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縛りされ紋別

はじまりは3ヶ月前

ある日の夜高校の時の友人から電話が来ました。話を聞いてみると北海道にいこうというじゃありませんか。わたし自身2年前に北海道に行ったことがあるものの2泊3日とかで札幌ぐらいしか回ることはできませんでした。夏休みで時間があることもあり、いいじゃんと返すと、「1ヶ月」と返事が返ってきました。

1ヶ月??言葉に詰まってしまいこいつ正気かと。
どうやらリゾートバイトを1ヶ月しながらその間で北海道を観光しようという考えだったそうです。即答で「行くわ」というぐらいのメンタルがあったらいいんですがそんなものはなく、20分ぐらい悩んだ末行くことを決意。
まあでも友人は2ヶ月悩んだらしいので20分で決めた俺えらい。

ということで、どうせなら一次産業がしたい。交通費は欲しい。寮費は負担したくないというわがまま3セットで検索したら紋別市雄武町のホタテ漁がヒットしこれだと思い申し込みを開始。

そこからはトントン拍子で話が進み仲介業者を挟みながら連絡をして8月18日から9月18日まで仕事をさせてもらうことができました。

あれ、これやばいかも

飛行機やらを乗り継いで11時間ぐらいで紋別バスターミナルに到着。

さむい 8/17

迎えにきてくださったのは、これからお世話になる出戸漁業部の出戸清さんつまりは親方です。
そこでファーストコンタクトだったわけですがもう怖いのなんのって。黒塗りのランドクルーザーから降りてきたのは、小柄だけど威圧感があるタンクトップを着てサングラスをかけた70歳ぐらいのおじいさんでした。なんとなく菅元総理に似ているかんじの…

車に乗り込むも中は地獄。方言なのか、なまりなのか親方の言っていることの半分はわからない状態で唯一印象に残ったのが、
「お前たち家にシャワーはあっても湯船はないぞ。風呂掃除してる暇あったらこっちは働いて欲しいからな」
おっと、怖い。冗談かな。
さて1時間ぐらい話を聞かされついたのは雄武町。
読み方は「おうむ」だそうです。

暗いなか連れてこられたのは、寮みたいな感じのお家でどうやら他に三人住んでいるようで。恐る恐る中に入り出来るだけ物音を立てずに就寝しました。

午前4時半早速仕事は始まりました。最初の仕事は縄の解体や切断、結合などでした。いかにも漁師の裏の作業みたいだなーと思いながらやりました。

蝿が無数に集っている出戸漁業部の倉庫

次の仕事はホタテの養殖です。なんとなくではありますが、ホタテをもらえたりその場で食べたりを想像していたのですが、僕らが扱うのは稚貝と呼ばれるホタテの赤ちゃんでとても食べれるようなものではなく、マジかーって思いました。

稚貝、想像とは違い

基本的に仕事は教わらず、見て聞いて覚えろというスタンスっぽく、コミュ障には辛いなーと思いつつ頑張りました。その日は4時に仕事が終わりましたが冷静に考えると
ん?12時間ぐらい働いてるじゃんとヤバさを実感しました。

さらに家に帰ってシャワーを浴びてベットでゴロゴロしていると次の日の朝になっておりずっと仕事をしている感覚になりました。

こうして情報量の多い1日が終わり僕らは次なるミッションの食糧の確保へと動き出します。

金がないなら獲ればいい

紋別での生活に慣れ始めてきた頃に気づきます。北海道に来て袋麺とパンしか食べてないということに。

寮費はかかりませんが食事は自分達でということだったので朝はやっっすいパン二枚とジャム58円。昼夜はやっっすい袋麺125円でまわしており、だんだんと活力がなくなっていく感じが体から伝わってきました。

そんな時に倉庫で釣竿を発見。金がないなら獲ればいいということに気づき、ホームセンターで餌を買い海に投げ入れました。しかしやっぱり素人二人。うまく行くわけもなく初日はなんの成果もなく終わりました。

そこから仕事終わりは釣りをするという漁師がなにしてんねんという話ではありますが密かな楽しみになっていきました。

4日目ぐらいに遠くに投げ入れるのではなく岸壁沿いにちょっと垂らすとつれるということに気づき面白いぐらいに魚を釣ることができました。

サバ、カサゴ、ウグイ


臭かった

翌日ギャルっぽい女性に魚釣って食べましたと報告すると、

ウグイって鯉の仲間だし笑,ちょーウケる笑笑

いや笑いすぎでしょ、案外美味しかったですよと伝えるとかわいそうだと思ったのかバーベキューを開いてくれました。

終わりは突然に

さて前談は終わりました。ここからが本題です。結論から言うと、僕らは紋別での仕事を半月ほど早く切り上げて帰路につきました。それまでの過程に何があったのか、紋別で漁業をするということはどのようなことなのか、私主観ではありますが述べていこうと思います。

給料15万問題

仕事を始めて2週間ぐらい経ったある日の朝、親方が僕らを集めて

「お前らの給料は全部合わせて20万だからな、わかったか!」

と急に言ってきたではありませんか、僕らは全員キョトンとしてしまいました。理由としては、最初に聞いていた話と違うからです。

本来、1ヶ月で基本給20万、交通費5万の計25万の予定でした。
ってことは僕らの給料は15万ってこと??

2週間働いてきてそれまで1回も休みはなく、朝5時出勤の夕方4時終わり。休憩はお昼ご飯の15分といった労基ブチギレな仕事のスタイル。それでも頑張ってこれたのは25万というお金があってこそでした。

さらに親方は続けて言います。

「これからある休み全て働くと言ったものは、プラス5万してやる」

なんか一気に殺意が湧きました

そもそも僕らはリゾートバイトとして働きにきており、休みがないのは考えられませんでした。

これは…思い、まずは派遣会社の株式会社ヒューマニックに電話をしました。
「給料体系が聞いていた話と違うんですけど…」

「もう出戸漁業との直接雇用になっているので私たちはどうすることもできません…」

でたでた、これが派遣会社の闇かと思いながら、もうラスボスを倒しに行くしかないのか

その日の夜親方の家に殴り込みにいきました。

「聞いてた給料と違うのですが!」

「頑張った分だけ給料はやるぞ、ただお前たちの頑張ったと俺の頑張ったは天と地ほどの差があるからな、金が欲しいならその分働け。フン( ˘꒳˘)」

フン( ˘꒳˘)じゃねーよ、何時間働かせれば気が済むんだこいつは

「もし文句があるなら時給制でもいいんだぞ、1日3時間しか使わないけど笑笑」

いやいや悪魔かよ

1時間ぐらいの格闘の末、僕らは月25万と日曜の休みを獲得しました。ただ、親方はまともにこちらの話を聞こうともせず焼酎を片手に怒鳴り散らす地獄みたいな時間になりました。

船酔いは地獄

親方の家に殴り込みに行ってボコボコにされた次の日、いつも通り朝5時集合で船に乗り作業をしていたのですが波が激しい。
僕は乗組員に
「今日って波強いんですか?」

「隣の船は今日は出てないみたいだなHAHAHA」

HAHAHAじゃないって。昨日のこともあり気分が最悪な中、仕事が始まりました。

はきそう

どのぐらいキツいかと言うと、インフルにかかった状態で3時間スクワットをする感じですかね、他のバイトの人はこのまま海に飛び込んだ方がいいとか、死んだ方がましとか、まぁそのくらいきつかったです。

何を言いたいかというと、僕らの心はポッキリ折れてしまったということです。

ゲロを吐きながら3時間作業をし終えた時親方が近寄ってきて

「齋藤、気分悪いか??」
「ゲロ吐きそうです!」 
「お前この波で気分悪いはやっていけんぞ」

いやー、ちょっとは褒めろよ。
後で聞いたらもう1人の方も同じことを言われたそうで、僕らの気持ちはもう決まっていました。

まあそんなこんなで、親方と船酔いのダブルパンチを喰らいまして辞めるに至ったわけです。

まあ今考えると後半月続けても、得るものは少ないと思いますしいい判断だったのかなと思います。

なんだかんだ紋別で得たことは多く、これから社会に出ても「まあ紋別の方がな....」というメンタルでやっていけると思います。

総じて有意義な漁業バイトになりました。


おまけ、人生初のヒッチハイク

さて、紋別を出る事になったのですが、バスで旭川まで3500円…ちょっと嫌だな

2人で話し合い、どうせなら元々漁業でやるはずだった経験を超える体験をしたいということに

答えはヒッチハイクでした。

コンビニで赤いペンとデカい紙を買って初ヒッチハイクをはじめました。

最初は1番人が集まりそうなイオンで行いましたが全然ダメ。
店内に入って紙を掲げながら歩くもヒットせず。

そんなものかと思い、次は旭川に続く国道沿いのコンビニで行いました。

ちなみにその日見つけないと野宿確定で北海道の夏の夜は15℃ぐらいと全然我慢出来ないぐらい寒いので、意地でも見つけようという状態でした。

開始から5分。旭川ナンバーのクロのベンツがスーッと駐車してきて出てきたのは50代ぐらいの優しそうな夫婦。キタコレと思い、話しかけに行きました。多分キョドってすげー変な人だったと思います。

結果はNG

どうやら医療関係者っぽくコロナが怖いからと断られました。

ですが5分後奇跡は起こります。
さっきのベンツがスーっと引き返してきて、「やっぱり乗っていきな!」

ああ神様はいるんだな、嫌なことがあった後にはいいこともあるんだよな。噛み締めた瞬間でした。かみだけに....

快く乗せていただけた夫婦のおかげで無事旭川まで到達。僕らのヒッチハイクは声をかけて5分で成功しました。

ただで旭川に行けて嬉しそうなサイダー


終わりに

旭川に到達したことによってこの夏の旅第1章は終わりになります。実は旭川、札幌編が第2章、東京編が最終章になります。この紋別が第1章になるほど、その後の経験も濃ゆいものになりました。大学4年の最後の夏休みに結構な冒険をすることができ良かったです。終わり

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