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自力で生きるつらさ、頼れない苦しみから解放された


例えば何か困ったことがあったとします。

そして、それを誰か(何か)に頼るということは、弱々しい感じで、どちらかというとあまり良い印象が持たれないように個人的には感じていました。

それよりも、自分の力だけで決断してグイグイ進んでいくタイプの方が、強い人とか自立した人というような良い印象があったからです。

実際にそういう人は他の人よりも目立っていましたし、周りの人からも高い評価を得ている人が多かったからです。

けれども、自分自身はというと、これとは程遠いタイプの人間で、自分だけの力で突き進んでいく自信も能力も全くなく、「本当に弱々しくて情けない人間だなぁ。」と心の中でいつも嘆いていました。

それに、自分の出した決断の全てが正しいとも思えなく、誤った判断をしてしまうことを極度に恐れていました。

かといって、誰か(何か)に頼ることは、まるで自分で考えるのを放棄することを示しているようだし、何より自分の無能さや弱さを証明するかのようで、とても恐ろしいものでした。

そんな私に、人は決まって「もっと自分に自信を持った方がいいよ。」とアドバイスしました。

ですが、自分の考えや行動、自分の出した決断がちっとも正しいと思えなかったので、自分に自信を持つなんてとてもできませんでした。

「みんな何でそんなに自信が持てるの⁉︎」と不思議でなりませんでした。

「私は無能で、弱い人間だ。」と自分自身を責めてはウンザリしていた私ですが、ラプトブログの有料記事や聖書に出会い、このように自分を責めなくてもいいんだ、と思えるようになりました。

まず、自分の知っていることなど、本当にわずかな量だし、世の中には自分の理解をはるかに超える物事がたくさんあって、それを知らずに生きてきたのだと素直に認めることができました。

ですから自分を責めることもなく、自分を卑下することもなく、自分の現状を素直に認めることができて、むしろ清々しいくらいでした。

知っているふり、強いふりをしたりして、自分自身を過大に見せたり、取り繕ったりすることが重荷に感じたのです。

そうすることによって、あれほどまでに感じていた恐れも気づけば不思議とどこかに行ってしまいました。

そして、聖書を読み始めた頃、衝撃を受けた聖句がありました。

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あなたがたの中で知恵に欠けている人があれば、神に求めなさい。そうすれば、与えられます。神は、とがめもせず惜しみなくすべての人に与えてくださる方です。

ヤコブの手紙1.5

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「ええ⁉︎神様は、このような私を責めたり非難したりしないんだ!むしろ求めなさいっておっしゃる!」とビックリしたのを覚えています。

ただ、自分の現状を認めただけでは、自分自身は無力で、ちっぽけで弱々しい自分のままです。

けれども、世間では、自分の力だけで誰にも(何にも)頼らずに生きられないのであれば、「落ちこぼれ」とみなされ、バカにされ、見下され、ついには見放されることと思います。

でも聖書にはこのように書いてあるし、有料記事でも何度も、祈り求めなさい、頼りなさい、できるようになるから頑張りなさい、と書かれており、読むと本当に励みになり、助けられ、希望や安心感が絶えませんでした。

あのまま自分の無能さ、小ささや弱さを認めることを拒んで自分を取り繕って、自分の力だけで生きていたなら、どこかで大きな過ちを犯していたかもしれません。

誰にも(何にも)頼らず、自分の力で生きぬかなければならないとずっと考えていたので、孤独と絶望を味わいながら生きていましたが、無能な自分でもなく、絶対的に信用できる保証もない他人でもなく、ウソだらけの世の中の常識でなく、神様という方に頼ることができ、生きる恐怖や不安から解放されました。

孤独に生きるというのは本当に辛いことです。たとえ良くしてくれる誰かがそばにいても、これからもずっとそうかというと、それは分かりません。また、誰かがそばにいるのに孤独を感じて絶望するときもあります。

神様に自分の心のうちを打ち明けて、神様を信じて神様に頼ることで、私は孤独に生きる苦しみから解放されました。

昔の私と同じように、孤独に苦しんでいる人に届いたら嬉しいです。


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