宗教レポ

この記事は、mast19 Advent Calendar 2019の22日目の記事です。

21日目はTossyさんの記事『今日から始めるAfterEffects』でした。

すずきしえるです。つくば寒すぎです。標高高いのかな。最近はギアの3Dプリントばっかりしてます。高校数学と物理のありがたみを感じる。

今日は関係ない宗教について書きます。

クリスチャンの人と知り合った

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クリスチャンで研究者のKさんと知り合った。僕は親から宗教だけは入るなと言い聞かせられてたし、例のオウムやらISやらで「宗教やばいかも」と思ってた。それを聞いたらKさんももともと宗教とか知ったこっちゃないクチだったけど、友達に誘われて教会に行ってみて、そこからクリスチャンになったらしい。あと新興宗教の類とは一緒にされたくないらしい。

クリスチャン人口は世界一で、キリスト教だから歴史も長く、北斗神拳の歴史くらいある。そんなに長らく熱い宗教なら何かあるかも、と思った。教科書にも載ってるし。でも規模の実感が湧かなかった。

行ってみた

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ゴスペルライブに行ってみた。筑波は留学生も多く、何気にグローバル。それに伴ってキリスト教も盛んらしい。某建物が会場で、中に入ると老若男女国籍混交計70人以上の人たちがボーカルで牧師の人を筆頭に賛美歌を歌ってた。なんだか冴え渡る雰囲気だった。匂いも特有で、神話とかで神さまがつけてる草冠みたいなにおいがした。近くの人に挨拶してみるとおだやかに応えてくれた。なるほど不思議と思って周りと同じ動きをして聴いてた。Kさんは音響の係をしてた。

そのうち歌がひと段落ついたあと、静かにボーカルの人が神話を物語り出した。それに絡めて教えをゆっくり語りかけてた。みんな聖書を開いたりボーカルの人を見つめたりと真剣に聞いてた。熱量の現場を実感できた。帰った。

Kさんにキリスト教の思想を割とちゃんと教えてもらった。唯一神、罪、新約聖書、キリストは神と世俗の人々の中間の存在、など詳しくはググってね。その話の最後に世界観にグッときた。デフォルトで人は一番大切なもの(椅子の上)として我を置いている。それだと物事(丸)が雑然と自分を取り囲むようで快適じゃない。そこで信仰によってキリスト教(十字架)と我を挿げ替えるとあらゆる物事はそこに指向性を持つ、という世界観だった。

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所感

神はいるいないの問題じゃなくて、みんなの心の中にあるんだな。信じるものは救われるセカイを理解。

椅子に何置いてもいいと思った。神様だとおさまりがいいとは思う。ただ何も置かないのは落ち着かない。マンガだと「君のためなら死ねる」などのセリフがあるけど、特定の人を椅子に据えてると捉えられる。神、家族、恋人、仲間、未来、自由、平和、ビジョン、聖地、萌え、侘寂、死、コンピュータ、宇宙、般若心経、牛、土偶でも、好きに置けばいいんじゃないかな。

そう、空飛ぶスパゲッティ・モンスターでもね。

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これが言いたかった。





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