「無駄を愛する」

どうも、clackPです。
最近はこれといったイベントが無くて味気ない感じです。つまらないかと言われたらそうではないですけど。

さて、タイパコスパ云々言われる昨今。その中で生まれる無駄なものについて、そしてそれへの向き合い方について、
なんとなく自分の中で書き留めておきたいなんて思ったので話していきます。独り言です。

《本題》

最近「タイパ」「コスパ」なんて言葉をよく耳にします。

するよね?

流行り廃りが早すぎるので時代に乗り遅れてることすらわからない。勘弁してほしい。

そんな超高速化してる社会、きっと「無駄なこと」が増えていると思うんです。
所詮社会に揉まれたこともない学生の一意見ですが。

例えば、自動運転。
あれって、運転することが無駄だと見なされて作られたものですよね。
その運転を排除して、より車内でのリラックスした空間を作り出すことを目的にして作られてますよね。

でも、それって本当に「無駄なこと」なんだろうか?

もちろん、自動運転技術が発達したら色々便利になることはあると思います。それはロマンしかないです。配達とかとってもスムーズになるだろうし。

ただ、自動運転技術が完全に確立されたとして、手動運転が無くなるかと言われたら無くならないと思うんです。

どうしてか?
それは、「運転したい」って欲求を持つ人が少なからずいるからです。実際私もそうだし。

案外「無駄なことをしたい」って欲求はみんなあると思うんです。非効率的、非合理的だとわかっていても、やりたいこと。

超高速化する社会では、そういった欲求は考慮されないことが多い気がします。
そして、排除される。

声を大にして嫌!と言うわけではないけれど、やはり少し寂しい気がしてしまいます。

人に迷惑がかかることじゃなければ、あるいは、そのツケを自分自身でカバーできるなら、そういった非効率的な行動は自分の欲求を満たすためにやってもいいんじゃないかなぁと思っています。

ここまで書いてて思ったんですが、生成AIに対する僕自身の考えも、割とここに詰まってる気がします。

タイパ、コスパが重視される世界で、生成AIが台頭して、それまで技術を磨き上げてきたクリエイターが「無駄」として排除される。

そういった構図は、やっぱり不快だなぁと。

生成AIの存在自体を否定してるわけではないです。ただ、生成AIの出現によって、クリエイターが排除される今の社会は、凄く怖いなぁと思います。

今後、そういった「非効率」を排除するために色んなツールとか仕組みができると思います。多分この超高速化社会はしばらくは終わらないと思うので。

その中で、いかに「非効率」を愛せるか、
「無駄を愛する」という概念を理解できるか。
そういったことが、今後豊かに人生を暮らす上で、重要なのかなぁとか。

私は「無駄なこと」は好きな人だと思います。
とは言ったものの、「無駄なこと」の概念は言えても、本人からすると無駄ではないので、具体的な「無駄なこと」は思いつかないのですが。散歩とか?あとボロボロのCDプレーヤーで音楽を聞くとか。

みなさんも、無駄を愛してみてはいかがでしょう。
惜しむらくは、おそらく無駄が嫌いな人はこんな長ったらしい文章を読まないことでしょうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?