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俺の人生をゆっくりが実況してる

 ある日、ゆっくりが頭のなかに住み着きだした。
 ゆっくり霊夢とゆっくり魔理沙の二匹で一対らしい。精神科の先生が言うには、最近この手の症例は増えてきているらしい。たしかに、十年ほど前まではゆっくりなんて一部のオタクっぽい連中が持て囃すゆっくり実況とかゆ虐みたいなものとかが大半を占めていて、要するにアングラの顔という感じだった訳だが、ここ最近では話が変わってきた。つまり、ゆっくり解説というのが幅を利かしてきたお陰で、割とライトな層の人間もゆっくりに親しみを覚えてきて、どこかの大学ではその履修制度だかの解説にゆっくりを起用しているらしい。そんな訳で、御多分に洩れずこの俺も世間のニュースの解説をこのゆっくり達に任せることにした。大学がそうしていることにも拘らず、アカデミアより知的に劣る俺がそうしない選択肢は馬鹿というものだ。
 先生が言うには、「そいつらの言うことをアテにしちゃいけない、そいつらは君の妄想でしかないんだから、頼ってばかりでいるといずれ現実と妄想の区別がつかなくなる」思うに、それは杞憂だ。現に何度か試してみてもこいつらの話を真に受けて間違えたことはない。あくまでも推測の域を出ないけども、俺は毎日寝るときにニュースのラジオを垂れ流す習慣があるから、私が寝ている間にこのゆっくり達が学習して纏めてくれているんだと思う。それに、なにか間違いがあれば友達に正してもらえばいい。ほら、噂をすれば今日も来た。

 ——水口さんの家は狭い。彼は四畳半のアパートに住んでいて、普段はパソコンに齧り付いてTwitterを見るかYouTubeでゆっくり解説を垂れ流していて、趣味はレスバ。アニメは昔は見ていたが、最近はもう見なくなっちゃって、自分がなんのオタクだったのかも忘れてしまった……らしい。全部彼が自分の口で説明してくれたことだ。そうは言っても別にこれ自体が病理的であるとはとても思えない。実際僕の方も似たようなもので、仕事で疲れて家に帰ったらTwitterを見てYouTubeを見て寝るのが日課になっている。家に帰っても話す彼女一人いないから、夕飯は配信者の雑談を見ながらいっしょに食べた気にして済ましている。あぁ、違う。それで、話を戻そう。彼は先週「ゆっくりが頭に住み着きだした」という相談をしてきてうちの精神科に罹ることになった。勿論譫妄の内容には個人差がある訳だけど、彼には「そんなに珍しいことじゃない、安静にしていれば良くなる、こないだの患者さんも暫くしないうちに社会復帰まで成功した」と伝えておいた。見たところ統合失調症の陽性症状あたりだと思うが、そうは言っても彼はまだ若い。私立の大学に通っていて、アパートに一人暮らしらしいが、仕送りもしてもらっていると聞いた。二週間に一度ぐらいのスパンで通院してもらって、薬を飲んでもらい、あとは経過観察次第といったところではあるが、心配はない。話を聞いてみる限りは、案外世間知らずって訳でもないようだし、将来有望な青年だ……。

 「お邪魔しま〜す」呼び鈴も鳴らさずに彼は入ってきた。水口が彼の存在に気付いたのは、もうずっとこんなのが続いて慣れっこで、足音の特徴からなんとなく分かるからだ。そう、水口には親友がいる(勿論妄想上の、という訳ではなくて実在の……)。秋山隼人だ。水口と秋山君とは十年来の友人関係にある。元々小学校と中学校が同じだったんだが、どちらも東京の大学に進学するときこっちへ越してきて、ばったりサークルで再会し、今では断りもせずに家を出入りする仲という訳だ。
 「はぁ〜、だからノックぐらいしろよ」
 「いや実家かよwてか家勝手に上がられてるんだからそのノリじゃだめだろw」
 こんな具合のやり取りが日常茶飯事で、ほとんど毎朝繰り返している。水口の方は、(これが女の子ならな……)とラノベ主人公みたいなことをその度に考えている訳だが、実際のところ秋山の方も都合は同じで、毎度(これが女の子ならな……)と考えていたのであった。
 ざっくり以上の話を要約しよう。つまるところ、二人は女の子に飢えているのだ。二人の所属しているサークル——アニメ批評研究会なんていう名前の擦れたサークル——には、アニメ声をしている変な格好の女(多分オタサーの姫の座を狙っているんだと思う)と、ここなら俺の居場所を見つけられるんだと思って入り浸っている変な顔の男(多分オタサーの姫に本気で恋しているんだと思う)と、いつも河出文庫を片手にウェルベックとか読んでる変な眼鏡の男(事あるごとに「俺は一般入試の滑り止めでここに来たんだ」と主張してくる)ぐらいしかおらず、とてもじゃないが青春を送れるという感じではない。そういう訳で、水口と秋山は読書会という名目で他大学のサークルに参加して、あわよくばそこの女の子と懇ろな関係を築こうという計画を企てた。なので、朝っぱらから秋山が水口の家に邪魔しにきたのは、日課という以上にその読書会の打ち合わせという事情があるのだ。
 「けどさぁ、普段本なんて読まないんだよね、ぶっちゃけ解説動画とかでよくねって思っちゃって」
 「いや結局そうなんだよなぁ、自分で読んでもよく分かんないし、それなら自分よりちゃんとしてそうな人の分かりやすい解説聞いた方がいいっていうか」
 「マジでそれな」
 そう水口は適当に相槌を打ってから、すこし間を開けて「あ〜……あのさ」と切り出した。
 「なに?」
 「やっぱフローベール?って女の子に人気なんかな」

 そういう訳で、フローベール『ボヴァリー夫人』を解説していくぜ。(お願いするわ)『ボヴァリー夫人』は1856年にギュスターヴ・フローベールというフランスの小説家が執筆した作品だ。主人公エマ・ボヴァリーは田舎に住む凡庸な主婦、自由で鮮やかな生活に憧れた結果道を外れてしまい、最終的に服毒自殺に至る……というのが粗筋だ。フローベールはこの作品に四年もの歳月を費やし、洗練された自由間接話法と呼ばれる文体によって心情を見事に書き上げた。(自由間接話法ってなにかしら)自由間接話法っていうのは、自由に語り手が視点を変えながら語りながらも、特定の人物の思考が地の文に入り込んでくるようなものを指すぜ。フローベールが確立させたやり方は、後にプルーストやカフカに影響を与えたんだ。(へぇ〜!すごいわね!誰のことか知らないけど)なんだ、プルーストもカフカも知らないのか?まったく霊夢はしょうがない奴だぜ……。(以下略)

 結局、水口が『ボヴァリー夫人』を最後まで読むことはなく読書会は始まった。読書会に参加している面々は、それぞれ開き癖が付いていたり所々シミのついた文庫本と、加えてメモ用のコピー用紙だとかメモ帳だとかを机に置いて、時刻になるまで文学の話をしていた。(フローベルがサァ)(蓮實がサァ)が、当の水口はまったくそれに興味を示せなかった。一応女の子を釣るために付け焼き刃の知識をウィキペディアで仕入れはしたが、それはほんの表層のものでしかない訳だから、その程度で話に割って入れる訳がない。だけど、中には優しい子もいる。
 「隣座ってもいい?」
 無理、なんて答えられる訳がない。いいに決まってる。熊手のように均等に揃えられた前髪、筋の通った鼻。きりと上向きに刷かれたような目尻が水口の性癖に刺さってどきりとした。
 「あ……はい」と、つい敬語で答えてしまう。例のオタサーの姫と話すのとは訳が違うぞ、と思った。
 「あはは、か〜わい〜」とその子は笑って、「お名前なんて言うんですか?」と訊ねてきた。
 「えっと……水口です、お姉さんの方は……」
 「お姉さんてw七瀬結衣です!よろしくね〜」
 水口は脳内のファイルを手当たり次第に掻っ攫った。そう、たとえばこないだゆっくり魔理沙が教えてくれたあれがある……。
 「えっと……俺も!フローベール、好きで……」
 「いやそうなんですよね〜!エンマに共感しちゃうところもあるんですけど、だからこそ共感したところで崩されちゃうのが好きで、すごく揺さぶられません!?」
 「なんか精神病っぽいところがあるんですよね、エマ……」ウィキペディアに載っていた文章をうろ覚えでなぞり、まったく箸にも棒にもかからないことを言ってみる。内容の話なんて、粗筋しか知らないんだから話せる訳がない。
 が、「精神病……どっちかって言うと神経症っぽいって話じゃなかったっけ」と彼女。
 動揺して、「うぇっ」と情けない声を出す。妙に高く大きくなってしまい、水口の声だけが部室に響いたかのように思えた。
 「あ!いやでもでも!精神病も神経症もあんま変わんないよね〜、てか私が間違ってたかもしれん!」と彼女は擁護する。そのお陰で辛うじて場の空気が保たれた感がある。
 「あ、言い間違えちゃって……」と下手な笑みを浮かべながら、水口は彼女に目を合わせられないでいる。彼女はなんとか場を取り繕おうと努力してくれた訳だが、彼にはこの場をなんとか取り持ってこの子に接近していくという努力は選択できない。とりあえずは、この場から逃げ出してはやく読書会が始まってくれれば俺に目線を向けられることもないだろうに、ということで頭がいっぱいになっていて、時間を確認するフリをして携帯を取り出した。読書会が始まるのは17時からで、水口が携帯を見たときにちょうど時計が回って、鐘の音が聞こえた。

 それで、読書会の方は案外なんとかなった。
 読書会と言っても、全員で回し読みしながら「ここの意味は恐らくこういうことで〜」と意見を発表するだけだから、それだけなら初めて読むだけでもなんとか頭を回転させてそれらしいことを言うことで、「ちょっと頭が足りないとは思うが真面目にやっていない訳ではない奴」を演じて乗り切れた。それと、途中で例の文体についての含蓄を披露して彼らの注意を引こうともしたが、所詮真面目に勉強していれば知っていることでしかないので、「あぁうん、そうだね、それで……?」と読書会の主催に一蹴されてしまい、むしろ恥をかくだけで終わった。読書会の後で、勇気を出して例の七瀬さんに話しかけて、(LINEは壊れちゃったらしいので)Twitterだけ教えてもらった。名前は絵文字一文字で、フォロー数80/フォロワー数200のアニメアイコン。家に帰ってからメディア欄を漁ってみたけど自撮りは投稿していないらしく、読書会で俺と話したことについての言及を見当たらなかったし、(一応こっちもアカウントを教えたはずなのに)フォローを飛ばしてもフォローが返ってこなかった。だから、その日の夜はシコって寝た。普段寝る前に聞いているラジオの声もなんとなく煩わしく思えたので、耳舐め音声を聞いたまま寝落ちすることにして。ずっとイヤホンをしてたせいで、朝起きてからすこし耳が痛かった。「お兄ちゃんはがんばってるよ♡」

 読書会の日は金曜日だった。だから次の日は土曜日で、だからバイトがあるんだが、バイトは夕方からだからそれまで幾らか時間があって、水口は朝方からぼうっと昔いた彼女のことを考えていた。それというのも、昨日読んだ『ボヴァリー夫人』が妙に頭に残っていたからだ……。高校時代、水口は千葉に住んでいた。だから、高校時代の彼の元カノも必然的に千葉県住みだったということになる。というか、同じ学年の、違うクラスの女の子だった。彼女も、ずっと東京に出たがっていた。それは別に、例のボヴァリー夫人のように単なる高望みでしかない、と唾棄されてしまうほど簡単な話ではなくて、どこから話せばいいのか分からないが、さしあたってはこんなところから始めてみよう。彼女は、いつも長袖を着ていて体育の授業もずっとジャージを羽織っていた。
 そう、リストカットしていたからだ。
 けれども、彼女自身がそうしたくてそうしていた訳じゃない。俺自身も付き合いたてのときは勘違いしていたが、事の真相は、付き合って暫くしてから彼女の口から聞いた。彼女の腕の切り傷は、彼女の両親が付けていたものだ、と。それを聞いて、点と点が繋がった。彼女がいつも寝不足で授業中寝てるのは夜中彼女の母親が連れてきた間男の相手をさせられているからで、彼女の足がいつも痣だらけなのはその男に殴られているからで、そしてリストカットは母親がそうしたくなったときの代役として腕を使わされていたからだ。母親の延長としての娘。オナホールとしての娘。道具としての人間。だから、彼女が東京に出たがっていたのはその地獄から逃げ出すためで、彼女が東京に出たがっていたのはこのシステムを終わらしたかったからに違いなかった。
 彼女の父親は単身赴任していて、その勤め先は三菱電機だと聞いた。俺は別にどこの会社が偉いとかはよく知らないが、名前を聞いたことがあるってことは偉いんだろうということぐらいは分かった。だから、間男はいても金にそこまで不自由はない。彼女の母親も、怪しまれないようにブランド物だとかは大体は間男に金を出させていたらしかった。「二人でこんな片田舎から逃げ出そう、俺たちはこれからの人間なんだ、小さめのアパートを借りて、猫を飼って、ベタだけど、休日には映画を見ようよ……」高三の秋に、二人で同じ東京の大学を受けることにした。はっきり言って成績は足りなかったが、なんとか受験までに範囲を終わらせて臨んだ。が、落ちた。だけど、俺が落ちたのは、正直言ってそこまで悔しいと思わなかったし、どうでもいいことだと思う。問題は彼女の方で、千葉に留まり続ける限りはずっとこの地獄が続く訳だし、浪人するにしたって簡単じゃない。受験が全部終わって卒業式を迎えたあと、二人でもう一年頑張って絶対に一緒に暮らそうと約束してたんだった。
 それから彼女が自殺するまでにはそうかからなかった。彼女の自殺を知ったのは、「【閲覧注意】女子高生が電車に飛び降り自殺」という見出しでTwitterに自殺配信の録画が流れてきたときで、その当時彼女は厳密には女子高生ではなかった訳だが、一目見て動画の女の子が彼女であることは分かった。彼女の母親に言って葬式に出ようとしたり、せめて墓の場所だけ教えてもらおうと言ったが、諸々は却下されてしまった。
 そういう訳で、俺は一人で東京に来てしまったのだ。もっとも、秋山の方も一浪していたみたいだが……。

 例のゆっくりは未だに俺の人生を実況(解説?)し続けている。ゆっくりが頭の中に住み着き出したのは東京に引っ越してきてからのことだ。最初は疲れが原因の、ほんの幻覚にすぎないと思っていたが、最近はある種の延長を伴った実在なのだとしか考えられない。ほら、現に……。(なによ)(おいおい、迷惑扱いしないでくれよ)(大体あんたが寂しそうにしてるのがいけないんじゃない)黙ってくれよ。俺は何処に行けばいいんだよ。一人にしてくれよ。一人にしないでほしいよ。浪人したって、別に良い大学なんかじゃないんだ。雨の日には、頭だって痛くなるし、耳鳴りもするんだ……。彼女が自殺してから、学部入試を迎えるまではなんとか踏ん張り続けたが、それも終わってしまったいま、何を思って頑張ればいいのか分からない。俺だけ生き残って、そして大学に行って就職したとして、それが何になるんだ?彼女はどこに行った?俺はどうすればいい。俺は、彼女と踊るために生まれてきたんだ。大学も就職も、最後に彼女とダンスを踊ってエンディングを迎えるためにあったのに、そうじゃないなら何の意味もない。何も嬉しくないんだ。TwitterもYouTubeも、大学も、広まらない人間関係も、自分のことも好きじゃない。窓に貼り付いてる蛞蝓は、「この四畳半がお前の限界なんだよ」と言いたげで、雨のなか外へ向かっていった。
 文字盤は一秒おきに淡白なリズムを刻みながら、彼の人生を溶かしていった。忙しない雨音が、水口を急かしている。

 バイト先に向かう前に部室にすこし顔を出すことにした。居酒屋のバイトだから、夕方になるまでは手持ち無沙汰で、それに人肌恋しいのも事実だ。朝から変なことを思い出してしまった。秋山は同じアパートの違う階に住んでいるんだが、Steamを見る限り今はゲームで忙しいらしい。もっとも、こんな日は家に引きこもってギャルゲーでもするのが健全というものだ。
 部室に入って、「……おはよ」と声をかけてきたのは、例の変な眼鏡の男——樋口だ。一応サークルの幹事長ということになっている。
 「お〜、おはよ、今日はなに見んの?」
 「今日は化物語かな……てかお前いっつも不定期参加だな……」と樋口は愚痴を洩らす。が、全部員が不定期参加なのでそんなことを言ったってしょうがない。それに、誰が来ようが来まいが見るものは勝手に見るのだ。
 「あ〜、なんか映画やるらしいね、面白いの?」
 「面白いっていうか、まぁ履修しとくべきだよね」
 「ふーん」
 樋口は慣れた手付きでFire TVを操作する。他の部員が見えないが、まぁ二人で何も流さずに部室にいるのも少々気まずいので妥当な選択だと水口は思った。

 水口の目には、戦場ヶ原ひたぎのエピソードと例の元カノのこととが重なって見えて、涙が溜まっていた。阿良々木暦になれなかったのが俺なんだ、と水口は本気で過ぎったが、こんなアニメにマジになるのは馬鹿馬鹿しいと思って、知らないふりをした。
 すると、水口の方には目もくれず、樋口が「なんか馬鹿みたいじゃないですか?」と口に出した。
 水口も表面上は同調して「あぁ〜、まぁそうだよね」と言い、彼がこちらを見ないうちに涙を袖で拭こうとした。が、その動作は筒抜けだった。樋口の鼻で笑う声が聞こえたのだ。「こんなので泣いてるんですか?」
 「あっ、いや……まぁ元カノとちょっと重なっちゃってさ、なんか色々思い出しちゃったんだよね」
 「なんかその元カノ最悪じゃないですか?w戦場ヶ原ひたぎとかw」と、樋口はケラケラと笑いだした。
 それで、強烈な不快感を覚えた。寝起きの悪い朝方のことをまだ引き摺っていたのだろうか……。
 「あ〜、いやなんか違くて。こういう女って、現実にいたら別に恵まれてるのになんか「病む〜」みたいなノリになって、ニディガみたいなのやってサブカルですって顔してるじゃないですか、大体w」と樋口は続ける。なにも間違っていないと思った。
 「それダメじゃないです?wはっきり言って意味なくて、もっと実効的な努力を積むべきなんですよね」と彼はさらに重ねて、そして水口もそれを正論だと思った。
 「というか、そういう事態の根本は自分が招いたことなんですよね、アニメアイコンで冷笑みたいなこと繰り返してたら資本とか容姿みたいなある種保証された権威を拠り所にするぐらいしか出来なくなりませんか?」
 樋口は、いつしか「女子高生ゆっくり解説動画」になっていた。
 水口には彼の言っている言葉の意味は分かっていたが、殴らざるを得なかった。「うるっせぇんだよ!それと戦場ヶ原のことは関係ねぇだろうが!関係ねぇことガチャガチャ言ってんじゃねぇぞ馬鹿が!」
 樋口は殴られた影響で部室の端にある本棚にぶつかって、上から落ちてきた本に潰されそうになった。頭から血が出ているが、なにが起こったのかよくわからないという様子でじっと水口の方を見ている。
 「あの子は!そんなつもりでやってたんじゃねぇよ……お前は間違ってないかもしんないけど……違ったんだよ……話が違うだろ……」と水口は言って、そして俯きながら「戦場ヶ原は本当に——
 そこまで言ったところで、水口は頭蓋を叩き割られて死んだ。彼が俯いてた間に、樋口が本棚から重たいものを取り出して叩きつけたのだ。樋口は、自分の滑り止めの大学に一浪して入ってきた年だけ重ねた馬鹿に意味不明なアニメの講釈を垂らされて、意味不明に血を流す羽目になったことに対して憤りを覚えていた。けれども、どちらも血を流すほど殴ろうとした訳でも、殺そうとした訳でもなかった。実際、水口の頭蓋が叩き割られたのは不幸にも角の部分に思いの外力が加わってしまったからに他ならない。

 雨はまだ降り続いている……。部室の床は二人の血でない混ぜになっていて、人が入ってきたらもう言い逃れはできまいという感じだった。樋口が呆気に取られてぼうっと水口の方を眺めていると、彼のぱくりと割れた頭蓋から二匹のゆっくりが這いずって出てきた。二匹は「ゆんや〜!ゆっくりできにゃいのぜ〜!」と言いながら、部室のなかを蛞蝓のようにゆったりと這いずって、二匹から漏れ出た餡子はそこら中に広がり脳髄と混じっていった。樋口は小腹が空いていたので一匹頂こうと掴み取って、口の中に放り込もうとした。「だめなのじぇ〜!人間しゃんのなかにゆっくりは二匹までなのじぇ!」

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