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会いたかった人

2023年8月1日
夏休みを使って東京へやって来た。
国会見学や会いたかった方たちに会うためだ。
今日は、東京最後の日。

『麹町中学校内申書事件』を10歳の時に知り、それ以来ずっとお会いしたいと思っていた 世田谷区長の保坂展人さんに会いに行った。

『麹町中学校内申書事件』は、保坂展人さんが中学在学中の政治活動を教師が内申書に記載したことにより、複数の高校を受験したが不合格となった。学習権、思想・良心の自由を侵害されたとし東京都と千代田区に対し国家損害賠償請求を求めた裁判。
保坂さんは当時16歳。
この裁判はおそらく負けるだろうと思っていたけれど、何のために1回2時間で5回10時間も証言したかというと、後の世の人つまりぼくのような少年が興味を持った時に伝えられるためにやったという。しかし、最高裁判所はその記録を全部破棄したというのだ。破棄されたのが分かったのは4年前。
なんともったいない。

ぼくの政治への関心は、第二回目の「大阪都構想」がきっかけだった。当時、10歳だった。そこから色んな事へと関心は広がり、学校でも政治的発言をすることが増え随分と怒られた。

保坂さんは小学校6年生の時の自由研究が「日本社会党の衰退」、なりたい職業は「政治家」。小学校の時は、政治的発言は褒められていたという。
「日本社会党の衰退」の研究はとても興味深い。そのころに会いたかったと思うほど。
土井たか子 と 小沢一郎の初の選挙の時だ。
新聞を切り抜き、議席がこんなに減ったというのを書いたそうだ。

中学校では、政治的な会話を同級生ともしていたという。進学校だったこともあるが、麹町中学校のすぐ近くには国会議事堂があるので竹下元総理の娘さんがいたり、保坂さんの二つ下には岸田文雄総理大臣がいたり、そういう環境が政治を身近にしていた。
うらやましい環境だ。
実は、ぼくも吉村洋文大阪府知事の息子さんと同じ小学校だった。
それが大阪都構想の時に政治への関心を深めたきっかけだ。

保坂さんとぼくは55歳の歳の差で、
保坂さんが中学2年生の時、社会科の授業で古墳時代などに時間をかけすぎて授業時間が足りなくなり、1941年以降は教科書を読んでまとめてくるようにと言われ授業がなかった事に抗議をしたという。
「歴史の授業のやり方がおかしいと思います。逆です。今、どういう時代にいるかを僕たちは知るために過去を振り返っている。つまり、近現代 今あることから全部教えないで教科書読んでこいは無いのではないですか!」
先生は真っ赤になって「生意気言うな。わかった。お前が授業しろ。」と言い、保坂さんは、本当に授業をしたと言うのです。
ぼくは近現代史が好きだ。
小学校の時に楽しみにしていた第二次世界大戦の授業を飛ばされて、教師に「授業をしてください。」とお願いをしたが、叶わなかったことがある。
55年前から同じ授業形態なのかと驚いた。

本当は、この日ジャーナリストの友達と一緒に区長へ行く予定だった。
彼も中学生の時に「麹町中学校内申書事件」のことを取材している。
待ち合わせの10分前に電話があって、寝坊をしたから行けないと言われた。

電話で教えてもらった通りに、秘書課へ行き名前をいうと応接間へ通された。
ぼくの緊張はそこから始まった。
実は、思いや聞きたかったことをほとんど言葉にできなかった。
どんな状態においても未来に生きる人たちのことを考え行動できる、保坂さんの生き方に圧倒され続けたのだ。

「ベルトコンベアから外れた時に嬉しかった。非常にいい時期を過ごした。」と言った。ご両親が信じてくれていたことが強みになったと。
裁判にかかる多額の費用もカンパで集まっていたというからすごい。

ぼくは、誰が引いたかわからないレールに、当たり前に乗っている事に気付かされた。そして、レールから外れるのは怖いと思った。
悔しさが込み上げた。


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