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ビジュアルノベル「ネゲントロピー」解説

この記事は、ビジュアルノベル「ネゲントロピー」の解説記事となります。

この記事の大きな目的としては、ネゲントロピーの人物のモデルとなった史実人物等について解説することで、ビジュアルノベルの物語の背景を深堀りすることにあります。
記事の性質上、実際にビジュアルノベルを読んでもらいながら、もしくは読んだ後にこちらの解説を読んでいただけると嬉しいです。
本編中の情報量もかなり多く、この記事ではフォローできていない部分も数多く存在します。
崩壊3rd本編におけるネゲントロピーという組織についての解像度が飛躍的に高まるため、ぜひ下記URLからビジュアルノベルの一読をおすすめします。

https://event.honkaiimpact3.com/avgAntiEntropy/index.php?lang=ja-JP


ストーリー内の登場人物解説

ここではネタバレ防止の観点から、簡単な解説にとどめます。

ヴェルト・ジョイス

作中でも言及があるように、「ヴェルト」は「世界」という意味のドイツ語Weltから、「ジョイス」は『ユリシーズ』の作者であるジェイムズ・ジョイスから取られています。
なおアインが名付けた「Welt」という名前の由来については不明ですが、例として史実のアインシュタインが好んで読んでいた、ショーペンハウアーの『意志と表象としての世界』(Die Welt als Wille und Vorstellung)が由来かもしれません。(結構こじつけ感がありますが)

リーゼル・アルベルト・アインシュタイン、フレデリカ・ニコラ・テスラ

崩壊3rd本編中でも登場するため、おおよそ省略します。

エマ・プランク

でっか

アインとテスラの師匠にあたる存在です。天命北米支部の支部長です。
なかなかお茶目なお姉さんであり、特にアインとの性格上の対比が強く出ています。
一方本編中で天命本部との交渉の席につき、本部からの追及をかわすなど大人としての役割を果たす面も見せてくれます。ビジュアルノベル終了後はネゲントロピーという組織を支える柱として働いた後、崩壊3rd本編開始時には既に亡くなっています。
(プランクはアインやテスラ、シュレーディンガーと異なり老化するため)

エルヴィン・リアーナ・シュレーディンガー

この当時から「なのです」という特徴的な語尾がついています。

トーマス・アルバ・エジソン

相当な大金持ちであり、天命北米支部を立ち上げたのもこのエジソンです。
テスラと浅からぬ因縁があります。

ストーリー内の学術要素解説

ここでは細かい点を列挙することはせず、興味深くかつ重要な要素に絞って解説していきます。

テセウスの船

テセウスの船は、主に哲学における「『同一性』とは何か?」という疑問に関係するものです。
古代ギリシャにテセウスという人物がおり、その人物が大きな船を持っていました。
その船は長年にわたって使われる中で、老朽化した個々のパーツが交換されていき、最終的には元の船にあったパーツは一つもないという状態になりました。
このとき、「元々のテセウスが所持していた船と、現在の改修された船は同一のものなのか?」という問題が生じます。
この問題は、古代ギリシャから20世紀の現代哲学まで2000年以上にわたって、様々な観点と問題意識から論じられてきました。古代ギリシャの哲学者であるヘラクレイトスによる「同じ川に二度入ることはできない」(昔の川と今の川は異なる)という意見や、「同じ」という言葉にもいろいろな意味がありうるという指摘、物理的に同じ状態であるならばそれは同一のものであるという主張などが提出されてきました。

(他の学術的要素についても追記)

史実のネゲントロピー構成員

下記ではネゲントロピー構成員のモデルとなった史実の人物について解説していきます。
なお、筆者の興味関心の都合上、ドイツゆかりの人物の記述が多くなる(アメリカゆかりの人物の記述が淡白になる)ことをご了承ください。

アルベルト・アインシュタイン

史実のアルベルト・アインシュタインは一般的にも非常に有名な物理学者であり、特殊相対性理論・一般相対性理論等で知られています。
彼自身はドイツの出身ですが、国籍としてはドイツとスイスの二重国籍であり、のちにドイツ国籍を捨ててアメリカ国籍を手に入れています。学習については幼少期から家庭教師によって行われており、この中で哲学者カントの『純粋理性批判』等を読んだ、という記録も残っています。
(ビジュアルノベルでカール・グスタフがアインの家庭教師になっているのは、この点も含めてのことと思われます)
スイスの国籍を取得したのはスイスにあるチューリッヒ工科大学に通うにあたって、下宿生活となったことが影響しています。
(チューリッヒ工科大学は当時も今も理工系においてヨーロッパでかなりレベルの高い大学で、天才と名高くヘリアの聖痕にもなっているジョン・フォン・ノイマン等を輩出したことでも知られています。この大学は現在「スイス工科大学チューリッヒ校」という名称になっています。)

26歳の時に、特許庁の職員(ざっくり一般的な公務員と思っておけばOKです)のまま特殊相対性理論、および光量子仮説とブラウン運動に関する重要な論文を立て続けに提出し、この年は「奇跡の年」と呼ばれます。
(なお、アインシュタインがノーベル賞を受賞したのは特殊相対性理論に関する論文によってではなく、光量子仮説による光電効果の説明によるものです)
後に34歳~36歳ごろに一般相対性理論を提出し、特殊相対性理論では扱えていなかった重力をも扱えるようにしました。
その後は第二次世界大戦前のナチス・ドイツによるユダヤ人への迫害を避けてアメリカへ渡り、そこで一生を過ごすことになります。このときアインシュタインがドイツの自宅を引き払って間もなくナチスによって家宅捜索が行われたため、間一髪危機を逃れたと言えます。

なお、「リーゼル」は史実のアインシュタインが一人目の妻であるミレヴァとの間に初めて産まれた娘の名前です。
この時夫妻にとっては意図した妊娠ではなかったようで、アインシュタイン家に財政的な余裕はなく、夫妻はリーゼルを手放すことを選びます。この後のリーゼルの行方は分かっておらず、伝記によって①猩紅熱で間もなく亡くなった、②他人に引き取られて以降行方知れずというおおよそ2つの話が伝わっています。

エルヴィン・シュレーディンガー

エルヴィン・シュレーディンガーはオーストリアの生まれです。
波動力学を提唱し、波動力学がハイゼンベルクによる行列力学と数学的に同等であることを示し、量子力学の体系の完成に大きな役割を果たしました。
シュレーディンガーもアインシュタインと同様にユダヤ人であったため、ナチスによる迫害を受け、ドイツを離れることとなります。

なお、彼の名前が付いた最も有名なものについては、「シュレーディンガーの猫」が挙げられるでしょう。
これはおおざっぱに述べると「当時作られ始めた量子力学に対する疑念を示すために作られた思考実験」と言えます。

たとえば天体の運動については、その動きを理論的に予測することができ、そこに確率が関与する点は(理論的には)ありません。
ですが量子力学においては、量子の運動は確率的にしか予測することができない(ハイゼンベルクの不確定性原理)とされていました。
しかし量子力学以前の物理学の世界観としては、先ほどの天体の運動の例と同じように、物理学は世界の動きを決定づけるものであり、物理学によって将来的には世界の物体の動きを全て予測することができると考えられていました。そういった物理学へのイメージと、「量子の 運動は確率的にしか予測することができない」という量子力学における主張は衝突すると思われました。
そのため、「量子の状態のゆらぎによって、箱の中に入れられた猫に対し毒ガスが発生して猫が死ぬ機械を作る」という思考実験を行い、量子というミクロな(小さな)世界だけでなく、猫というマクロな(大きな)世界の生死が確率的にしか確定できないことを示しています。これによりシュレーディンガーが示したのは「マクロな(大きな)世界においても物理的な状態は決定できないのではないか?」という疑念であり、もしこれが成り立つのであれば、従来の決定論的な世界と真っ向から反発することになります。

なおアインやプランクとは異なり、史実のシュレーディンガーの類縁の人にリアーナという方がいるわけではありません。

マックス・プランク

史実ではマックス・プランクという名前です。ドイツの出身です。
プランクは史実においてもアインシュタインと深い関係にあります。アインシュタインが26歳で特殊相対性理論の論文を提出した時、その価値に気づいてそれを大きく取り上げ、物理学者の間でアインシュタインの評価を高めることに貢献した人物の一人がプランクです。
また、プランクはアインシュタインをベルリン大学に招聘する際にも大きな役割を果たしています。

なお、ビジュアルノベルにおいてプランクが果たした役割と、史実のプランクが果たした役割は重なる部分が多くあります。
それは、史実のプランクが「ドイツの物理学を守ろうとし、そのためにドイツに残った」という点にあります。
先述のように彼がベルリン大学へ招聘したアインシュタインや、自身が譲ったベルリン大学教授職に就いていたシュレーディンガーといったドイツのユダヤ人物理学者は、ナチスの迫害を避けドイツを逃れました。
プランク自身はユダヤ人というわけではありませんでしたが、ナチスの思想に賛同しているわけではなく、また国外脱出を出来る立場ではありました。
しかし自身まで去り、仮にドイツが戦争に負けた後のドイツの物理学が崩壊してしまうことを危惧し、ドイツおよびカイザー・ヴィルヘルム協会会長職に残ってドイツの物理学者を率いることを決意します。これは仮に彼が会長職を辞した場合、ナチスの息がかかった学者が会長職に就き、ドイツの科学界に悪影響を与えられるのを避けたためという理由もあります。
プランク自身が研究所の開所式で挨拶する際に、当時の状況下ではヒトラーを讃える挨拶をする必要がありましたが、彼は幾度となくそれをためらってから、仕方なくその挨拶をしたという記述が残っています。

彼には息子および娘がおり、それぞれカールエルヴィンエマ等、ネゲントロピーにゆかりのある名前が残っています。

なお現代の物理学において、プランクの名前はプランク定数などに残っています。この定数の値は
$${6.62607015×10^{−34} J⋅s}$$
であり、この6.626はコラリーのミドルネームである「6626」として残っています。

ニコラ・テスラ

ニコラ・テスラはオーストリアの生まれですが、26歳の時にアメリカに渡っています。
テスラは一時期エジソンの会社に勤めていましたが、やがて電力のシステムに関してエジソンと意見が対立し(交流送電のテスラに対してエジソンは直流送電を支持しており、この対立は「電流戦争」と呼ばれます)、テスラは退職して自身の会社を起業することとなります。
彼は大学時代、あまりに研究をし過ぎて指導教員から「このまま休まないと死ぬぞ」と言われたエピソードもあります。

なお、テスラは生涯独身でした。そのため、「フレデリカ」という名前が誰を由来としているのかは不明です。

トーマス・アルバ・エジソン

エジソンの有名なエピソードとして「エジソンの最終学歴は小学校中退である」というものがありますが、実際にはエジソンは後年にクーパーユニオン大学の化学コースを卒業しているため、正確には大卒となります。
「ナンシー」はエジソンの娘の名前です。

史実の人物(ネゲントロピー構成員以外)

カール・グスタフ・ユング

ビジュアルノベル内では語られていませんが、おそらく史実におけるカール・グスタフ・ユングをモデルにしていると思われます。
ユングはフロイトと並んで精神分析の大家とされています。

なお、ビジュアルノベルにおいてカール・グスタフとプランクの関係が述べられていますが、史実においてユングとプランクの間に特段の交流があったという記録は(私の知る限りでは)記されていません。

なお、彼が幼少期のアインに紹介している「ヒルベルトの幾何学」については、ダフィット・ヒルベルトによる『幾何学基礎論』に代表される公理主義的な幾何学のことを指しています。
このヒルベルトによる公理主義の考え方は、現代数学の根幹の一つをなしています。

ベンジャミン・フランクリン
「アメリカ合衆国建国の父」の一人として、アメリカの独立に多大な貢献を果たしました。
またそれだけでなく、電気に関する実験(有名な凧揚げ実験等)を行うなどの科学的な業績をも残しています。
特に彼は現在の米100ドル紙幣の肖像になっており、本編で紙幣から喋りかけてくるのもそのためです。

彼の実験として有名なものの一つが、雷が電気であることを示すための凧揚げ実験です。
(実際には凧を揚げていたのは彼自身ではなく、彼の私生児だったようです)

なお彼が言及している「11次元」については、超弦理論における
(通常の3次元空間)+(丸め込まれていて人間には認識できないが存在する6次元)+(弦と弦の間に働く力が強くなった場合の1次元)+(時間の1次元)
が元になっています。

物語の考察について

物語全体のモチーフ

物語全体については、史実のアメリカ合衆国が最も恐れていた「ナチス・ドイツによる原子爆弾開発」をモチーフとしていると考えられます。
というのも、ビジュアルノベルに登場するネゲントロピーの人物は、「史実でドイツに関係があり、ナチス・ドイツによる迫害の影響を受けた人物」(アイン、シュレーディンガー、プランク)もしくは「アメリカに深いゆかりがある人物」(テスラ、エジソン)の二つに分けられる点があります。

史実の第二次世界大戦では、アメリカ側がドイツに対して「原子爆弾を開発しているかもしれない」という恐怖を抱きます。ドイツ側の原子爆弾開発についてのリスクをアメリカ政府に認識させたのは、他ならぬアインシュタインでした
アインシュタインはナチスの迫害を逃れてアメリカにいましたが、当時のアメリカ大統領であるフランクリン・ルーズベルトに対して、手紙で「原子爆弾は理論的に見て可能であり、それをドイツが開発している可能性があるかもしれない」と知らせたのです。

なお実際のナチス・ドイツでは原子爆弾を開発できるほどの組織力や資金を用意するのは難しかったようで、戦後の調査ではハイゼンベルク(不確定性原理の提唱者)による単純な原子炉が完成していたレベルのものであり、原子爆弾の実用化までにはまだ距離があったとされています。

この辺りの事情に関しては、最近日本で公開された映画『オッペンハイマー』を観るのがおそらく分かりやすいかと思います。

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