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じいちゃんが死んだ

先日、母方の祖父が亡くなった。自分と60歳違いで94歳だった。

干支も一緒だったし、生まれ月も一緒だった。自分が35歳になれば祖父も95歳になるはずだった。

脚は少し弱っていたが、頭もちゃんとしていたし食欲もあり、このままなら100歳までは元気だろうねと親族のだれもが思っていたはずだ。

元教員だった祖父は、デイケアで出された頭の体操(計算問題)を簡単すぎて困ると笑っていた。

しかし先日、夕食時に誤嚥し救急車で運ばれたものの帰らぬ人となった。

本当に急なことだった。

そのことは母から電話を受けた。
年齢的に万が一ありえると少しは思っていたからかもしれない。意外と冷静に受け止めたように思う。

祖父と高校生まで一緒に暮らしており、現在遠方に暮らしている従姉は遺体と対面するやいなや泣き崩れていた。

自分もそうできたらもっとすっきりできたかもしれない。

祖父の死からおよそ1週間が過ぎ、今自分はなぜか「人生」について改めて考えている。

考えているというと自発的なものに聞こえるかもしれないが、頭の中で自然発生的に「これからの人生どうするんだ??」という問いが浮かんでくるのだ。

高校生の時に祖母(今回の祖父の妻)が亡くなって以来、直系の親族の死に対面してこなかったが、今34歳にして身近な人の死というものに触れたことで、何か変なスイッチが入ってしまったのかもしれない。

さらには従姉と実弟に子供が生まれたことも一因だろう。これまで新型コロナウイルスの「おかげ」で、それを遠い出来事のように思っていたが、実際に姪を前にすると嫌でも実感する。

面倒くさいことは極力避けてきた。しかし人生いつか死ぬ。

謎の焦燥感に苛まれる。

人はいつか死ぬが、その時に私は後の時代に何か残せているのだろうか。

もしその一つが子孫というのであれば、もう考えなければ年齢的なリミットも近づいている。まあ育てられる自信も経済力も無いのだが…。

社会人になってから約11年、自分は何をしてきただろうか。などと考えるのは無駄なことだとわかっている。

「人生で一番若いのは今!」「やりたいことをやれ!」などの前向きな言葉もあるが、自分の今の気持ちが何なのかを整理したくて文章に書いてみた。

駄文を読んでいただいた方へ。ありがとうございました。

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