岡田将生研究①「天然コケッコー」と「ドライブ・マイ・カー」をつなぐ点と線

 「ドライブ・マイ・カー」のアカデミー賞国際長編映画賞の受賞を受けて、岡田将生の本格的なスクリーンデビュー作2007年に公開された「天然コケッコー」を見直してみた。岡田はこの作品でぶっきらぼうで不器用な東京から田舎の学校に転校してきた少年を演じている。初々しく瑞々しいその演技は、スクリーンの中で眩しいほどのきらめきを放っている。そのきらめきは、めまぐるしく変化する成長過程の少年が持つ特有の儚さの上に成り立っている。撮影時16歳から17歳。

 山下敦弘監督によると当時の出演者の中で「岡田は1番下手」だったそうだ。「キョロキョロするな。おどおどするな。声が小さい。」と注意されっぱなしで、10年後に同監督は「こんなに売れると思わなかった。」と驚いたほど。スクリーンで放つ人を引き付ける魅力と存在感は当時から十分すぎるほどであったと思うが、作り手側からするとその後の演技の上達ぶりが想像をはるかに上回るものであったことがうかがえる。

 「天然コケッコー」から14年後の2021年に公開された「ドライブ・マイ・カー」。まず姿勢が良くなり、聞きやすいなめらかな滑舌と発声、メリハリの効いた演技、と役者として格段の成長を遂げている。デビュー当時は等身大の自然で繊細な演技が持ち味であったが、近年はやや技巧的な演技巧者へと移行してきたように思う。綿密なキャラ設定が求められる実写映画やドラマ制作の現場において、持ち前の努力で必要な技術を次々と身に付けて行った結果であろう。「ゆとりですがなにか」で熟達させたコメディ演技、「昭和元禄落語心中」で確立させた年齢や職業をも超越した既存のキャラへのなりきり演技は、どれも高度な技術に裏付けされたものに他ならない。しかし一方で「天然コケッコー」で見られたような自然な等身大の演技は、年々影を潜めた、もしくは求められなくなってきたように思う。

 そこで「ドライブ・マイ・カー」だ。ここでの高槻における岡田の演技に筆者は雷に打たれたような鮮烈な驚きと感動を覚えた。一度では消化しきれず、2度3度と見るうちに、その感動の正体がようやくつかめて来た。「高度な技術と自然体の演技の融合」がそこに見られる。様々なメディアの監督や演者のインタビューや対談記事を読み漁り、それが確信へと変わっていった。

 濱口竜介監督は「演技に軸を置かない。高槻の人物像を作りこまない。」という一方で、劇中劇では「下手な本読み。下手な演技。上達した演技。」さらにはオーディションではアーストロフ、劇ではワーニャの2役を演じ分け、「音とは関係があったかなかったかわからない」という微妙なキャラ付けまで要求している。おまけに車中の語りの後、家福が初めて助手席に座るのが自然に見えないといけない、物語の根幹となる役割まで負う。難役中の難役だ。しかもそれをすべて「自然に」演じなければならない。

 近年役を作りこむ事を求められ応じて来た岡田にとって「演じるのが怖い。」という感覚に陥ることは容易に理解できる。何度も繰り返した感情を抜いた本読み、物語に登場しないサブテキスト、納得いくまで行われる話し合い。役者に要求するだけではなく、徹底してサポートをし続ける濱口監督の姿勢が岡田とともにあの高槻を生み出した。演技の技術を生かしつつ、岡田のピュアな一面が引き出され、役に何者かが憑依したようなこの映画屈指の車中の名シーンが生まれた。と筆者は考える。

 オーディションシーンや本読みシーンのように「計算しつくされた演技」(監督談)と「何かが起こった」演者の中から滲み出た車中の演技。この2つが同時に見られるのが「ドライブ・マイ・カー」での高槻役の醍醐味であり、岡田のキャリアハイと言われる所以であるのだろう。「天然コケッコー」で見られたピュアな計算のない演技が復活し「ドライブ・マイ・カー」と鮮やかな線を結ぶ。今後の岡田将生の活躍からますます目が離せない。

 

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