猿夢 / ダーラ・キャロル

今いるのが夢かどうかは割とすぐわかる。
痛みを感じにくいだとか色彩が無いだとか諸説あるが、彼にとっての判断材料は手足が自由に動かせるかどうかだった。
ダーラは館の談話室に座らされていた。ふと違和感に気づき右手を上げた。上がったのは左手だった。「夢ね」と小さく呟く。こんなことは一度や二度ではない。慣れっこだ。
このように自身が気づき、それなりの縛りはあれど自由に動ける夢を
覚醒夢と呼ぶ。

   ◆    ◆    ◆

さてどうしたものか。夢の中は彼の得意分野だ。おそらくパターンさえ読めば好きに動ける。
かといって今日は館にきた初日だった。まだメイド達と接触が少なすぎる。無闇に誰かの夢に潜るのはこちらにとってもリスキーだった。
「夢殺。」
よく通る声。大人のような子供のようなどちらともつかない声で呼ばれる。右に首を振ると左側にmasterがいた。
「?用か何。かたんあ」
ダーラがたずねるとニコニコ笑うmasterは言った。
「紹介をしていなかったからね。ひどく不親切だった。」
気づけばぐるりとメイド達が十一人、ダーラを囲んでいた。
「これから10日間、共に過ごす仲間たちだよ。まずは撲殺。」
そう言うやいなや、後頭部に鈍い衝撃が来た。
「!!……ッ」
思わず目を白黒させ、吹き出た鼻血を拭いた。振り向くと真後ろにいた金髪は口をへの字につむり緑色の目でこちらをじとりと睨んでいた。
ああそう、そういう夢。じゃあ打開策を早めに探さなきゃね。
「窒息殺。」
前のめりになったダーラの首にひゅるりと赤い縄がまわる。とっさに立ち上がり左手を縄と首の間に差し込んだ。
女の子の力とはいえ油断をしたらおそらく落ちる。夢の中で気絶したことはないのでモロに食らうのは避けた方が良さそうだ。
「防がれちゃったか。じゃあ一緒にやっておあげ、刺殺。」
目の前から現れた少女が握っている鉄が腹部を刺した。一瞬の冷たさと痛みによる熱さ。声にならない悲鳴を喉で殺す。
まずい、まずいまずいまずい。二人の東洋人は静かに微笑みながら殺意を向けてくる。
脚を振り上げてナイフを持った少女を蹴飛ばした後、振り向きざまに首を絞める少女に頭突きをする。
体術はあまり慣れてないのでこういうのは本当に勘弁してほしい。なんなんだこいつらは。
masterは楽しそうに笑っている。
「。…よだんいたしが何」
傷口をおさえて低い声で睨み付ける。対照的に楽しそうなmasterはけらけらと答えた。
「言ったじゃないか、紹介しているんだよ。次、毒殺。」
すると腕に小さな痛みが走った。目線を下げると、左腕ににぬいぐるみを抱えた子供がぐるりと見上げてきた。右手には、注射器が握られている。
「っ…を何、今」
言い終わらぬうちに膝が抜けた。体に力が入らない。それどころか全身が熱い。体から火が出そうだ。息を切らせ床に手をつくダーラにmasterの声が降りかかる。
「圧殺。」
崩れ落ちたダーラに上から重力が落ちてきた。体丸ごとを潰しそうな鉄槌にさらに力がかかる。そう遠くない場所に、その持ち主と思しき女性が品よく笑っていた。
「立ち上がれるかい?」
歯を見せて笑うmasterを這いつくばりながら睨む。左右が反転するどころではなくまともに自由がきかない。殺意を向けられ続ける夢。どうにか、どうにかして起きないと。
「溺殺。」
非情な声が聞こえた瞬間、床が抜けた。
てっきり圧力に負けたのかと思ったが違う。仕掛けだ。ぱくりと割れた床を見ながら大きな貯水庫に落っこちた。
水中なのに歌が聞こえる。聞いたこともない歌。滅びの歌。


「大丈夫?汗びっしょりよ。」
柔らかい声で我に帰った。
「あれ、オレ……。」
「早く起きて身支度して頂戴ね。館ではやることが沢山あるんだから。」
にこりと笑うと執事は出て行った。
部屋を出ると途端に陽が差し込み、廊下を駆け回る小さなけものとそれを追う何人かが目に入った。

それから数日、彼女らと過ごした。
楽しいことばかりで飽きなくて、満足に食べることができて、ゆっくりと柔らかい寝床で寝られる。片割れこそいないがあたたかい日々だった。

最終日前夜、起きたら殺しあわなければならないことは理解していた。
眠れなくて扉を開け、ミルクでも飲もうかと談話室に降りた。左手で牛乳瓶をとりマグに注ぎ、椅子に座る。マグを口元に近づけてぐい、と持ち上げる。
マグを下ろすと目の前にmasterがいた。
「。で、んな」
口を抑える。左手からマグが落ちた。
「終わっていないよ、まだ半分しか紹介していないじゃないか。」
「!…目日9うもてっだ!たれ知らなとこのらついそ」
「いいや、君は知らない。彼女らの殺しを見ていない。そうだろう?土殺。」
立ち上がろうとするダーラの足は動かなかった。いつのまにかアイビーが固く絡みつき、一歩も動けなくなっていた。うなだれ揺れる隻眼が目に入る。
「!…っ度程のこ」と叫びながら食い込んで血が出そうな足を力任せに動かす。
「いけないね……凍殺。」
冷気とともに足が一切動かなくなった。空気中の水分を凍らせているのよ、と何日か前に教えてもらったっけ。身をもって体感することになるとはさすがに思っていなかった。
「爆殺。」
目の端に赤い瞳が光るのが見えた。翻る軍服が避けきれないスピードで手榴弾を叩き込んでくる。そもそも足が動かず避けられない。
爆風にやられて仰向けに吹き飛んだダーラは背中を打ち咳き込んだ。
おそらく右腕を火傷している。傷を見る時間を与えてもらえるかはわからないが。
「人外殺。」
いつもの機嫌のいい声ではない、けれど聞き覚えのある唸りが聞こえる。だが何も襲ってこなかった。彼女は目をチカチカと光らせ、牙を剥いていた。そして、「…人外殺、行かないの?」というmasterの声にびくりと反応した。
「…うーっ…」
彼女は小さく吠えてぷいと顔を背けた。助かる。こっちはそこそこ満身創痍だ。
目を覚まさないと。たぶん悪夢の続きだ。どうにかして、どうにかして意識を戻さないと。
「嫌なら仕方がないね。では、」
「自殺。」
言われた直後、覗き込む彼女はすでに目の前にいた。花嫁のような真っ白なベールが光を透かしている。
そういえばしっかり目を見て話したことなかったなぁと呆然と考える。
はくはく、と小さくてほんのり赤い口が動くのが見える。そのまま、言われた通りに、舌を、

「…きて、起きて。」
「起きてダーラ!起きて!!」

がばりと跳ね起きた。息が荒い。背中にびっしょりと汗をかいていた。
「真っ青ですわ、大丈夫かしら?」
夢で見た通りのベールが揺れる。
「あ、ああ…。平気、ありがと…。」
視線が定まらないまま返事をした。それを聞くと、自殺の子はにこりと笑ってこう言った。

「次は、逃げないでくださいませね。」
「?え」

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