井の中の蛙16

自分の夢を大切にしない奴はキライだ。
自分の事を大切にしない奴はキライだ。


<変人論法>

私が変人と呼ばれても何ら問題は無い。
なぜなら、自分は普通で、周りは皆変人だから。
変人からすれば普通の私が変人に見えるのは当然の事でしょ。

と、冗談はここまでにしといて..
実際には自分は変人だと思ってる。
妥当な価値観を持っていると思ってるけど、
一般的な価値観とはちょっと掛け離れてるから。
変人とは、ほんのちょっと極端なマイノリティ。


<物分かり>

物分かりの良いのも考えものなのかもしれない。
納得がいかないからこそ物事に熱くなれる。
しかし、不満を抱いて生きるのは御免だ。

私は今まで通りローリスク・ローリターンで行こう。
自分なりに納得して、その上で出来ればより良くなればなと


<怒りっぽい人>

怒りっぽい人を見ていると、
一生を周りに振り回されて終えてしまうような気がしてならない。


<「なんとなく」を減らす>

なるべく「なんとなく」何かをするという事をなくし、
何でも良いから意図を持ってする。

「なんとなく」した事に対して、
後付けで構わないから自分なりにその意図を考える。

そうやって「なんとなく」を減らしていけば、
自分の行為全体がクリアになって物事が考え易くなる。


<人の振り見て我が振り直せ>

他者の欠点を反面教師として自己反省に生かす。
これを意識しながら他者を観察し生活していると常に自己改善が促される。
それはとても良い事なのだけれどデメリットもある。
相手が優れた人だと、自分のダメさを思い知らされる事になる。


<嘘から出た実>

笑っている人を見ていると、
つられて笑ってしまう。
この性質を利用して..

自分が笑う。
相手が誘われて笑い、
それにつられて自分が笑う。


<悪口(ものは使いよう)>

ノリが合っていれば、悪口一発で仲良くなれたりする。


<元気>

人を元気にしたいのなら、
まず自分が元気な姿を見せなければならない。

人生が楽しいものである事を伝えたいのなら、
自らが人生を楽しんでいる姿を見せなければならない。

嬉しい事や楽しい事があれば、
その瞬間であれ、後々であれ、それを十分に表現する事で、
相手に世の中にはそういう嬉しい事や楽しい事があるという事を、
少しでも強く認識して貰えるのではないかと。


<利己主義者の利他行為>

利己主義者はあるかどうか分からない見返りをあまり期待しない。
だから、利他行為そのものが自分にとって得でないとやらない。
だから、利己主義者にとって見返りは余剰報酬となり、
それは、借りとして残ってしまう。
利己主義者は利他行為をすればするほど借りが増える傾向にある。


<米TV映画『LONG WAY HOME』>

人は幾つになろうと出会いがあり、再会もある。
そして出会いや再会はその後の人生を変える可能性がある。
人生はどうなるか分からない。
だから、希望を無くす事は難しい。


<ガン患者>

患者本人が弱気になって落ち込むと、
心配してくれている人、支えてくれている人、
そういった人達の心的負担を格段に増やす事になる。
弱気にならず病気に向き合う事が、
周囲の人の為となり、ひいては自分の為となる。


<ありがとうございます>

道を譲るなどちょっとした気遣いをして貰った際、
「すいません」と会釈するが、
「ありがとうございます」でも構わない。
いや、構わないどころかより適切だと思うのです。

「すいません」は自分に問題があって申し訳ないという感じ。
「ありがとうございます」は相手の行為への感謝。

「すいません」は自分にマイナスポイント。
「ありがとうございます」は相手にプラスポイント。

小さい事やけど、積み重なれば大きいと思う。
でも、通例「すいません」と言うところを
「ありがとうございます」と言うのは難しい..


<わがまま>

わがままとは自分の意のままに行動する事。
しかし、自分の行動は周囲との兼ね合いで決まるもの。
周囲を無視して行動しようとしても、
抵抗や妨害に会い、なかなか思い通りには行かない。

真にわがままな人というのは、
巧妙に周囲に介入し、自分の意のままに行動しやすい状況を作る。


<こころ>

ガードを強くすればするほど守られた心は弱くなる。
また、心が弱くなると自然とガードが強くなる。

強いガードは、人の出入りを困難にする。


<少しだけなら大丈夫>

少しだけなら大丈夫と思ってやって、
実際に大丈夫だった経験を持つと、
もう少し、もう少しと、エスカレートしてしまう。

経験だけに頼るのは危険。
個人の経験は、物事を判断するに足りない事も多い。


<前提としている価値観>

言葉は繋ぎ合わされる。
しかし、どれとどれを繋げても良い訳ではない。
文章としておかしくなくても、
発言者にとっては有り得ない場合もある。

ANTY the 紅乃壱“let go”でのフレーズ
「大丈夫。あんたは愛されてる」
聴いた瞬間、面白いと思った。
「愛されてる」ということが「大丈夫」の根拠になると認識している。
もしくはこの聞き手がそう認識していると認識している。
って事かぁって。

言葉の繋ぎ方で発言者が前提としている価値観が見える。
繋げられた言葉の蓄積が多ければ多いほど見えてくる。
人を知るには出来るだけ多くの言葉が必要なのだ。


<勉強する理由>

頭の良い大学一回生くんに聞いてみました。
「いつから頭良いん?」
『小学校の時から塾に通ってました』
「勉強好きなん?」
『嫌いです』
「じゃあ、やめたら良いやん^^」
『今まで勉強して来た事が無駄になるからやめないです』

それって..
会社の経営が傾いて借金してなんとか立て直そうとするも上手く行かず、
さらにさらにと借金を重ねてしまう社長のセリフと構造同じやなぁなんて。
この考え方自体悪い訳ではない。
ちゃんとした見通しが立っていないなら問題ありですけど。

それにしても、この考え方は面白い。
「未来(目的)の為にするのではなく、過去(実績)の為にする。」

ま、私はこっちで行いかさせて頂きますけどね。
「未来(目的)の為に、過去(実績)を利用する。」


<ズレた答え>

こちらの質問に対してズレた答えをする。
大抵の場合、それは相手が、
そういった質問をするような人に対して伝えたい事が、
何よりも先立って湧いて来てしまうから。
特に前以って自分なりに色々考えていた事柄がそうなり易い。


<猫に牛乳>

猫に牛乳を与えると下痢をする恐れがある。
そんな事全然知りませんでした。
もし、捨て猫でも見つけて食べ物でも..
なんて事があったら真っ先に牛乳与えてたかも。

健康になって貰いたい為にやった事で、
不健康にしてしまってはどうしようもないわな。

#自分が知らない事は
#それに似通ったものを参考にして判断する
#未知なるものならそうするしかないが
#既に解明されてあるものについては
#解明されている情報を参照する必要がある
#
#安易な判断は物事が裏目に出る可能性を増す


<怨恨殺人>

何故、自分の人生を投げ打ってまで、
嫌いな人の人生を終わらせようとするのか..


<一長一短(大切な人)>

大切な人がいるというのは喜ばしい事だ。
しかし、失うとその後の人生に大きな影を落とす恐れがある。
いる方が良いのか、いない方が良いのか?


<アドバイス>

アドバイスとまではいかなくても、相手に対して言葉を投げ掛けた後、
その言葉は自分に言い聞かせる為に発したのではないかと思う事がある。

実際に自分が発した言葉の影響が一番大きいのは自分だ。
それが良い、そうするのが良いと考えた上で発しているのだから、
自分が一番理解しているし、納得している。
元々そう考えていて言ったのであれば、
再確認の機会となり、その考えの更なる強化になる。

自分が語るアドバイスは常に自分にも向いている。


<結局、自分のせい>

人に恵まれる運の良い人がいる。
しかし、運ではない人もいる。

自らが持つ良質なバイタリティによって、
良き人を惹き付け、また人を良き人へと導いてしまう。

自ら良き環境を生み出し、そこから良い影響を受ける。
自ら育てて収穫する。自給自足。


<自分がどう思われるかを気にしていると・・・>

人は相手の発言によって相手がどういう人なのか判断する。

しかし、自分の事よりも、
それ以外の様々な事について伝えようとするなら、
ある事に目を向けてもらう為、関心を持ってもらう為に、
極端な表現を用いたり、大げさに振舞ったり、
場合によって自分とは逆意見の擁護をしてみたりする必要が出てくる。

自分がどう思われるかを気にしていると、
何かを伝える為の表現が自由に出来なくなる。


<血液型性格判断から学ぶ>

擬似科学「血液型性格判断」の持つ1つの側面..

幼く何でも信じてしまう頃から触れている為に、
その判断に誘導されてしまう。
自分がそういう性格だと認識し、
近しい人もまた、そういう性格だと認識して接すれば、
その性格は強化されてしまう。

以上は血液型を用いなくても成立する。

相手の性格を変えるには、
自分が希望する性格による言動が相手に見られた際に、
それを指摘・強調してやる。

また、自分の性格を変えるには、
成りたい性格になったつもりの言動をすれば良い。
そうすれば自分はつもりでも、周囲の人にとってはそうではなく、
そういう人だという認識で接せられる。


<リンク>

物事について語られる際に用いられる言葉。
違った物事について共通して用いられる言葉。
共通する言葉によって関連付けられる物事と物事。
言葉によって関連付けられた物事同士は、
その共通項を軸にして比較され、共通点・相違点を見つけ出す事で、
さらに理解を深めたり、視野を広げたりする。


<絵本『だいじょうぶだいじょうぶ』>

「大丈夫」の持つ力を有効に発揮させる用い方は、
不安感を持つ相手にとって問題無いという事を伝える、
相手に安心してもらう為に用いる「大丈夫」。


<政治家の評価>

それがあなたにとって他よりも優先してやるべき事で、
また、そういう事をやる為に政治家になったのですね。
なるほど…


<バレると不味いから隠す>

問題は公にされて関係者が協力してあたる方が解決され易い。
ならば、バレても不味くないという環境を作れば良い。
問題を起こした人間を許せば良いという事だが、
物事には許す訳にはいかないものもある。
となれば出来る事は..
許すもの許さざるものの線引きを明確にする事で、
許されるもので隠されるものを減らす。


<注意に対する「でも」>

注意すると「でも…」と言い返してくるので困るという人がいる。
でも、「でも」と言い訳をしてくれるのは有り難い事なのだ。
「でも」と自分の正当性を述べて貰い、何故そうしたのか理由が分かれば、
根本的な改善に繋げて行く事が出来るのだから。


<ウリ>

何でもかんでも力を入れてやっていると、
本当に評価をして欲しい所を評価されず、
取り合えず誉めておけば良いという安易な誉め所を作ってしまう事になる。
だから、労力はウリの部分に集中して、他の部分はシンプルにやるのが良い。


<命題の裏>

真偽が一致していないので、
「AならばB」から「AでないならばBでない」を導き出す事は出来ない。


<何か面白い事ない?>

「何か面白い事ない?」
こんな質問をする人に面白い事を紹介するのは難しい。
面白い事なんて幾らでもあるのに、
それらを面白いと思わないという事だからだ。

人には欲があって、
受動的なものだと「色んな事を知りたい」
能動的なものだと「何でも自分の思い通りにしたい」
どちらも完全に達成される事は無いが、
自分の努力次第で達成度を上げられる。
こんなにも面白いゲームが他にあるだろうか。


<自分の得意分野で物事を捉える>

野球ファンは勝負事などを野球に置き換えて捉え、
どうするのが良いのかを導き出したりする。
勝負事であったり、チームで事に当たるという点で、
同様の要素を持つ為、参考にする事が出来るからだ。

より野球に対する理解が深ければ、
野球における勝つ為の戦略を熟知していれば、
それだけ有効な手段を見つけ出せる可能性が増す。

また、野球以外にも色々と好きで嵌っているものがあるなら、
それだけ参考材料が豊富という事になり、
多様な手段を見つけ出せる可能性が増す。


<プレーパーク>

プレーパークとは..
遊具が無く、土や木材など自然のものを使って自由に遊ぶ公園。
泥んこ遊びしたり、木登りしたり、木で何かを作ったり、焚き火をしたり。
プレーリーダーと呼ばれる大人が常に注意を配り、一緒に遊ぶ。
地域の住民によって運営される遊び場。

御上に期待だけして自分では何もせず、
御上が期待に応えてくれなければ裏切られたと言う人も居れば、
プレーパークに参加する人達のように、
自分達で何とかしようと行動する人も居ると。


<断定とプラシーボ効果>

自分自身ではそれほど確信を持っていなくとも、
断定的に語る事でそれを信用する人にとってのプラシーボ効果は高まる。
また、批判的に物事を見る人にとっては、よりそれを促進させる事が出来て、
穿った見方をする人にとっては、重箱の隅を突付くように詳細に検証してもらえる。


<忠誠>

忠誠を誓うのは、
自分にとって得があるから。


<楽しむ事の功罪>

思うように行かない事に楽しさを見出すようになってしまうと、
イライラしたり出来なくなる。


<侮蔑発言>

侮蔑発言は良くない。
発言者が損をするから。
そして、相手に得をさせてしまうから。

侮蔑発言をする事で相手にレッテルを貼ってしまう。
そのレッテルによって、発言者自身が相手の印象を不当に悪くする。
そうなれば、相手の存在そのものに不満を持ち不快に感じるようになる。
気分を害したり、気持ちが萎えたり。

言われた側は発言者が損をする事で、相対的に得をする。
さらに、貼られたレッテルに遮られ、心の内を見透かされ難くなる。


<人の振り見て我が振り助長>

ある種のドラマや映画は、
自分ならどうするか考えながら見ると為になるという。

自分ならどうするかなんてのは、
あらゆる場面で考える事が出来る。

その人はそうしたけど自分ならこうする。
理由も含めて考える。

相手と自分の差異を認識する。
自分の価値観を再認する。

強化された価値観は行動に反映される。


<文句>

自分の思い通りでない事を相手の責任とし、全てを丸投げする行為。
自分からは何もせず他者に丸投げでは、
物事が上手く運ぶ訳はなく、また文句を言う事になる。
そう、文句を言い始めるとキリがなくなるのだ。
結局、思い通りに行かない事ばかりで不満の多い人生を送る事となる。


<探さなければ見つからない>

偶然が重なって凄く好みなアーティストに出くわした。
世界には、聴けば一発で好きになるアーティストがまだまだ居ると思う。
出会う為には聴き手もアーティストも、お互いに出来る限り手を伸ばさないと。
仲介者の存在も大きい。良いものは他の人に勧めよう。

好みのものがないと嘆く前に、
もっと探せば見つかるかもしれない。


<何もかもが楽しくない>

それなりの生活が出来ているにも関わらず、
「何もかもが楽しくない」と言う人がいる..

楽しいというのは対象に要素として含まれているものではなく、
対象に対する捉え方や関わり方によって生まれて来るもの。
楽しいかどうかは自分の努力次第。

本当に「何もかもが楽しくない」と言うのなら、
それは自身のせい。


<否定>

自分の事について他者に否定されたからといって、
何かが変わる訳ではない。
否定されるだけなら、なんら実害はない。


<やらない>

「出来るけどやらない」と「出来ないからやらない」
どっちも個性やけど..
後者の方が魅力的に感じるのは何でかな?


<他者の影響力>

他者は自分のフィルターを通してしか存在し得ない。
他者の影響力はそのフィルター次第でどうにでもなる。

それで余計なダメージを受けずに済むのなら、
フィルターを調節して相手を卑小な者としてもかまわない。


<厚意>

「してあげる」と言われたら、有り難く享受すべき。
遠慮したり気を使って断るのは、相手の厚意を無にする行為だから。

そして、して貰えば借りが出来る。
そうなれば、今度は自分が、相手に対して何かをさせて貰い易くなる。


<分ってもらう為の努力>

人は往々にして、自分が不得手な事や出来ない事を
他者に分ってもらう為の努力を怠る。


<倫理教育の落とし穴>

言葉を筆頭に、あれは悪いこれは悪いと、
良くない事例を教え込まれる。

しかし言葉は、話の流れやその時々の状況、話し手、
同時になされる非言語表現などによって意味合いが変わる。

倫理教育によって変に意識を高められてしまうと、
非倫理的な意図を持たずに表現されたものであっても、
その言葉や様式だけで悪いものと判断し、
相手が本来伝えたいものを蔑ろにしてしまう。
さらには言葉一つで、不快になったり、
相手に対して批判的になってしまう。


<斬新な案>

他者から斬新な案を引き出したいのならまずは、
始めの段階で提示された軽い案を取り入れてやってみる事だ。


<願掛けグッズの効果>

それ自体には何の効力もない。
しかし、それが何の為のものであるかという事が影響力を生み出す。
それを見る事でそれに付与された言葉が喚起される。
繰り返し為される言葉の喚起は、言葉が表すものに対する意識を高める。
結果、願いが叶うよう心掛けるようになり、成就する可能性を高める。


<沈んだ気持ち>

沈んだ気持ちを、
何らかの手段をもって早々に立ち直らせるというのは、
実はあまり良くない事なのかもしれない。


<死んだら哀しむ人がいるうちは死なへん>

「死んだら哀しむ人がいるうちは死なへん」
ふざけた会話の中、自殺についての話になり、
そこで相手からのちょっとしたマジコメント。
カエシは当然「そんなもん端からおらんやろっ」でしたけど(笑

「歳をとったからって哀しむ人がいなくなる訳じゃないから、
そんな事言うてるといつまでも死ねへんやん。」
ってのも浮かんでた。

そしてその日の夜、気が付いた。
『死んでも誰も哀しまないぐらい、満ち足りた人生にしなければならない』
って決心の現れともとれるなぁって。


<少し危険な遊び>

子供に対して少し危険な作業や遊びをする事を許す。
料理や日曜大工、それにパルクールごっこ。

そうすれば、親は子供に注意を向けざるを得なくなる。
細かな所にも目が行き、子供に対する理解も深まる。

子供も、どうやれば上手くやれるのか考えたり、
達成する事の喜びを知ったり、少し痛い思いをしたり。


<ライフワーク>

人生において、メインで関わっている事がやりがいのある事なら、
モチベーションはなかなか下がる事はない。
時間や労力を一番裂いている事だからといって、
それがメインとなる訳ではない。
どれがメインかは、自分の中での重要度で決まる。
メインとなるライフワークを大切に生活していく事が、
モチベーションの維持、しいては心の健康維持に繋がる。

人は皆、理想の世界像を持っている。
ならば、それを実現すべく自分に出来る事をしていけば良いし、
また、より効果の高い事が出来るよう自身のレベルアップに努めれば良い。


<テンション>

「落ち込む」とか「へこむ」とか「ウツだ」という表現を、
「テンションが下がる」に言い替えると余計な自己暗示的二次被害を免れる。
かなぁと。


<人間観察>

観察と言うからには感情的になる事無く、
冷静に対象を見て分析する。

なら、常に人間観察をすれば、
イライラさせられたり、心を傷付けられたりしなくて済むと。


<当人同士が良ければ、それで構わない。>

当人同士が全く問題無いのに第三者が納得行かないという、
自分と直接関係無い事柄で一々憤慨するのは疲れるだけだ。
何故なら、当人同士がそれで良いと思っているから、
よっぽどの事が無い限り行動を変える事はないから。

当人同士が良ければ、それで構わない。
それで構わないが出来ればこうして欲しいと思う事があるのなら、
思うようにならなくても良いという前提で働き掛ければ良い。


<対象喪失>

あって当たり前、いて当たり前だと思っているから、
それを失うと意気消沈してしまう。

そう思わなければ、失ってもさほど意気消沈しなくて済み、
さらには、今あってくれる事、今いてくれる事に、
喜びを感じ感謝の気持ちを持つ事も出来る。


<固定概念をぶっ潰せ!>

人に受け入れてもらうには、
既存の価値観に添った事をするか、
既存の価値観に喧嘩を売るか。

既存の価値観に喧嘩を売って、
結果的に受け入れてもらおうとする行為は、
無価値だと思われてしまっている事を、
再評価してもらう事であり、
また、評価者の視野を広げる事でもある。


<下手に出てればいい気になりやがって!>

なるほど、下手に出る事で相手に隙を作らせる..
自らチャンスを作る方法かぁ。
そして逆に相手が下手に出て来たら、
十分に警戒するべしと。


<悪魔の手口>

友好的に接する事で得をする事が分かれば、
相手は自然に友好的に接してくれるようになる。

友好的な態度によって、
相手がより友好的になってくれる事が分かれば、
自らより友好的な態度をとるようになる。

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