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手紙を書いた話

昨日は訳あって溜め込んでいた「手紙を書く」タスクを一気に処理した。こんな表現をしているが、書き始めると楽しく集中できたので私は手紙を書くのが好きなのだと思う。
もっと些細に言うと、字を書くことが苦痛ではないどころか好きなほうだな、と気付いた。

この「字を書くのが好き」って芽生えは、いつなのだろうか。やはり小学一年生から低学年の間だけでも通っていた習字教室の影響だろうか。
当時、兄が通っていた習字教室に私も通うことになったとき特に疑問も抱かず受け入れていたように思う。母もついでとばかりに通っていたのが大きいか、習字教室が始まる前に子ども同士で遊ぶのが楽しかったからか、両方か、定かではない。

習字自体も嫌いではなかった。準備や後片付けが少しめんどくさいな、とは思っていたが……ゆるい教室というか先生というか、お手本を真似して推敲もせずに先生の所へ持って行っては朱を入れられその通りに真似してまた直ぐに持って行って……そんな繰り返しを許されて、字がなんとなくいい感じになっていくのを子どもながらに理解していく過程が楽しかったように思う。

小学校卒業前に諸事情が込み合って辞めてしまったけれど、教室での経験は私を形作る大きなひとつになっている。中学校以降で遭遇した板書が読めないような授業に非常に嫌悪感を抱くなど、確実に影響を与えていた。当時、思春期も相俟って尖った態度で接してしまった先生方には少し申し訳ないなぁと思っている。でも板書はせめて判別できる字を書くようにしてほしい。

字を書くのが好きなほうという背景はさておき。今は買い物メモなどを手書きしたがり、その前も何かしらメモ帳に手書きしていたり、カーナビを持っていないからルートをメモ書きしたり……
夫や親しい友人に何かプレゼントする際はメッセージカードを見繕って書き込んで添えたり、夫には折に触れて手紙を書いたり。あまり自覚していなかったがスマホを活用するわりにアナログな文房具が好きだったり。
昨日の手紙を書くタスク前に気付いても良さそうなぐらい普段から字を書いてるし関心持ってるなぁ!

だからなんだというわけではない、日頃の呟きより長いだけの日記なんだが……思えばnote以前にTwitterだったりその前から色々だったり、Web上でも言葉を書き連ねる日常だった。アナログだろうがデジタルだろうがアウトプットが好きなんだろうか。
デジタルの場合は自身の思考整理を兼ねていて、そのために長文だったり連続ツイートになりやすい傾向がある。アナログのときは、まず下書きをする。
プレゼント選びのように、明確に一人、相手がいるからだろうか。何を伝えたいか軽く書き出し、お気に入りのボールペン一発勝負で書くから丁寧な字になるよう力が入り……読めるけど上手くはない字になるけれど、送る相手への気持ちを込めて作業するのは楽しいのかもしれない。だから、好ましいなと自覚したのかもしれない。

今の時代、簡単にコミュニケーションを取れるツールが溢れている。私もスマホにインストールしているLINEは活用している。主に夫の帰宅連絡や、その他の家族や友人への連絡に。
最近は文字のやり取りより通話やビデオ通話が主流なんだろうか?まあ、それはさておき……
昔より簡単に人とやり取りできるようになったからこそ、何かの折に書く手紙は特別なプレゼントのようで、季節のイベントに合わせて作られているメッセージカードに一言添えるだけでも特別な気分に浸れる、気がする。しないかな?

もうすぐクリスマスだし。
最近、親しい人に何もしてないなって人は手紙と言わずメッセージカードに一言添えるだけでも、何か書いて送ってみるのはいかがだろうか。気取った文言を探して検索してコピペのように書く作業ではなく、たまの機会に伝えたいことを自分なりに考えて、書き込む。
何でもいいんだ。前食べたあれが美味かったでも(二人の思い出が望ましい)、今度何処そこに出かけてみないかでも。ありがとうでも、好きだよでも。何でもいいから、一言でいいから、手書きの言葉をプレゼントしてみてほしいなぁ。

ちょっとでもそれに特別感や楽しさを覚えて貰えたら、この長ったらしい日記を書いて良かったなって思えるので。ぜひ。