は、ルシアン・パイの言う「国家のふりをした文明
」である中国のように多数の人々を含む場合もあれば、英
米人のようにごく少数の人々を含む場合もある。文明には
、西洋文明、ラテンアメリカ文明、アラブ文明のように複
数の国家が含まれることもあれば、日本文明のように1つ
しか含まれないこともある。文明は当然、混ざり合い、重
なり合い、亜文明を含むこともある。西洋文明にはヨーロ
ッパ文明と北米文明があり、イスラム文明にはアラブ文明
、テュルク文明、マレー文明がある。とはいえ、文明は意
味のある存在であり、その境界線が鋭くなることはめった
にないが、実際に存在する。文明はダイナミックであり、
栄枯盛衰を繰り返し、分裂と合併を繰り返す。

そして、歴史を学ぶ者なら誰でも知っているように、
文明は消滅し、時の砂に埋もれていく。
欧米人は、国民国家が世界情勢における主要なアクター
であると考えがちである。しかし、国家がそうであったの
はほんの数世紀のことである。人類史のより広い範囲は、
文明の歴史であった。
アーノルド・トインビー(Arnold Joseph Toynbee)
は『歴史の研究:A Study of History』の中で、
21の主要文明を挙げている。

文明はなぜ衝突するのか:WHY CIVILIZATIONS WILL CLASH

文明のアイデンティティは今後ますます重要になり、世界
は7つか8つの主要な文明の相互作用によって大きく形作ら
れるだろう。これらには、西洋文明、儒教文明、日本文明
、イスラム文明、ヒンドゥー文明、スラブ・正統派文明、
ラテンアメリカ文明、そしてアフリカ文明が含まれる可能
性がある。将来の最も重要な紛争は、これらの文明を隔て
る文化的断層に沿って起こるだろう。互いに。
なぜそうなるのか?
第一に、文明間の違いは実在するだけでなく、基本的な
ものである。文明は歴史、言語、文化、伝統、そして最も
重要な宗教によって互いに区別される。異なる文明の人々
は、神と人間、個人と集団、市民と国家、親と子、夫と妻
、権利と責任、自由と権威、平等とヒエラルキーの相対的
な重要性についての見解も異なる。こうした相違は、何世
紀にもわたって積み重ねられてきたものだ。すぐに消える
ことはないだろう。政治イデオロギーや政治体制の違いよ
りも、はるかに根源的なものである。相違は必ずしも対立
を意味せず、対立は必ずしも暴力を意味しない。しかし、
何世紀にもわたって、文明間の相違は最も長期化し、最も
暴力的な紛争を生み出してきた。
第二に、世界は小さくなっている。異なる文明の人々の
交流はますます盛んになっており、こうした交流の増加は
、文明間の差異と文明内の共通性に対する文明意識と自覚
を強めている。北アフリカからフランスへの移民は、フラ
ンス人の間にホスピタリティを生み出すと同時に、「善良
な」ヨーロッパのカトリック教徒であるポーランド人の移
民に対する受容性を高める。アメリカ人は、カナダやヨー
ロッパ諸国からの大規模な投資よりも、日本からの投資に
はるかに否定的な反応を示す。同様に、ドナルド・ホロウ
ィッツが指摘しているように、「イボ人は、ナイジェリア
の東部地方ではオウェリのイボ人かもしれないし、
オニツァのイボ人かもしれない。ラゴスでは単にイボ人である。
ロンドンではナイジェリア人。ニューヨークではアフリカ
人である。異なる文明の人々の交流は、人々の文明意識を
高め、その結果、歴史の奥深くにまで遡る、あるいは遡る
と考えられている相違や敵意を活性化させる。
第三に、世界中で経済的近代化と社会的変化のプロセス
が、人々を長年にわたる地域的アイデンティティから引き
離そうとしている。また、アイデンティティの源泉として
の国家も弱体化している。世界の多くの地域では、宗教が
このギャップを埋めるために、しばしば「原理主義」と
レッテルを貼られる運動という形で進出してきた。
こうした動きは、イスラム教だけでなく、西方キリスト教、
ユダヤ教、ブッディズム、ヒンドゥー教にも見られる。
ほとんどの国と原理主義運動で活動する人々の多くは、
大卒の若い中産階級の技術者、専門家、ビジネスマンである。

ジョージ・ヴァイゲルは、「世界の非世俗化」は
「20世紀後半における支配的な社会的事実のひとつである」と述べている。
ジル・ケペルの言うところの "la revanche de Dieu "である宗教
の復活は、国境を越え、文明を統合するアイデンティティ
とコミットメントの基盤を提供する。
第四に、文明意識の成長は西洋の二重の役割によって促
進される。一方では、西洋は絶頂期にある。しかし同時に
、おそらくその結果として、非西洋文明圏では原点回帰現
象が起きている。日本では内向き志向と「アジア化」、イ
ンドではネルーの遺産の終焉と「ヒンドゥー化」、中東で
は社会主義とナショナリズムという西洋の思想の失敗とそ
れゆえの「再イスラム化」、そしてエリツィンの国では西
洋化とロシア化をめぐる論争が起きている。絶頂期にある
西欧は、世界を非西欧的な方法で形成しようとする欲望、
意志、資源をますます持つ非西欧と対峙している。
かつて、非西洋社会のエリートはたいてい西洋と最も関
わりを持ち、オックスフォードやソルボンヌ、サンドハー
ストで教育を受け、西洋の考え方や価値観を吸収してきた
人々だった。同時に、非西洋諸国の民衆は、しばしば土着
の文化に深く染まったままであった。しかし今、こうした
関係は逆転しつつある。多くの非西欧諸国では、エリート
の脱西欧化と土着化が進んでおり、それと同時に、欧米
(通常はアメリカ)の文化、スタイル、習慣が大衆の間で
人気を博している。
第五に、文化的な特徴や相違は、政治的・経済的な特徴
や相違に比べ、変化しにくく、したがって妥協や解決が容
易でない。旧ソ連では、共産主義者が民主主義者になった
り、金持ちが貧乏人になったり、貧乏人が金持ちになった
りすることはあっても、ロシア人がエストニア人になった
り、アゼリー人がアルメニア人になったりすることはない
。階級闘争やイデオロギー闘争では、「あなたはどちらの
側にいるのか」ということが重要な問題であり、人々はど
ちら側を選ぶことも、どちら側を変えることもできたし、
実際にそうしてきた。文明間の対立では、"あなたは何者か?"
が、問われる。
それは変えようのないことなのだ。そして私たちは
ボスニアからコーカサス、スーダンに至るまで、この質問
に対する答えを誤れば、頭に銃弾が撃ち込まれることにな
る。民族以上に、宗教は人々の間に鋭く排他的な差別をも
たらす。フランス人とアラブ人のハーフであり、同時に2
つの国の国民であることさえある。カトリックとイスラム
のハーフになるのはもっと難しい。

最後に、経済的地域主義が拡大している。貿易総額に占
める域内貿易の割合は、1980年から1989年の間に、ヨーロ
ッパでは51%から59%に、東アジアでは33%から37%に、
北米では32%から36%に上昇した。地域経済圏の重要性は
、今後も高まり続けるだろう。一方では、経済的地域主義
が成功すれば、文明意識が強化される。他方、経済的地域
主義が成功するのは、それが共通の文明意識に根ざしてい
る場合に限られる。欧州共同体は、欧州文化と西方キリス
ト教という共通の基盤の上に成り立っている。北米自由貿
易地域の成功は、現在進行中のメキシコ、カナダ、アメリ
カの文化の融合にかかっている。これとは対照的に、日本
は東アジアにおいて同等の経済圏を構築することが困難で
ある。日本が他の東アジア諸国といかに強力な貿易・投資
関係を築こうとも、それらの国々との文化の違いが、
ヨーロッパや北米のような地域経済統合の推進を阻害し、
おそらく不可能にしているのである。
対照的に、共通の文化は、中華人民共和国と香港、台湾、
シンガポール、その他のアジア諸国の華僑コミュニティとの
経済関係の急速な拡大を明らかに促進している。
冷戦が終結し、文化的共通性がイデオロギーの相違をますます
克服するようになり、中国本土と台湾は接近している。
文化的共通性が経済統合の前提条件であるとすれば、
将来の主要な東アジア経済ブロックは中国を中心としたものに
なるだろう。実際、このブロックはすでに誕生しつつある。
マレー・ワイデンバウム(Murray Weidenbaum)は
次のように述べている、
現在、日本がこの地域を支配しているにもかかわらず、
中国を基盤とするアジア経済は、産業、商業、金融の新た
な中心地として急速に台頭しつつある。この戦略的地域
にはサブ大量の技術と製造能力(台湾)、卓越した
起業家精神、マーケティング、サービス能力(香港)、
優れた通信ネットワーク(シンガポール)、膨大な金融資本
(3つとも)、そして非常に大きな土地、資源、労働力(中国
本土) より広州からシンガポール、クアラルンプールから
マニラまで、この影響力のあるネットワークは、しばしば
伝統的な一族の延長線上にあり、東アジア経済の屋台骨と
言われている。

文化や宗教は、アラブ以外のイスラム諸国10カ国が加盟
する経済協力機構の基盤にもなっている:イラン、パキス
タン、トルコ、アゼルバイジャン、カザフスタン、キルギ
ス、トルクメニスタン、タジキスタン、ウズベキスタン、
アフガニスタンである。1960年代にトルコ、パキスタン、
イランによって設立されたこの組織が復活し、拡大する原
動力のひとつとなったのは、これらの国々の指導者たちが
、欧州共同体への加盟の可能性がないことを悟ったからで
ある。同様に、カリコム、中米共同市場、メルコスールは、
共通の文化的基盤の上に成り立っている。しかし、
カリブ海諸国と中米諸国が、英米とラテンアメリカの架け橋と
なるような、より広範な経済圏を構築しようとする努力は、
今日に至るまで失敗に終わっている。

人々が民族や宗教の用語で自分たちのアイデンティティを
定義すると、自分たちと異なる民族や宗教の人々との間
に「我々」対「彼ら」の関係が存在すると考えるようになる。
東欧や旧ソビエト連邦では、イデオロギー的に定義さ
れた国家が終焉を迎え、伝統的な民族的アイデンティティ
や対立軸が前面に出てくるようになった。文化や宗教の違
いは、人権から移民、貿易や通商、環境に至るまで、政策
課題をめぐる相違を生む。ボスニアからミンダナオ島に至
るまで、地理的近接性によって領土の主張が対立している。
最も重要なことは、民主主義や自由主義を普遍的価値と
して推進し、軍事的優位を維持し、環境保護に貢献しよう
とする西洋の努力が、他の文明からの反発を招いているこ
とである。イデオロギーに基づいて支持を動員し、連合を
形成する力は弱まり、政府やグループは共通の宗教や文明
のアイデンティティに訴えることで支持を動員しようとす
る傾向が強まるだろう。
文明の衝突は、このように2つのレベルで起こる。ミク
ロ・レベルでは、文明間の断層線に沿って隣接する集団が
、しばしば暴力的に、領土と互いの支配をめぐって争う。
マクロレベルでは、異なる文明の国家が相対的な軍事力や
経済力をめぐって争い、国際機関や第三者の支配権をめぐ
って争い、特定の政治的・宗教的価値を競って宣伝する。


文明の断層:THE FAULT LINES BETWEEN CIVILIZATIONS

文明間の断層は、冷戦時代の政治的・イデオロギー的境界
線に代わって、危機と流血の火種となりつつある。冷戦は、
鉄のカーテンがヨーロッパを政治的、イデオロギー的に
分断したことから始まった。冷戦は鉄のカーテンの終焉と
ともに終わった。ヨーロッパのイデオロギー的な分断が消
滅するにつれ、一方では西方キリスト教、他方では正教会
とイスラム教というヨーロッパの文化的な分断が再び出現
した。ウィリアム・ウォレスが示唆したように、ヨーロッ
パにおける最も重要な分断線は、1500年における西方
キリスト教の東の境界線であろう。この境界線は、現在の
フィンランドとロシアの境界線、バルト三国とロシアの境界線
に沿って走り、ベラルーシとウクライナを通過してカトリ
ック色の強いウクライナ西部と正教のウクライナ東部を分
離し、西に振れてトランシルヴァニアとルーマニアの他の
地域を分離した後、ユーゴスラビアを通過し、現在クロア
チアとスロヴェニアとユーゴスラビアの他の地域を分離し
ている線にほぼ沿っている。バルカン半島ではもちろん、
この線はハプスブルク帝国とオスマン帝国の歴史的な境界
線と一致している。封建制、ルネサンス、宗教改革、啓蒙
主義、フランス革命、産業革命など、ヨーロッパの歴史が
共有してきた共通体験を共有し、一般的に東側諸国民より
も経済的に恵まれている。この線の東と南に位置する民族
は、正教徒かイスラム教徒である。彼らは歴史的にオスマ
ン帝国かツァーリズム帝国に属し、ヨーロッパの他の地域
で起こった出来事の影響を軽く受けただけである。文化の
ベルベットのカーテンは、鉄のカーテンに取って代わった。

ヨーロッパの最も重要な分断線としてのイデオロギーのカ
ーテン。ユーゴスラビアでの出来事が示すように、それは
単なる違いの境界線ではなく、時には血なまぐさい対立の
境界線でもある。
西洋文明とイスラム文明の断層に沿った紛争は、1300年
前から続いている。イスラム教の建国後、アラブ人とムー
ア人の西と北への躍進は、732年のトゥールで終わりを告げた。
11世紀から13世紀にかけて、十字軍は聖地にキリス
ト教とキリスト教支配をもたらそうと誘惑し、一時的な成功を
収めた。14世紀から17世紀にかけて、オスマン・トルコは
バランスを逆転させ、中東とバルカン半島に勢力を伸ばし、
コンスタンチノープルを占領し、ウィーンを2度包囲した。
19世紀から20世紀初頭にかけて、オスマン・トルコの勢力が
衰えると、イギリス、フランス、イタリアは北アフリカと
中東の大部分を西洋が支配するようになった。

第二次世界大戦後、西側諸国は逆に後退を始め、共同植
民地帝国は消滅し、アラブ民族主義、そしてイスラム原理
主義が台頭し、西側諸国はエネルギーをペルシャ湾諸国に
大きく依存するようになった。アラブ人とイスラエル(西
側諸国によって作られた)の間で何度か戦争が起こった。
フランスは1950年代の大半をアルジェリアで血なまぐさい
無慈悲な戦争を戦い、英仏軍は1956年にエジプトに侵攻し、
アメリカ軍は1958年にレバノンに侵攻し、その後アメリカ軍は
レバノンに戻り、リビアを攻撃し、イランと様々な軍事衝突を
行った。アラブと西側諸国との戦いは1990年に
米国はペルシャ湾に大規模な軍隊を派遣し、頂点に達し、
アラブ諸国の侵略を防ごうとした。その余波を受け、
NATOの計画は、その「南の層」に沿った潜在的な脅威と
不安定性にますます向けられるようになっている。
何世紀にもわたって続いてきた西洋とイスラムの軍事的
交流は、今後も衰えることはないだろう。より激しくなる
可能性もある。湾岸戦争によって、一部のアラブ人は
サダム・フセインがイスラエルを攻撃し、西側に立ち向かった
ことを誇りに感じた。湾岸戦争はまた、多くのアラブ人に
屈辱感と、西側諸国の軍事的プレゼンスに対する憤りを残した。

アジア湾岸、西側諸国の圧倒的な軍事支配、そして自国の
運命を切り開くことのできないアラブ諸国。石油輸出国だ
けでなく、多くのアラブ諸国が経済的・社会的発展の水準
に達し、独裁的な政治形態が不適切になり、民主主義を導
入しようとする動きが強まっている。アラブの政治システ
ムにはすでにいくつかの開放が起きている。こうした開放
の主な受益者はイスラム主義運動である。つまりアラブ世
界では、西欧の民主主義が反欧米の政治勢力を強めるので
ある。これは一過性の現象かもしれないが、イスラム諸国
と欧米の関係を複雑にしていることは確かだ。
こうした関係は人口動態によっても複雑になっている。
アラブ諸国、特に北アフリカでは人口の増加が著しく、西
ヨーロッパへの移民が増加している。西ヨーロッパでは、
国内的な境界を最小限にしようとする動きがあり、この動
きに対する政治的な敏感さが先鋭化している。イタリア、
フランス、ドイツでは人種差別がますます公然と行われる
ようになり、アラブやトルコからの移民に対する政治的反
応や暴力は1990年以降、より激しく、より広範囲に及ぶよ
うになった。
イスラムと西洋の相互作用は、両者にとって文明の衝突
とみなされている。西洋の「次の対決」は間違いなく
イスラム世界からやってくる。マグレブからパキスタンに至る
イスラム諸国において、新たな世界秩序を求める闘いが
始まるのだ。バーナード・ルイスも同様の結論に達している:
私たちは、問題や政策、それを追求する政府のレベル
をはるかに超越したムードや動きに直面している。
これは文明の衝突にほかならない。ユダヤ・キリスト教
の遺産、世俗的な現在、そして両者の世界的な拡大に対する
古代のライバルの、おそらく非合理的だが確実に歴史的な反応である。

歴史的に見て、アラブ・イスラム文明のもうひとつの大
きな拮抗関係は、異教徒、アニミスト、そして現在ではま
すますキリスト教を信仰するようになった南の黒人たちとの
交流である。かつてこの対立は、アラブの奴隷商人と黒人
奴隷のイメージに象徴されていた。この対立は、スーダン
で現在も続いている内戦にも反映されている。

アラブ人と黒人、リビアが支援する反政府勢力と政府との
間のチャドでの戦闘、アフリカの角における正統派キリスト
教徒とイスラム教徒との間の緊張、ナイジェリアにおける
イスラム教徒とキリスト教徒との間の政治的対立、
繰り返される暴動と共同体暴力。アフリカの近代化とキリスト
教の普及は、この断層に沿った暴力の可能性を高めている。
この対立の激化を象徴するのが、1993年2月にハルツーム
で行われたローマ法王ヨハネ・パウロ2世の演説である。
ボスニアとサラエボの紛争、セルビア人とアルバニア人
の間の煮えたぎる暴力、ブルガリア人と少数民族トルコ人
の微妙な関係、オセチア人とイングーシ人の間の暴力、ア
ルメニア人とアゼルバイジャン人の絶え間ない殺し合い、
中央アジアにおけるロシア人とイスラム教徒の緊迫した関
係、コーカサスと中央アジアにおけるロシアの権益を守る
ためのロシア軍の派遣など、イスラム教の北の境界では、
正教徒とイスラム教徒の間で紛争がますます勃発している。

宗教は民族的アイデンティティの復活を強化し、南方国
境の安全に対するロシア人の不安を和らげる。
この懸念は、アーチー・ルーズベルトによってよく
捉えられている:

ロシアの歴史の多くは、スラブ人とその国境に住むテュルク系
民族(Turkic peoples)との闘争に関わるもので、その歴史は
1000年以上前のロシア建国にまで遡る。スラブ人と
東の隣人との千年にわたる対立の中に、ロシアの歴史だけでなく、
ロシアの性格を理解する鍵がある。
今日のロシアの現実を理解するためには、何世紀にも
わたってロシア人を悩ませてきた偉大なテュルク民族の
概念を持たなければならない。

文明の衝突はアジアの他の地域にも深く根ざしている。亜
大陸におけるイスラム教徒とヒンドゥー教徒の歴史的な衝
突は、パキスタンとインドの対立だけでなく、インド国内
でも過激化するヒンドゥー教徒グループとインドの実質的
な少数派であるイスラム教徒との宗教的抗争の激化の中で、
その姿を現している。
1992年12月のアヨーディヤ(Ayodhya)・モスク破壊事件は、
インドが世俗的な民主主義国家であり続けるのか、
それともヒンドゥー教国家になるのかという問題を前面に
押し出した。
東アジアでは、中国が未解決の領土問題を抱えている。

ほとんどの近隣諸国と軍事的紛争を抱えている。チベット
の仏教徒に対しては冷酷な政策をとり、少数民族であるトルコ系
イスラム教徒に対してはますます冷酷な政策をとっている。
冷戦が終わり、人権、貿易、兵器拡散などの分野で、
中国とアメリカの根本的な相違が再び顕在化している。
こうした相違が緩和されることはないだろう。1991年に
鄧小平が主張したとされる「新冷戦」が中国とアメリカの
間で進行中なのだ。

同じ言葉が、ますます難しくなっている日米関係にも使
われている。ここでは文化の違いが経済的対立を悪化させ
ている。日米双方の人々は他方に対して人種差別を主張するが、
少なくともアメリカ側の反感は人種的なものではなく
文化的なものである。2つの社会の基本的な価値観、態度、
行動パターンは、これ以上ないほど異なっている。
米国と欧州の間の経済問題は、米国と日本の間の経済問題に
劣らず深刻であるが、米国文明と日本文明の違いに比べ、
米国文化と欧州文化の違いは非常に小さいため、政治的な
重要性や感情的な激しさには及ばない。
文明間の相互作用は、暴力によって特徴づけられる可能
性の程度が大きく異なる。欧米亜文明と日本亜文明の間では、
明らかに経済競争が優勢である。しかし、ユーラシア大陸では、
「民族浄化」に代表されるように、民族紛争が極端に広がっている。
民族紛争は、異なる文明に属する集団の間で最も頻発し、
最も悪質である。ユーラシア大陸では、文明間の歴史的な断層が
再び燃え上がっている。
特にアフリカから中央アジアにかけての、三日月形の
イスラム圏の境界線がそうである。一方ではイスラム教徒と、
バルカン半島の正統派セルビア人、イスラエルのユダヤ教徒、
インドのヒンズー教徒、ビルマの仏教徒、フィリピンの
カトリック教徒との間でも暴力が起きている。
イスラム教には血なまぐさい国境がある。

文明の結集:親族国家(同系民族)シンドローム:CIVILIZATION RALLYING: THE KIN-COUNTRY SYNDROME 

ある文明に属する集団や国家が、異なる文明の人々と戦争
に巻き込まれれば、当然、支持者を集めようとする。
文明の共通性、H.D.S.グリーンウェイが「親族国」症候群
と呼ぶものが、政治的イデオロギーや伝統的なバランス
に取って代わりつつある。冷戦後の世界が発展するにつれて、
文明の共通性、つまりH・D・S・グリーンウェイが
「親族国」症候群と呼ぶものが、協力や連合の主要な
基盤として、政治的イデオロギーや伝統的な勢力均衡の考
慮事項に取って代わりつつある。それは、冷戦後のペルシャ湾、
コーカサス、ボスニアにおける紛争に徐々に現れてきている。
いずれも文明間の本格的な戦争ではなかったが、
紛争が継続するにつれてその重要性が増し、将来の予兆
を示すと思われる、文明間の結集の要素を含んでいた。
まず湾岸戦争では、あるアラブ国家が他のアラブ国家を
侵略し、アラブ、欧米、その他の国家の連合軍と戦った。
あからさまにサダム・フセインを支持したイスラム諸国政府
はごく少数だったが、アラブのエリートの多くは内心では
サダム・フセインを支持し、アラブ国民の大部分から高い
支持を得ていた。

イスラム原理主義運動は、欧米が支援するクウェートや
サウジアラビアの政府ではなく、普遍的にイラクを支持した。
サダム・フセインはアラブのナショナリズムに背を向け、
イスラムの魅力を明確に打ち出した。
彼と彼の支持者たちは、戦争を文明間の戦争として定義し
ようとした。メッカにあるウンム・アル・クラ大学のイス
ラム学部長サファル・アル・ハワリは、広く流布したテー
プの中で、「イラクに対する世界ではない」と述べた。

西側諸国がイスラムに対抗しているのだイランとイラクの
対立を無視して、イランの宗教指導者アヤトラ・アリ・ハ
メネイは、西側に対する聖戦を呼びかけた:「アメリカの
侵略、貪欲、計画、政策との闘いは聖戦とみなされ、その道
で殺された者は誰でも殉教者となる」。「ヨルダンのフセ
イン国王は、「これはすべてのアラブ人、すべてのイスラ
ム教徒に対する戦争であり、イラクだけに対する戦争では
ない」と主張した。
サダム・フセインを支持するアラブのエリートや国民が
かなりの部分まで集まったことで、反イラク連合に参加し
ていたアラブ諸国の政府は、その活動を控えめにし、公の
声明を控えめにした。アラブ諸国政府は、1992年夏の飛行
禁止区域の設定や1993年1月のイラク空爆など、その後の
欧米によるイラクへの圧力強化策に反対したり、距離を置
いたりした。1990年の西側・ソ連・トルコ・アラブの反イ
ラク連合は、1993年にはほぼ西側諸国とクウェートのみの
対イラク連合になっていた。
イスラム教徒たちは、西側諸国のイラクに対する行動と、
西側諸国がセルビア人からボスニア人を守らず、制裁を
課さなかったこととを対比させた。

イスラエルは国連決議に違反している。西側諸国は二重基
準を用いていると彼らは主張した。文明がぶつかり合う世
界は、必然的にダブルスタンダードの世界となる。
第二に、親族国症候群は旧ソ連の紛争にも現れた。
1992年と1993年にアルメニアが軍事的成功を収めたことで、
トルコはアゼルバイジャンの宗教的、民族的、言語的同胞を
ますます支持するようになった。「アゼルバイジャン人と
同じ感情を抱くトルコ国民がいる」と1992年、トルコのあ
る高官は語った。「我々は圧力を受けている。私たちの新
聞は残虐行為の写真でいっぱいで、私たちはまだ中立政策
を真剣に追求しているのかと問いかけている。この地域に
大きなトルコがあることをアルメニアに示すべきかもしれ
ない」。トゥルグト・エザル大統領もこれに同意し、トル
コは少なくとも「アルメニア人を少し怖がらせる」べきだ
と述べた。エザル大統領は1993年、トルコは「牙を剥く」
と再び脅した。トルコ空軍のジェット機がアルメニア国境
沿いを偵察飛行し、トルコはアルメニアへの食糧輸送と
航空便の運航を停止し、トルコとイランはアゼルバイジャン
の分割を受け入れないと発表した。トルコはアルメニアへ
の食糧輸送を停止し、航空便の運航を停止し、トルコとイ
ランはアゼルバイジャンの分割を受け入れないと発表した。
しかし、ソビエト連邦の終焉とともに、政治的な配慮は
宗教的な配慮に取って代わられた。ロシア軍はアルメニア
人の側で戦い、アゼルバイジャンは「ロシア政府はキリスト教徒
であるアルメニアへの支援に180度舵を切った」と非難した。

第三に、旧ユーゴスラビアでの戦闘に関して、西側諸国
民はボスニアのイスラム教徒と彼らがセルビア人の手によ
って受けた恐怖に同情と支持を表明した。しかし、クロア
チアがイスラム教徒に鋲を打ち、ボスニア・ヘルツェゴビ
ナの解体に参加したことについては、比較的関心が示され
なかった。ユーゴスラビア崩壊の初期段階で、ドイツは異
例の外交的イニシアチブを発揮し、欧州共同体の他の11の
加盟国を誘導して、スロベニアとクロアチアを承認させた。
ローマ法王がこの2つのカトリック諸国を強力に支援す
るという決意を示した結果、バチカンは欧州共同体よりも先に
スロベニアとクロアチアを承認した。米国も欧州に追随した。
こうして、
西側文明の主役たちは、自分たちの中心的な
宗教者の背後に結集したのである。その後、クロアチアは
中欧諸国をはじめとする西側諸国から大量の武器を受け取って
いると報じられた。一方、ボリス・エリツィン政権は、
正統派セルビア人に同情的でありながら、ロシアを西側諸国から
疎外しないような中道路線を追求しようとした。

しかし、ロシアの保守派や民族主義者たちは、セルビア人への
支援に積極的でなかったとして政府を攻撃した。1993年初頭
までに、数百人のロシア人がセルビア軍に従軍していたようで、
セルビアにロシアの武器が供給されているとの報告もあった。
一方、イスラム諸国の政府や団体は、ボスニア人を擁護しない
西側諸国を非難した。イランの指導者たちは、あらゆる国の
イスラム教徒にボスニアに援助を提供するよう促した。
国連による武器禁輸措置に違反して、イランはボスニア人に
武器と人員を提供した。イランが支援するレバノンのグループは、
ボスニア軍の訓練と組織化のためにゲリラを派遣した。
1993年には、2ダース以上のイスラム諸国から最大
4,000人のイスラム教徒がボスニアで戦っていることが
再確認された。サウジアラビアをはじめとする各国政府は、
ボスニア人により強力な支援を提供するよう、自国社会の
原理主義グループから圧力を受けつつあった。
1992年末までに、サウジアラビアはボスニア人に武器と
物資のための多額の資金を提供し、セルビア人に対する
軍事能力を大幅に向上させたと伝えられている。

1930年代のスペイン内戦は、政治的にファシスト、共産
主義、民主主義の国々からの介入を引き起こした。1990年
代のユーゴスラビア紛争は、イスラム教、正教会、西方キ
リスト教の国々からの介入を引き起こしている。この平行
関係は見逃されてはいない。「ボスニア・ヘルツェゴビナ
紛争は、スペイン内戦におけるファシズムとの戦いと感情
的に等価なものになっている。「ボスニア・ヘルツェゴビ
ナで死んだ人々は、同胞のイスラム教徒を救おうとした殉
教者とみなされている」。
紛争や暴力は、同じ文明内の国家や集団の間でも起こる。
しかし、そのような紛争は、文明間の紛争に比べれば、
激しさも拡大する可能性も低い。同じ文明の一員であるこ
とは、そうでなければ暴力が起こる可能性がある状況にお
いて、その可能性を減らすことになる。1991年と1992年、
多くの人々がその可能性に警鐘を鳴らした。

ロシアとウクライナは、領土、特にクリミア、黒海艦隊、
核兵器、経済問題をめぐって激しく対立する可能性がある。
しかし、文明を重視するのであれば、ウクライナ人とロシア人の
間に暴力が起こる可能性は低いはずだ。
両者はスラブ民族で、主に正教徒であり、何世紀にもわたって
緊密な関係を築いてきた。1993年初頭の時点では、衝突の理由は
いろいろあったにせよ、両国の指導者は効果的に交渉し、
両国間の問題を解決していた。旧ソ連の他の地域ではイスラム教徒と
キリスト教徒の間で深刻な戦闘があり、バルト三国では
西洋人と正教徒との間で緊張と戦闘が起きているが、
ロシア人とウクライナ人の間には暴力はほとんどない。
これまでの文明の結集は限定的なものであったが、それは
拡大しつつあり、さらに広がる可能性を秘めていることは
明らかである。ペルシャ湾、コーカサス、ボスニアでの
紛争が続くなか、各国の立場や国家間の亀裂は、文明的な
線に沿ってますます強まっている。ポピュリストの政治家、
宗教指導者、メディアは、大衆の支持を喚起し、躊躇する政府に
圧力をかける有力な手段であることに気づいた。
今後数年間、大規模な戦争に発展する可能性が最も高いのは、
ボスニアやコーカサスのように、文明間の断層に沿った
地域紛争である。次の世界大戦が起こるとすれば、
それは文明間の戦争となるだろう。

西側VS.それ以外:THE WEST VERSUS THE REST

西側諸国は現在、他の文明との関係において、その力の
ピークにある。超大国の対戦相手は地図上から姿を消した。
西側諸国間の軍事衝突は考えられず、西側の軍事力は他の
追随を許さない。
日本を除けば、西側諸国は経済的な挑戦に直面していない。
欧米は国際政治・安全保障機構を支配し、日本とともに
国際経済機構を支配している。
世界の政治と安全保障の問題は米英仏の理事会が、
世界経済の問題は米独日の理事会が、それぞれ効果的に
解決している。国連安全保障理事会や国際通貨基金(IMF)
での決定は、西側諸国の利益を反映したものとして世界に提示される。
世界共同体の欲望を反映する世界共同体」という言葉その
ものが、婉曲的な集合名詞(「自由世界」を置き直す)となり、
米国をはじめとする西側諸国の利益を反映する行動に
世界的な正当性を与えている。
IMFをはじめとする国際経済機関を通じて、西側諸国は
自国の経済的利益を促進し、適切と思われる経済政策を
他国に押し付けている。
非西洋諸国民を対象とした世論調査では、IMFは間違いなく
財務大臣やその他少数の人々の支持を得るだろうが、
それ以外のほとんどの人々からは圧倒的に不利な評価を受ける
だろう。ゲオルギー・アーバ・トフがIMF職員を「他人の金を
収奪し、非民主的で異質な経済・政治的行動ルールを押し
付け、経済的自由を抑圧するのが大好きなネオ・ボルシェヴィキ」
と評したことに同意するだろう。

国連安全保障理事会における西側の支配とその決定は、
時折中国が棄権することで緩和されたが、その結果、次の
ような結果をもたらした。
国連は、西側諸国が武力を行使してイラクをクウェートか
ら追い出し、イラクの高性能兵器とその製造能力を排除し
たことを正当化した。また、リビアにパンナム103便爆破
事件の容疑者の引き渡しを要求し、リビアが拒否した時には
制裁を科すという、米英仏による極めて前例のない行動を安保理に
とらせた。アラブ最大の軍隊を挫折させた後、西側諸国はアラブ世界で
自国の力を行使することをためらわなかった。

欧米は事実上、国際機関、軍事力、経済資源を利用して欧米の
優位を維持し、欧米の利益を守り、欧米の政治的・経済的価値を
促進する方法で世界を動かしている。
少なくとも、これが非西洋人の新世界に対する見方であり、
彼らの見方にはかなりの真実がある。権力の違いや、
軍事力、経済力、制度上の権力をめぐる争いは、西洋と他の
文明との対立の原因のひとつである。文化の違い、
つまり基本的な価値観や信念の違いは、第二の紛争の原因である。
V.S.ナイポール(Vidiadhar Surajprasad Naipaul)は、西洋文明は
「すべての人に適合する」「普遍的な文明」であると主張している。

表面的なレベルでは、西洋文化の多くは確かに世界に浸透している。
しかし、より基本的なレベルでは、西洋の概念は他の文明で
広まっている概念とは根本的に異なっている。
西洋の個人主義、自由主義、立憲主義、立憲主義、人権、
平等、自由、法の支配、脱民主主義、自由市場、
政教分離などは、イスラム文化、儒教文化、日本文化、
ヒンドゥー文化、仏教文化、正教会文化ではほとんど
響かないことが多い。こうした考えを広めようとする欧米の
努力は、欧米以外の文化圏の若い世代による宗教原理主義へ
の支持に見られるように、「人権帝国主義」への反発や
土着の価値観の再確認をかえって生み出す。普遍的な文明
が存在しうるという考え方そのものが西洋の考え方であり、
アジア社会の多くが持つ特殊性や、ある民族と他の民族を
区別するものを重視する考え方とは真っ向から対立する。
実際、異なる社会における価値観に関する100の比較研究を
レビューした著者は、「西洋で最も重要な価値観は、
世界では最も重要でない」と結論づけている。
もちろん政治的な領域では、このような相違は、民主主義や
人権に関する西洋的な考え方を他国民に採用させようとする、
米国をはじめとする西洋列強の努力に最も顕著に表れている。
近代民主政治は西洋で生まれた。西欧以外の社会で民主主義が
発展した場合、それはたいてい西欧のコロ・ニアリズムや
押しつけの産物である。

今後の世界政治の中心軸は、キショア・マフブバーニ
(KISHORE MAHBUBANI)の言葉を借りれば、
「西洋とそれ以外」の対立と、西洋のパワーと価値観に対する
非西洋文明の対応であろう。このような反応は、一般的に
3つの形態のいずれか、あるいはその組み合わせをとる。
極端な例では、ビルマや北朝鮮のように、非西洋諸国は
西洋の浸透や "腐敗 "から自国社会を隔離し、
事実上、西洋が支配する国際社会への参加を断念して、
孤立の道を歩もうとする。しかし、この道はコストが高く、
この道だけを追求する国家はほとんどない。
第二の選択肢は、国際関係論でいうところの「バンドワゴン化」
に相当するもので、西側諸国の一員となり、その価値観や
制度を受け入れようとするものである。第三の選択肢は、
経済力と軍事力を発展させ、他の非西洋社会と協力して
西洋に対抗しつつ、土着の価値観や制度を維持することに
よって、西洋との「均衡」を図ることである。

引き裂かれた国々:THE TORN COUNTRIES

将来、人々が文明によって自らを区別するようになると、
ソビエト連邦やユーゴスラビアのように、異なる文明を持
つ民族が多数存在する国は解体候補となる。その他にも、
文化的な同質性はかなり高いが、自分たちの社会がある文
明に属しているのか、それとも別の文明に属しているのか
で分裂している国もある。これらは引き裂かれた国々である。
これらの国の指導者たちは通常、バンドワゴン戦略を追求し、
自国を西洋の一員にしたいと考えているが、自国の歴史、
文化、伝統は非西洋的なものである。最も明白で典型的な
引き裂かれた国はトルコである。20世紀後半のトルコの
指導者たちは、アッタテュルクの伝統を受け継ぎ、
トルコを近代的で世俗的な西側の国民国家と定義した。
彼らはNATOや湾岸戦争でトルコを西側諸国と同盟させ、
欧州共同体への加盟を申請した。しかしその一方で、トルコ
社会ではイスラム復興を支持し、トルコは基本的に中東の
イスラム社会であると主張してきた。また、トルコのエリ
ート層はトルコを西欧社会と定義してきたが、西欧のエリ
ート層はトルコをそのように受け入れようとしない。エザ
ル大統領が言ったように、トルコが欧州共同体の一員になる
ことはない。メッカを拒否し、ブリュッセルに拒否された
トルコは、どこに目を向けるのだろうか。
タシケントがその答えかもしれない。
ソビエト連邦の終焉は、トルコにギリシャから中国までの
7カ国を巻き込む復活したトルコ文明のリーダーになる機会を
与えている。西側に後押しされ、トルコはこの新しい
アイデンティティを自ら切り開こうと奮闘している。

過去10年間、メキシコはトルコと似たような立場をとっ
てきた。トルコが歴史的なヨーロッパへの反発を捨て、
ヨーロッパに加わろうとしたように、メキシコもアメリカへ
の反発によって自国を定義することをやめ、代わりにアメ
リカを模倣し、北米自由貿易圏に加わろうとしている。
メキシコの指導者たちは、メキシコのアイデンティティを
再定義するという大仕事に取り組んでおり、根本的な経済改
革を導入した。1991年、カルロス・サリナス・デ・ゴルタ
リ大統領の最高顧問は、サリナス政権が行おうとしている
すべての変革について、私に長々と説明した。それが終わ
ると、私はこう言った:「それは素晴らしい。あなたは基
本的に、メキシコをラテンアメリカのような国から変えよ
うとしているようですね」

アメリカの国を北米の国に"。彼は驚いて私を見て叫んだ:
「その通りだ!私たちがやろうとしていることはまさにそ
れですが、もちろん公には決して言えません」
彼の再マークが示すように、メキシコでもトルコと同様に、
社会の重要な要素が自国のアイデンティティの再定義に
抵抗している。トルコでは、ヨーロッパ志向の指導者が
イスラム教にジェスチャーをしなければならない(エザルのメッカ巡礼)
メキシコの北米志向の指導者もまた、メキシコをラテン
アメリカの国とする人々にジェスチャーをしなければなら
ない(サリナスのイベロアメリカン・グアダラハラ・サミ
ット)
歴史的に見て、トルコは最も深く引き裂かれた国である。
米国にとって、メキシコは最も身近な引き裂かれた国である。

世界的に見れば、最も重要な引き裂かれた国はロシアである。
ロシアは西側の一部なのか、それとも
スラブ・正統派文明のリーダーなのかという問題は、
ロシアの歴史の中で繰り返し起こってきた。この問題は、
ロシアにおける共産主義の勝利によって曖昧にされた。
共産主義は西側のイデオロギーを輸入し、それを
ロシアの状況に適合させ、そのイデオロギーの名の下に
西側に挑戦した。共産主義の支配は、西欧化とロシア化をめぐる
歴史的な論争を封印した。共産主義が信用されなくなった今、
ロシア人は再びこの問題に直面している。

エリツィン大統領は西側の原則と目標を採用し、ロシアを
「普通の」国にし、西側の一部にしようとしている。
しかし、ロシアのエリートも国民も、この問題については
意見が分かれている。より穏健な反対派のなかでも、セルゲ
イ・スタンケヴィチは、ロシアは「大西洋主義」路線を拒
否すべきだと主張している。この路線は、ロシアを「ヨー
ロッパ化し、迅速かつ組織的に世界経済の一員となり、セ
ブンの8番目のメンバーとなり、大西洋同盟の支配的な2つ
のメンバーとしてドイツとアメリカを特に重視する」よう
に導くものである。ユーラシア一辺倒の政策を否定しなが
らも、それでもスタンケヴィチは、ロシアは他国にいるロ
シア人の保護を優先し、トルコ系やイスラム系とのつなが
りを強調し、「アジア、東方方面の資源、選択肢、結びつ
き、権益の重要な再配分」を推進すべきだと主張する。

こうした人々は、エリツィンがロシアの利益を西側の利益に
従属させ、ロシアの軍事力を低下させ、セルビアのような
伝統的な友好国を支援せず、ロシア国民に不利な方法で
経済・政治改革を推し進めたと批判している。

この傾向の新たな人気は、1920年代にロシアは独自のユー
ラシア文明であると主張したペトル・サヴィツキー(P. N. Savitskii')
の思想である。
より過激な反体制派は、露骨な民族主義、反欧米主義、
反ユダヤ主義を唱え、ロシアに軍事力の再開発や中国や
イスラム諸国との緊密な関係の構築を促している。

ロシア国民はエリート層と同様に分裂している。1992年春に
ヨーロッパ・ロシアで行われた世論調査では、国民の40%が
西側諸国に対して肯定的な態度を示し、36%が否定的な
態度を示した。1990年代初頭のロシアは、その歴史の多く
がそうであったように、まさに引き裂かれた国である。
自国の文明的アイデンティティを再定義するためには、
引き裂かれた国は3つの条件を満たさなければならない。
第一に、政治的・経済的エリートがこの動きを支持し、
熱狂的でなければならない。第二に、国民がその再定義を
快諾すること。第三に、その文明圏の支配的な集団がその
転換を喜んで受け入れることである。この3つの要件は、
メキシコに関してはほぼすべて満たされている。最初の2つ
はトルコに関しても存在する。ロシアの西側諸国への加盟
に関しては、この3つの要件のいずれもが存在するかどう
かは定かではない。自由民主主義とマルクス・レーニン主
義の対立は、その大きな違いにもかかわらず、表向きは自由、
平等、繁栄という究極の目標を共有するイデオロギー同士の
対立であった。伝統的、権威主義的、国民主義的なロシアは、
まったく異なる目標を持つことができた。
西側の民主主義者は、ソ連のマルクス主義者と知的な議論を
交わすことができる。
ロシアの伝統主義者とは事実上不可能である。
ロシア人がマルクス主義者のように振舞うのをやめ、
自由民主主義を拒否し、ロシア人のように振舞うが、
西洋人のようには振舞わないようになれば、ロシアと西洋
の関係は再び遠くなり、対立するようになるかもしれない。

儒教とイスラムのつながり:THE CONFUCIAN-ISLAMIC CONNECTION

非西欧諸国が西側諸国に加盟する際の障害は、かなり多様
である。ラテンアメリカや東欧諸国にとっては最も少ない
。旧ソビエト連邦の正統派諸国にとってはより大きな障害で
ある。イスラム社会、儒教社会、ヒンズー教社会、仏教社
会にとってはなおさらである。日本は西洋の準加盟国とし
て独自の地位を確立している。ある面では西洋に属してい
るが、重要な面では西洋に属していないことは明らかであ
る。日本が西洋の準加盟国である国々は文化的、権力的な理由から、
西側諸国と一緒になりたくない、あるいは
なれない国々は、自国の経済力、軍事力、政治力を発展させる
ことで西側諸国と競争している。
そのため、自国の発展を促進し、他の非西洋諸国と協力する
ことでこれを実現している。この協力の最も顕著な形態は、
西洋の利益、価値観、権力に挑戦するために生まれた儒教と
イスラムのつながりである。
欧米諸国はほぼ例外なく軍事力を縮小しており、エリツィン
政権下のロシアも同様である。しかし、中国、北朝鮮、
中東のいくつかの国は、軍事力を大幅に拡大している。
欧米や非欧米諸国から武器を輸入し、自国の兵器産業を発
展させることによってである。その結果のひとつが、
チャールズ・クラウトハマーが「武器国家」と呼ぶものの
出現である。もうひとつの結果は、軍備管理の定義が変更され
たことである。冷戦時代、軍備管理の主な目的は、米国と
その同盟国、ソ連とその同盟国との間に安定した軍事バラ
ンスを確立することだった。冷戦後の世界では、軍備管理
の第一の目的は、西側の利益を脅かしかねない軍事力を非
西側社会が開発するのを防ぐことである。西側諸国は、
国際協定、経済的圧力、武器や兵器技術の移転規制を通じて、
これを実現しようとしている。
西側諸国と儒教的・イスラーム的国家間の対立は、核兵器、
化学兵器、生物兵器、弾道ミサイル、そしてそれらを
運搬するためのその他の高度な手段、そしてその目的を
達成するための誘導、情報、その他の電子的能力に、
排他的ではないにせよ、大きく焦点を当てている。
西側諸国は、核不拡散を普遍的な規範として推進し、
核不拡散条約と査察はその規範を実現する手段として推進している。
また、高度な兵器の拡散を推進する者に対しては、さまざまな
制裁を科すと脅し、そうでない者に対しては何らかの利益を
提案している。西側諸国が注目するのは、当然のことながら、
西側諸国と実際に敵対している、あるいは敵対する可能性のある
国々である。
一方、非西洋諸国は、自国の安全保障のために必要と考える
兵器は何でも入手し、配備する権利を主張している。
彼らはまた、どのような教訓を得たのかと問われたインド
の国防相の答えの真意を、十分に吸収している。

湾岸戦争から学んだことは、「核兵器を持っていない限り、
アメリカと戦うな」ということだ。核兵器、化学兵器、
ミサイルは、おそらく間違っているが、優れた西側の通常
戦力と対等になる可能性があると見なされている。
もちろん、中国はすでに核兵器を持っている。パキスタンと
インドは核兵器を配備する能力を持っている。北朝鮮、
イラン、イラク、リビア、アルジェリアは核兵器を獲得しようと
しているようだ。イランの高官は、すべてのイスラム国家が
核兵器を保有すべきだと宣言し、1988年にはイラン大統領が
「攻撃的・防御的化学兵器、生物兵器、放射性論理兵器」の開発を
求める指令を出したと伝えられている。
対西側軍事力の発展にとって中心的に重要なのは、中国の
軍事力の持続的な拡大と、軍事力を生み出す手段である。
目を見張るような経済発展に後押しされ、中国は軍事費を
急速に増大させ、軍隊の近代化を精力的に進めている。
旧ソビエト諸国から兵器を購入し、長距離ミサイルを開発
し、1992年には1メガトンの核実験を行った。パワー・プ
ロジェクション能力を開発し、空中給油技術を獲得し、空母を
保有しようとしている。
その軍備増強と南シナ海の領有権主張は、東アジアにおける
多国間の軍拡競争を引き起こしている。
中国は武器や兵器技術の輸出大国でもある。
リビアやイラクには、核兵器や神経ガスの製造に使用可能
な材料を輸出している。アルジェリアには、核兵器の研究・製造に
適した原子炉の建設を支援している。
中国はイランに、兵器製造にしか使えないとアメリカ当局が
考えている核技術を売り、パキスタンに射程300マイルのミサイル
の部品を出荷したようだ。北朝鮮はしばらくの間、核兵器
開発計画を進めており、シリアとイランに高度なミサイル
とミサイル技術を売却している。武器と武器技術の流れは、
一般的に東アジアから中東へと向かっている。中国は
パキスタンからスティンガーミサイルを受け取っている。
こうして、儒教とイスラムの軍事的なつながりが生まれ、
西洋の軍事力に対抗するために必要な武器や兵器技術の
獲得を促進するようになった。それは長続きするかもしれ
ないし、しないかもしれない。しかし、現時点では、
デーヴが言うようにマッカーディは、
「拡散者とその後ろ盾によって運営される、
反逆者の相互支援協定」と述べている。
こうして、イスラム・儒教国家と西側諸国との間で、
新しい形の軍備競争が起こっている。昔ながらの軍拡競争では、
それぞれが自国の軍備を開発し、相手と均衡を保ち、あるいは
優位に立った。この新しい形の軍備競争では、一方が軍備を
発展させ、他方は均衡をとるためではなく、軍備増強を制限し
阻止しようとし、同時に自国の軍事力を低下させようとし
ている。

西側への影響:IMPLICATIONS FOR THE WEST

本稿は、文明のアイデンティティが他のすべてのアイデン
ティティに取って代わるとか、国民国家が消滅するとか、
各文明がひとつの首尾一貫した政治的実体となるとか、文
明内の集団が互いに対立し、さらには争うことがなくなると
か、そういうことを主張するものではない。文明間の相違
は現実的かつ重要であること、文明に対する意識は高まっ
ていること、文明間の対立はイデオロギーやその他の対立
形態に取って代わり、世界的に支配的な対立形態となるこ
と、国際関係は歴史的に西洋文明内で行われてきたゲーム
であったが、今後はますます脱西洋化され、西洋以外の文
明が単なる対象ではなくアクターとなるゲームとなること、
政治的、安全保障的、経済的に成功する国際制度は、文明間で
発展するよりも文明内で発展する可能性の方が高いこと、
といった仮説を本稿では提示する。異なる文明に属する
集団間の紛争は、同じ文明に属する集団間の紛争よりも頻発
し、持続し、暴力的になる。異なる文明に属する集団間の
暴力的紛争は、世界規模の戦争につながる可能性が最も高
く、最も危険なエスカレーションの原因である。引き裂か
れた非西洋諸国のエリートたちは、自国を西洋の一部にし
ようとするだろうが、ほとんどの場合、それを達成する上
で大きな障害に直面する。

これは、文明間の紛争の望ましさを提唱するものではない。
むしろ、将来の可能性についての記述的な仮説を
提示するものである。ただし、これらが妥当な仮説である場合、
西洋の政策への影響を検討する必要がある。

これらの影響を考慮する際、短期的な利点と長期的な
調和の間で区別する必要がある。
短期的には、西洋にとって、自国の文明内、
特にヨーロッパと北米の構成要素間の協力と団結を促進すること、
東ヨーロッパとラテンアメリカで西洋の文化に近い
社会を西洋に取り込むこと、ロシアと日本との協力関係を
促進し維持すること、地域的な文明間紛争が大規模な
文明間戦争に発展するのを防ぐことが明らかに利益になる:
儒教国家やイスラム国家の軍事力拡大を制限すること、
西洋の軍事力の低下を緩和し、東アジアや南西アジアにお
ける軍事的優位性を維持すること、儒教国家やイスラム国
家間の相違や対立を利用すること、西洋の価値観や利益に
同調するグループを他の文明圏で支援すること、西洋の利益や
価値観を反映し正当化する国際機関を強化し、非西洋諸国の
こうした機関への関与を促進すること。
より長期的には、他の対策が必要になるだろう。西洋文
明は西洋的であると同時に近代的でもある。非西洋文明は
西洋になることなく近代化を試みてきた。現在までのところ、
この探求に完全に成功したのは日本だけである。非西洋文明は、
近代的であることの一部である富、技術、技能、機械、
兵器を獲得しようと試み続けるだろう。また、この近代性を
伝統的な文化や価値観と調和させようとするだろう。
欧米に対する彼らの経済力と軍事力は増大する。それゆえ、
西側諸国は、西側諸国と同等の力を持ちながら、
西側諸国とは価値観や利害が大きく異なる非西側近代文明を、
ますます受け入れなければならなくなる。そのためには、
西洋がこれらの文明との関係において自国の利益を守るために
必要な経済力と軍事力を維持する必要がある。
しかし同時に、西側諸国は他の文明の根底にある基本的な
宗教的・哲学的前提や、それらの文明の人々が自分たちの
利益をどのように考えているかを、より深く理解する必要がある。
そのためには、西洋文明と他文明との間に共通する
要素を見出す努力が必要である。関連する未来については、
普遍的な文明は存在せず、異なる文明の世界が存在し、
それぞれが他の文明と共存することを学ばなければならないだろう。


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