アゲハ蝶

正月明けのスノーボードで怪我した肋骨がまだ痛い。医者に診てもらったはいいものの明確な答えは出ず「軟骨の部分が折れているかもね」と言われた。医者はとても大変な仕事であることは医学部の友人から聞かされていたので、以前よりいっそう医者のことは尊敬するようになったのだが正直少し萎えた。あんなに待ったのに。

そんな痛みの中歌の授業を2本こなした自分を少し褒めてやりたい。歌は呼吸が重要で、呼吸をするには肺が必要なのだから当然肋骨にも影響がある。間違った呼吸をしてしまうと肋骨にダメージが行き、うるさい人のしゃっくりのような音が出る。
肋骨を痛めたため準備体操が出来ませんと先生に素直に伝えた。基本的にどこへ行ってもひょうきん枠であるためクラスからも笑われた。ダメージの行かないようにダサい準備体操を少しやってもっと笑いを取りに行った。自分の笑いに対するハングリー精神に少し引く。

課題曲がアナと雪の女王のLet it goであった為に生徒の1人が「思い出しちゃわないですか?」とツッコミを入れた。巧い。

先生は「今日は怪我してる人もいるから」と曲のキーを+2にして歌わせてくれた。この先生はとても優しいのでそこでは言わなかったが、自分の適正キーは多分+2だ。期待を込めてくれているのかいつも+4ぐらいで歌わされる。あの時ほどTOSHIの歌声が欲しいと思ったことは無い。
歌が上手いという自負は無いが、他人より劣ると思ったこともない。
その中途半端な立ち位置とプライドゆえ高音を外すことがとても恥ずかしいと思ってしまうのだ。


しかし今回に限っては+2でも歌うのがやっとだった。
肋骨を気にしながら歌を形にするのはとても難しい。いささか不細工に聴こえたのではないかと思っている。




昼食を済ませ2本目の歌の授業へ向かった。
ここでは課題曲が各々与えられており、週一の授業に合わせて練習して最終的に録音する授業だ。

なにやら機械をいじっている女性の先生に声をかける。
「先生、あけましておめでとうございます。実は年明けのスノボで肋骨をぶつけまして…etc」

先生はまるでそれが自分の痛みであるかのような面持ちで話を聞いてくれた。話しているうちその先生が若い頃に同じような目に遭ったと言うことだった。
肋骨部分を色々あってドアのへりの部分にぶつけたと。そして骨折をしたそうだ。


自分は折れているか未確定な分向こうの方が上だ。そりゃそんな顔にもなる。

結局収録の予定をズラしてくれた。
比較的フリーな授業であるため歌を指導している最中他の人は邪魔にならない限り何をしていても良い。他授業の台本のチェックをする人、携帯をいじる人、本を読む人、何かの文章を書いている人、歌を聴いて口パクで歌ってる人…。
自分は携帯をいじったり他の人の歌を聞くのが常であったが、界隈での本ブームに乗っかって本を持ってきていたので読むことにした。

恩田陸が書いた「夜のピクニック」というものだ。完全にジャケットと名前で買ったのだが、本屋大賞を受賞したこともある名著らしい。本屋大賞とは野球でいうどれくらいの位置づけなのだろうか。GG賞?ベストナイン?あるいはMVP?
そういう格に囚われるのは良くないのだろうがやはり気になってしまう。

時間がそこまで取れた訳でもないので少ししか進まなかった。どうやら恋愛の話のようだが、開幕から結構ドロっとしたものを感じた。BGMとして聴こえてくる皆の歌声がそれを少しまろやかにした。


時計をちらっと見るともう授業が終わりそうだ。新たな展開を楽しみにしながらそっと栞を挟む。
これで今日の授業は終わりだ。軽く背伸びでもしておきたい所だが、そんなことをすれば肋骨が持っていかれる。深呼吸ですらやっとだと言うのに。


教室を出て1階にあるロビーへと向かった。
水曜は少し寂しい日なのだ。
月曜や木曜は誰かしらと一緒に帰っているので、誰もいない水曜は少し寂しい。


しかし今日は大丈夫な予感がしていた。以前この時間でウチのクラスの子と帰るタイミングがたまたま一緒になることがあった。それを少し狙っていたからだ。
軽く携帯をいじって待っているとその子が来た。誰かと一緒だったということもあってか望み薄に見えた、がどうやらその子は学校からの最寄り駅で乗車するらしい。無論自分もそこの駅から乗った方が間違いなく早いのだが。
好きなわけでもなんでもないが好意的な印象を持っているのでせっかくならと思い遠い駅に向かった。


道中では正月に行ったスノーボードの話などをした。スキーは経験があるけどスノーボードは全くないこと、故にぶつけて痛めたこと、鍵をなくしたこと…
向こうの成人式の話もしたりして個人的には盛り上がったように思う。写真とかも見せてくれたし。



同窓会の話になった。曰く彼女は同窓会へ行っていないらしい。中学の時虐められたことがあったと。もちろん仲のいい人もいたけどその人らも行かないから私も行かないと。
とても賢明な判断だ。わざわざひとりぼっちでいじめっ子達の巣窟へと向かう必要はまるで無い。人を虐めたことこそないが気質としては多分そっち側だと思っていたので、自分でもよく分からないがヒヤッとした。
そして話は友人関係のことになった。
彼女は色んな女の子に絡んだり仲良くなったり話しかけに行ったりするのだけどそれ故友人関係が広く浅くなってしまうという悩みを持っていた。
これは自分にも通じる話で、というかどストライクな話でその話に対して大共感をした。


仲良い人はいるけど多分その人にとって私って1番じゃないよね〜、という何気ない言葉が自分を路上でクラっとさせた。
見透かされているようで心臓の鼓動が早くなっていた。嗚呼、本当にそうなんだよ。多分誰かの1番になることを願っているんだよ。


確かに仲良い人も話す人もいる。でも、「じゃあクラス内でグループ作って」って言われたら作れないんだよね
と返事をしたら向こうが首が取れるのではないかと思うほどに上下させて大共感してくれた。
用心くんはプレイボーイ的な行動を取るよね、とサラッと言われたがかなり心に残っている。プレイボーイじゃないのに行動が先に来ているから恐ろしい。


見る人が見ればデートのような帰り道だったはずなのだが、このトークが盛り上がってしまったせいでただの反省会になってしまった。
この話は帰り道でのトークだけに収まらずLINEでもしてしまった。結構彼女にも思い当たる節があるらしく、向こうが嫌がってるならやめるべきだけどそうでないならやめなくても…という結論に落ち着きそうだ。もしかしたらやめるかもな。
ただその彼女とはもう少し深く語り合ってみたいなと思った。奥底にあったものを覗かれる感覚は以前違う人からも感じたことがある。
次は何を語ろう。



以前"ママタルトのラジオ母ちゃん"というラジオを聴いていた時に大鶴肥満が相方のひわちゃんに軽く説教をするシーンに出くわした。関係性などは違えど言いたいことは非常に似ていた。
・八方美人
・変に懐に入る
・色んな人に絡むのは1番人に対して無関心だし向き合っていない
・結局関わる人を選んでるし、何考えてるか分からないと思われる

相方への軽い説教でもしかしたら笑いさえ起きているシーンだったのだが、あまりにも自分事すぎてとてもじゃないが笑えなかった。
なんなら耳が痛くてラジオを聴くのをやめようと思ったぐらい。自分が指摘されているようにすら感じたのだ。



誰かの1番になるというのはとても難しいことだ。君が1番の友達だよ、とか1番の話し相手だよと言ってくれることは少ない。というかほぼない。

全員を愛して全員から愛される。全員を1番だと思っているし全員から1番愛されている…。
空想や物語の世界ではそんなワガママで不思議なことを描けるが、現実はそれを許してくれない。
必ず友達の中でも何かで優劣があるし時として非情な選択を迫られることが大いにある。


今まで自分は他人に対して"1番であるかもしれないことの確認"を多くしてきたのかもしれない。


他人に依存し、頼ることによって自分の存在価値や立ち位置を確認していたのかなと思う。一概に悪いことではないが人に気を遣いすぎているのかなとも思う。




誰かの1番になることを焦る必要は無い。
1番だよな?と確認しに行かなくても良い。
そんな苦労や心配をしてまで欲しがっている"誰かの1番"は何と価値のあるものなのだろうか。
そして何と醜いものなのだろうか。



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