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「アイヌ民族」と「アイヌの人々」②

図書館へ行く。
1階フロアの教科書センター、小学校から高等学校までの教科書を置いているエリアで、まずは蔵書検索PCを使い「中学社会地理」で検索をかける。教育出版と日本文教出版は貸し出し中。教科書シェア数No.1の東京書籍の地理の教科書は置かれていた。
本棚に行き、東京書籍 地理の教科書を手に取り北海道のページを開く。

新しい社会 地理 東京書籍

「アイヌ民族」の文字を見つける。
検定日が気になる。

東京書籍ー令和2年3月24日 検定済

え?
帝国書院と同じ日だ。
ということは、東京書籍は膨大な量の資料を文部科学省に提出し「アイヌ民族」に書き直したということなのだろうか?気になる。

東京書籍に電話をした。
学校で使っている教科書は帝国書院だということ。
北海道の勉強の中でアイヌ民族のことを学んでいて、帝国書院の教科書には「アイヌの人々」のみの表記で、「アイヌ民族」と一度も書かれていないことに疑問を持ったこと。
図書館で、東京書籍 地理の教科書をみると、「アイヌ民族」「アイヌの人々」と、両方表記されていたこと。
帝国書院と東京書籍が同じ教科書検定日だったこと。
2019年に国会でアイヌの人々を「先住民族」と明記する法律が成立した後に、「アイヌの人々」から「アイヌ民族」に書き換えをされたのか、以前から「アイヌ民族」と表記していたのか教えて欲しいとお願いした。

東京書籍回答
*アイヌ民族支援法 に関わる記述の変更ではありません。教科書を発行する上で1番大事になる、文部科学省が出す学習内容の方針、学習指導要領には「アイヌ民族」「アイヌの人々」という両方の表記があります。アイヌ民族を総称する場合は「アイヌ民族」という言い方をしますし、文化・生活に関わる記述の場合には「アイヌの人々」という使い分けをしています。厳密な使い分けではなく、文章として意味が伝わりやすいということで書き分けています。「アイヌの人々」と書いた場合に全て置き換えれればいいのですが、文章として違和感が出てきてしまう。人々の生活・文化ではなく、その民族の総称とした場合に「人々」という言い方が抽象的になってしまうので、その場合に「アイヌ民族」という総称として表記をしています。
(*アイヌ民族支援法・・・アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策に関する法律の通称。施行と同時に1997年に制定されたアイヌ文化振興法が廃止)

ぼくーアイヌ民族というのは、アイヌの人々プラス文化も合わせての総称が「アイヌ民族」ということですね。

東京書籍ーそうですね。民族としての総称として、そういった表記をしているということです。

ぼくー「アイヌ民族」は総称。文化・生活に関わる記述の場合には「アイヌの人々」と表記するというのは、東京書籍さんの見解ということですか?

東京書籍ー弊社の中での表記の考えかたです。厳密なものではないということは申し上げておきますけども、文脈に応じて書き分けているということです。意味として使い分けているということではなくて、その前後の文脈でより伝わりやすい表記を用いているという意図になります。

ぼくーぼくは「アイヌ民族」と表記しないとおかしいのではないかと思ったので、帝国書院に問い合わせをしたんですね。回答で、毎年アイヌ民族セミナーに参加し、「アイヌ民族」「アイヌの人々」のどちらが適切か質問した際に、民族というまとまりよりも、日本の先住民族として所属していたというところで、民族として切り離さずに考えて欲しいと言うことで「人々」という呼び方を推奨していると回答をいただいたと言っていました。

東京書籍ーはい。そのセミナーについては弊社も参加しておりまして、その質問と回答については承知しています。アイヌの方々といっても多様な考え方を持っていらっしゃる。セミナーに参加されたアイヌの方ご自身の考えで表明されたと言うことで、必ずしもアイヌの方々の総意ではないと弊社では受け止めて、学習指導要領にある両方の表記を先ほど申し上げたような書き分けをするというのが弊社の考え方になります。

ぼくーアイヌ民族支援法ができる以前の学習指導要領か、それともできた後の学習指導要領なのか、どちらになりますか?

東京書籍ー現行の指導要領が平成29年(2017)になりまして、アイヌ民族支援法がほぼ同じ時期の2019年4月に国会で成立をしていますので、影響がないとははっきり断言ができませんけれどもほぼ同じ時期ということは、逆にこの法律の制定を前提としていない表記ではないかと思います。

ぼくー2007年に国連で採択された先住民の権利に関する国際連合宣言で国際的にアイヌは先住民族だと認められたのですが、この時点で表記を「アイヌの人々」から「アイヌ民族」に変えたということですか?

東京書籍ー国連の決議もそうですし、1997年に*アイヌ文化振興法かつての*北海道旧土人保護法に変わって制定されました。‘97年以降の20年、30年の間にアイヌの方々を取り巻く法律、環境が変わっているのは事実です。そういった中で教科書の表記として何が適切かというのを改定のつど検討して慎重に選んできています。
(*アイヌ文化振興法・・・アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律の通称。施行と同時に1899年に制定された北海道旧土人保護法、1934年に制定された旭川市旧土人保護地処分法が廃止)
(*北海道旧土人保護法・・・旧土人とはアイヌ民族の呼称。政府の植民策がすすみ北海道への移住者が増えたことによりアイヌ民族の生活が困窮。1899年アイヌ民族を保護するという名目で先住していたアイヌ民族を日本国民に同化させることを目的に制定。しかし、アイヌ民族の文化・伝統を軽視したものであった)

ぼくー東京書籍さんは、この教科書の以前から「アイヌ民族」と「アイヌの人々」と分けて両方を書かれていたということですか?

東京書籍ー平成9年(1997)の記述では「先住民族である」「アイヌの人たち」という言い方をしております。平成18年(2006)は、「アイヌの人たち」「アイヌの人たちの民族文化」という表記をしており、平成24年(2012)は、同じく「アイヌの人たち」という表記で「先住民族です」ということも書かれてあります。

ぼくー平成9年、18年、24年には「アイヌ民族」とは表記していないということですか?

東京書籍ー調べた限りではそのような表記ではなく、前後で修飾をする「先住民族」であるとか「民族の文化がある」など、そういった書き方をしています。
平成28年については「アイヌの人たち」という表記と共に、「アイヌ民族は先住民族です」という記述もございますので「アイヌ民族」という表記もございました。

ぼくー「アイヌの人々」から「アイヌ民族」に教科書を書き換えるにあたって、教科書認定されるのに膨大な資料が必要になるのですか?

東京書籍ー一般論で申しますと、教科書検定というのは4年に一度、今ちょうど新しい教科書の検定が終わって、合格して令和7年度、2025年来年の4月から新しい教科書が使われることになります、いわゆる検定済み教科書というのは文部科学省が検定をした教科書ですので発行者が自由に記述内容を変更することはできないのです。
例えば《新しく国が独立しました》ですとか、《内閣総理大臣が代わりました》といったように社会の情勢は4年の間に変わりますので、発行者が学習するものにとって訂正が望ましい内容のものは訂正申請というものを文部科学省に出します。それが認められると訂正が初めて認められ教科書として次年度の教科書が訂正できるという制度となっています。記述を変更するのに膨大な資料が必要かというのは、ある意味そういった側面もあります。事象として、ご質問いただいている「アイヌ民族」と「アイヌの人々」というのは、決定的にそうでなければいけないという理由がなければ、文部科学省としても、どういう理由でそれを認めるかという判断ができないはずなので、発行者の方にどういう意図で変更するのかという資料を求められることはございます。国として文科省として、この表記でなければいけないという強い縛りがあるわけでもなく、発行者として表記が「アイヌ民族」と「アイヌの人々」のどちらかでないと明白な誤りであるということであれば認められる可能性が高いです。例えば、法律が制定されて、日本国はアイヌの方々の民族の総称を「アイヌ民族」とするというような定義づけがあったという客観的な事情の変更があったということがあれば、各教科書発行者が表記を変更しようというような動きや、訂正申請をするということも考えられるかなと思います。そういった状況でない中で表記を変えるとなると資料の提出が求められる可能性が高いということなのかなと思います。

ぼくー最後にもう一度お聞きします。学習指導要領では「アイヌの人々」と書かれているのか「アイヌ民族」と書かれているのか、それともどちらも書かれているのか教えてください。

東京書籍ー両方です。


電話を切った後、帝国書院からの回答をもう一度読む。
《「アイヌ民族」ではなく「アイヌの人々」と表記してくださいという教科書認定基準になっていたか》と質問した際に、《学習指導要領の中で「アイヌの人々」という呼ばれ方をしていたので倣った》と返事をもらっている。
確かに、学習指導要領には「アイヌの人々」と書かれているが、「アイヌ民族」とも書かれていたことが分かった。現に東京書籍が8年前の平成28年の教科書以降「アイヌ民族」と表記をしている。では、なぜ帝国書院の教科書では「アイヌ民族」と表記をしなかったのだろうか。教科書の記述のみに従って「アイヌの人々」と覚える生徒がいてもいいということなのだろうか?
教科書会社によって「アイヌ民族」「アイヌの人々」と分かれるのは、国が正確に、共通認識として「アイヌ民族」と定めていないからなのではないだろうか?
教育とは人をつくるものだ。教育の中で人権教育は何より大切である。
《新しく国が独立しました》《内閣総理大臣が代わりました》と同じくらい《先住民として認められました》は重いことだ。
帝国書院が教科書セミナーで質問した時に《民族というまとまりよりも、日本の先住民族として所属していたというところで、民族として切り離さずに考えて欲しいと言うことで「人々」という呼び方を推奨している》と回答したのは誰だろう?
この問題は、教科書会社より国の問題だと感じた。
ぼくは、アイヌ民族セミナーを主催している内閣官房アイヌ総合政策室に電話をする。


「アイヌ民族」と「アイヌの人々」③と続く
※問い合わせ回答があり次第、noteにアップします。

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