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ナナシスのEP5.0良かったねって話


なんか非公開にしてたからまた公開に戻しときます


ここから先はほとんどナナシスEP5.0の内容がバッチリ含まれてます。未読の方は今すぐ厚手のハンカチを用意してエピソードを読もう!!!!

ナナシスが入ってない方は今すぐインストールしよう!!!!!




インストールしような!!!!ほんとに良いから!!!!マジで!!!!

あとエピソード未読なら見ないでね!!!!!



あとこれはただの実のない話だから綿密な考察とかそういうの期待して開いた方も今すぐブラウザバックだ!!!








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EP5.0が終わりましたね...私はいまだにストーリーから食らったショックが抜けません。ちょくちょく思い出して限界オタクくんを発症しちゃってます。

とりあえずこんなやばい精神状態のうちに読みきった当時の感情の備忘録じゃないけどなんか形にして残しておきたいなって思ったんで書き残します。



大人とはなんなのか


今回この大人という単語は何度も出されていましたね。


「努力しているのに私の思うようにならない、なれない」

「ならせめてそんな現実を合理的に受け止められる大人になりたい」


EP5.0が始まった頃の星柿マノンがなりたいと思った大人の姿はこういうものだったのでしょう。

ところで振り返ってみるとナナシスという作品はこれまで何度も大人という存在を少女たちと対立する存在として描いてきました。

EP0.7では大きくなりすぎたセブンスシスターズを金の卵を産む鶏として囲う人々、そして彼女たち自身ではなく"今はやりの"セブンスシスターズが好きな大衆として。

EP4.0では天神ネロを裏で支えたセブンスの呪いをかけた人々として。

EPKARAKURIでは二人の少女を一つのKARAKURIという商品にして成功を収めようと試みた人々として。

マノンが成りたいと願ったのはこのような大人の姿そのままとまでは行かないまでも、現実を直視するという点では彼らと近いものがあったのでしょう。


ですがナナシスでは常にもう一つの大人の姿が描かれていました。

EP5.0での姫宮ソルもとい若王子ルイ、EP0.7でのサダモトさん、EP4.0での演出監督、EP1.0での前代支配人。

そして不完全でこそあれコニーさんと支配人。

彼らはどういった存在だったのでしょうか?それは言うまでもなく彼女たちが心から憧れられるような存在だったのでしょう。

彼らは自分のやりたいこと、今回のエピソードに沿うように言い換えるなら心のなかで決して溶けないものを燃やし続けて動いていました。

「キミはなにがしたい?」

既に何回も出てきたこの言葉は今回のエピソードでもマノンの目を覚まさせるという重要な一言になりました。しかし考えてみると支配人をはじめとするかっこいい大人たちは問われるまでもなく自分のしたいなにかにまっすぐでした。

ところで気がついたのですけどプロローグでもこの二つの大人について言及しているんですよね。

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このときの支配人はセブンスシスターズのようなアイドルを作ることができない現実を見すぎるがあまり、未来の可能性を信じることができていませんでした。

前から散々言ってるけどずるくないですか?????プロローグに大量の伏線撒いてエピソードが進むたびに違って見えるの!!!!!


ともかくマノンはどうしようもないほど苦しい今を受け入れるのではなく、その先の未来を見て進むということを選択したのです。かっこいい大人たちのように。

さて、次は少し話が前後する気はしますけどマノンが大人になろうと思った原因、心の内についてちょっと見てみましょうか。



自分を知るということのつらさ


なんか妙に気取った見出しになって自分でも納得行かないけど許して。

今回マノンをこのような状況にさせたのは彼女自身が自分と向き合ったことが原因でした。しかしこれは多くの人が経験したであろう非常にありきたりなことです。

物分りが良くなってしまったがゆえに抱いていた将来の夢というものをかなえることがどれほど難しいのか知ってしまうこと。

そしてそれをかなえるにあたうほど自分が優秀であるかいなかを知り、認めなければならないこと。

マノンは自分自身に才能がないということを知ってしまいました。そして同時に才能を持つとはどういうことかも理解してしまったのです。ナナスタの誇る新進気鋭のアイドルとなったカホルは彼女にとってまさに自身にはない才能というものを持っているように見える人物だったでしょう。

そして芸能科に在籍することで自分と同じようにアイドルを目指す人間がどのようになったのか、そんな冷酷でありきたりなことも生々しく知ってしまいます。

そんな状況の中では彼女はせめて大人になり現実という今を受け入れようとしました。

ですが彼女のその大人になりたいという気持ちに抗うように心のなかにあるアイドルになりたいという情熱は消えてくれません。

自らの境遇はおろか心の内さえ思いのままにならない状況は彼女をどれほど深く、つらく追い詰めたことでしょうか。

そして最終話ではみんなの前で自分の心の内を告白していました。私はその鬼気迫った嘆きとも言える内容と声に怖さすら感じました。

山岡ゆりさんマジパネェっす...ええ、マジで...ほんとにマノンの心の内がそのまま出てきているんだってくらい迫力があって怖かったです。


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ここ本当に激しい感情からのどうしようもなさみたいなのが溢れててやばかったです...本当に...

次はマノンを再起させるきっかけになったシラユキとの関係について振り返ってみましょう。



憧れる、憧れられるということ


ナナシスという作品では憧れというのもよく描かれるものであるように思います。

そもそも憧れというのはその人のようになりたいということだけでなく、何かに突き進むための原動力のようなものでもあります。

そしてだれかに憧れられるということは当人に自身がどのような存在であるかの再認識をさせてくれたり、今後どのような存在になりたいかということを改めて考えさせてくれるものです。

これらの点に関してはすでにロナやトモエのエピソードで語られています。

今回のエピソードではマノンの告白に対して、シラユキが星柿マノンというアイドルにどんな憧れを抱いて今まで成長してきたかということを伝えました。

マノンの自分がどれほどすごくないか、どうしたら良いかもうわからなくなりかけているという言葉に対してシラユキの「憧れの女の子をこれ以上馬鹿にするな」の一言はマノンの目を覚まさせるには十分な言葉だったでしょう。

だって自分のことをすごいアイドルとしてみてくれている人はずっと昔からこんなにもすぐそばにいたのですから。

そしてなによりそう言ってくれた人は自分にできなかった自分を信じるということができている自分の憧れる人だったのですから。


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ここ電車内で読み返したら涙出てきちゃってこらえきれず寝たフリしました。二度目なら泣かないでしょとか思ったのは大間違いでした。この一言に至るのは本当にズルで良くない。


さて、マノンとシラユキの二人は一旦ここまでにして次はシンジュ、ターシャの二人に目を向けましょう。

間違いなく長くなりそうなのでまたあした書きます。