時間の流れを感じてしまった
久しぶりに筆をとる。
忘れもしないバレンタインデーの日、用心家にはチョコではない非情なサプライズが起こった。
ウチに住んでいるおばあちゃんが倒れたとの報告。ややこしいのだがウチは2世帯で、おばあちゃんが2人いる(この説明もややこしいので飛ばさせてくれ)
連絡当時俺は池袋で三麻を打ち込んでいた。ヤンキー2人からの招集。負けたらかなり持っていかれる可能性を考慮して財布の中を7000円ぐらいにして行った気がする。
賭け事は行われず初心者と経験者のヤンキーをボコボコにする雀鬼と化していた。
およそ7時間ぐらい打っていたように思う。
時刻は17時。麻雀はとても楽しいのだが、何しろ時間泥棒だ。毎度夕方になると「もうこんな時間!?」というのはお決まりで、今回も例によってそんな会話がされそうな時だった。
1本の電話が鳴る。弟からだ。自分の中のポリシーとして遊んでいる最中は電話をして雰囲気を壊す(?)のを良しとしていない。
もっとも、雰囲気が壊れるほどの相手では無いのだが。
しかし弟から追いLINEが。
緊急。〇〇(おばあちゃんのあだ名)が転んじゃって倒れた。なるべく早く帰って来て欲しい
という旨だった。どうやら救急車まで呼んだらしい。このあとすぐ弟からもう一度電話がかかってきたが、今まで聞いたことないほど張り詰めた声で話していたのを覚えている。もちろんこっちも動揺はしていたが悟られまい不安を与えるまいと気丈に振る舞っておいた。
様々な親不孝家不孝をしてきた自分ではあるがここで帰らないと何かとんでもないものを失う気がした自分は、ヤンキー2人にかくかくしかじか伝えて抜けさせてもらった。
この時2人とも快くオーケーを出してくれた。人としては当然かもしれないが彼らからしたらあくまでも他人だ。いくばくか気持ちも楽になったしこれに関してはとても感謝している。
あの日は不思議なもんで全ての交通機関と信号が味方してくれたように思う。普段なら絶対に行くことの出来ないタイムで家に帰ることが出来た。
実際経過した時間はとても短かったのだが、電車の中にいた体感時間は本当に長く感じた。
84歳だ。今までも転んでどーのこーのといって病院に通っていたことはあるが、転んで救急車を呼んだという経験は無い。何しろ電話では状態が分からなかったのだ。無論最悪もありうる。
マッハで家に帰りリビングに行くとそこには誰もいなかった。おじいちゃんが出てきて、弟とおばあちゃんは救急車に同乗していったと伝えてきた。
いや、あんた実の弟なんだから行ってあげろよ。と思ったことは秘密である。とても気にしぃで優しいのだがめちゃくちゃビビりなのでそういうお事件に弱い。こういう時に使えるのは若い男と女。女性バンザイ。
家に着いてから3分と経たない内に母親が帰宅した。本当に上手くいった。病院に行くけど行くかと聞かれたのだが、あの時は少し迷った。正直言ってめちゃくちゃお世話になったおばあちゃんの最悪(この時点ではまだ判明していない)と向き合いたくなかったし、逃げていたかった。
ただここで逃げてしまうと先程少し軽蔑したおじいちゃんと何も変わらないではないかと思い病院へと向かった。
この歳にもなると無意識的に物事の最低を考えるようになる気がする。
付きまとう不幸や残念な結果をなるべく想定してケアして生きていくようになる。今回も車内では最悪しか想定していなかった。その上でケアする...となると気丈に振る舞うことぐらいしか出来なかった。皆が悲しそうな雰囲気を出して焦っていたので自分1人はいつも通りを貫きなんなら少し笑って過ごした。こういう人が1人いてくれたら有難いな、と思われるかこの薄情者めと思われるかはその人次第だ。何を言われても「実はこうなんだよォ〜」と弁解するのはなんかダサい気がするので言わない。分かってくれる人だけでいい。
昔からそういう暗い雰囲気は得意じゃない。
先生に怒られて残された教室のあの雰囲気とかも嫌なんだ。1番先に喋りたくなる。何となくわかるだろ。
話が逸れてしまった。
病院近くの駐車場に着くと同時に母は小走りをしていた。彼女が生まれた時から家にいるもう1人の母親のようなものなのだ。焦るよね。
ここで非常に大事なことを記載していないことに気付いたので書いておく。
実はこの時、父方のおばあちゃんが手術をしてその療養でウチに泊まっていたのだ。おじいちゃんには先立たれ家に1人。手術後1人で出来ることも少なくウチで面倒を見ていたのだった。
正直平時に救急車うんぬんだったらとりあげない迄あったのだが、なんともややこしいタイミングで事が起きたので書いている。
この1件で父方のおばあちゃんが迷惑ということは全くなくむしろ逆で、留守番しながらウチの爺さんをなだめ(?)たりしているので非常に助かった。
病院を小走りで進み3Fだか4Fに辿り着いた。既におばあちゃんと弟が廊下のベンチに座っていて、ひと仕事を終えたぞという顔をしていた。
ひとまず命に別状はない旨を2人から聞いて安堵した。各所に連絡したり時間つぶしのお喋りをして過ごした。
しばらくすると倒れたおばあちゃんが担架みたいな器具に運ばれて救急の部屋から出てきた。自分を送り出してくれた朝の姿とは少し変わった姿で、呂律もあまり回っていないし年老いたように映った。左半身がどうやら利かないらしい。麻痺なんだろう。
命に別状はない、と言われたもののその表情や感じからして決してポジティブな気分にはなれなかったのだ。こういう場合の命に別状はないというのは単純に幸せなのではなく不幸中の幸いであることを知るのだった。自分を除いた3人はなんだか泣きそうになっていたのだが、自分はあまりそうなれなかった。なんか嘘みたいだったし。ふざけてこそいないけどなんか、ね。そういうことだと思いたかったし。
ICUに運ぶ一瞬の出来事だったがその光景はよく覚えている。なんて声をかけたかは覚えてない。自分もまたビビっていたんだろうな。
おばあちゃんと母が診察室的な所に呼ばれた。少し不安だったが、症状の説明や今後の治療についてなどを話されたらしい。ドラマだったら絶対に余命を告げられてるやつやな。
廊下に貼ってあったポスターには脳溢血の症状が書かれており、「呂律が回らない、麻痺...」という内容だった。これやん。と思ってしまった我々の予測は見事に正解するのである。
症状は脳溢血だそう。入院しておく必要があるんだとか。脳をやられたようで左半身に麻痺があると。本人が言っていた通りだ。
脳溢血(のういっけつ)、これは少し昔の呼び方で今は脳出血と呼ぶらしい。最初からこっちでええやん。
なんか手続き系を済ませて(これが本当に長い)帰路に着いた。夕飯はお弁当だった。誰かが倒れても腹は減るんだよなあ。
この時点で11時ぐらいだった気もするが母は翌日も会社に行くらしかった。思えば母は少しの風邪では学校を休ませてくれなかった。自分がやっているから他人にも求めるのだろう。正しいとか正しくないとかじゃなくて。
家に帰った時の素直な感想は、死ななくてよかった、だった。最悪を考えていたぶんメンタル的な部分のストレスは少なかった。明日から家はどうなってしまうのだろうという不安はあったが。
倒れたおばあちゃんは俺が産まれる前から家にいた。いや、もっと言うと母親が産まれる前から家にいる。俺が初孫だったこともあってか子供の頃から本当に可愛がってくれて、公文の宿題があれば見てくれたし行きたいところに連れていってくれたし欲しいものがあれば買ってくれた。
家ではいつも洗濯や料理をしてくれたし、高校の頃は朝早いのに毎日お弁当を作ってくれた。掃除をあまりしない俺の部屋を掃除してくれた。あの人がいないから俺の部屋はちょっと汚いかもしれない。成績がいいと「お前はやれば出来るんだから」といつも言ってくれた。
なんか死んでしまったわけでもないのにここに思い出をつらつら書いていると涙が止まらなくなってきた。夜の電車内。願ったらあの日々は戻ってくるのか。口うるさい人だと思っていたんだけどな。
ここまで書いて1回下書き保存した。自分自身予想以上に苦しかったみたいで。
入院してから色々変わった。小さなことから大きなことまで。
家事をしてくれる人が1人減るというのは意外と大きいことで、自分自身自分のことはもちろん自分でやるし家のこともより手伝うようになった。
いなくなると有難みが分かるとはよく言ったもので。本当にそうだ。
料理すること自体は好きなので弟と一緒にクックパッドとにらめっこしながら色々作ったりした。
たまに向こうから電話がかかってくる。寂しがりで家族が大好きな人だったから一発目に電話がかかって来た時はこたえた。泣きから入るんだもん。こんなことになっちゃってごめんねって泣きながら謝られたし、自分が一番どーしよーもないことになってんのに家族は大丈夫かとか心配してた。
マジで一発目の電話にそれが来るんだぜ。本当に泣きそうになったけどこらえた。長男だし。1回カラオケで1人練習してる時にかかってきたこともあった。やっぱり言うことはこんなことになってごめん、だったんだよな。気持ちは分かるがこれを言われると条件反射の如く泣きそうになるから本当に言わないで欲しい。気持ちは分かるが。
今はこういう状況下だから病院の面会とか行けない。クラスターになってるところもあるし。
そんな中入院した病院からリハビリ用の病院に移る時少し話す機会があった。やっぱり左手左脚が動かないらしいのでそういう病院に移るんだそうだ。
最近大丈夫かとかしっかりやってるかとか聞かれた後女の人にはどーのこーのって言われた。
脳がやられ気味なので変な妄想でモノを言ったりするし支離滅裂なことを言う。
それでも右手はしっかり動くのでバイバイはちゃんとできるからなんか寂しかったね
そして今はその病院でリハビリしてる感じ。
なんか話すと泣きそうになるらしい。小さい病院なので2階からなら会話出来るんだ。
本人はいち早く家に帰りたいそうだけどしばらく無理だとは思う。杖ついて歩けるぐらいじゃないと多分家には帰れないんじゃないかと思っている。
このまま帰ってきたら車椅子にずっと乗っているか寝ているかの2択の人になる。じゃあ介護をするのは誰か?母は無理、弟も大学、俺も行くところがある。救急車に乗っていたおばあちゃんがおじいちゃんになってくる。そうなれば本格的な老老介護だ。筋肉のある若い男性ならまだしも本当に逆の位置にいる人だ。トイレや風呂も介護が必要になってくる。
よく介護疲れで手にかけてしまうニュースがでてくる。もちろん罪を犯すのはいけないことだけど介護疲れで対象者を殺したくなるのかもしれないな、そうなれば楽になるんだろうなという予測までは出来た。病院に預けて良かったのかも。
こんな感じかな最近あったことは。あんま言ってなかったと思う。
そこそこ悲しかったけど死んじまった訳では無いから突如思い出して泣くとかはまだない。
噂に聞いたけど7月頃に退院するかもなんだそうだ。いなかった時よりも大変になる可能性だってある。あぁ、どうなってしまうんだろうか。
最後親戚とか家族の死に目にあったのは小学生だったな。やっぱおじいちゃん世代が年齢的に死に近づいてきてんだなと思うと怖いな。
出来れば、出来れば後悔しないようにしてえなぁ。
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