ohne Titel
恋愛は一人ではできない、一人の努力ではなし得ないところがおもしろいところであり、難しいところである。
人生がゲームに例えられ楽しんだ者勝ちだというのなら、恋愛はプレーヤーが二人になって初めて開かれるイベントのようなものだろうか。
当然二人でプレーするのだからミッションはより難解で敵は強くなる。それをチームプレーで乗り越えるのだ。
今日彼女と電話をして彼女の発言から我々の関係がいい状態でないことに私は気がついた。なぜ私はそんなに大事なことをそれまで気が付かなかったのだろうか。私は逆に二人の関係性が成熟していい感じになってきていると勘違いをしていた。何が原因で亀裂が生じているのだろうか。今彼女は私から気持ちが離れていっているかもしれないことを危惧している。危惧していると書いたのはそれが彼女の本意ではないからである。彼女は私に対する好きの気持ちが残っているともいう。私に関しては彼女への気持ちは付き合い始めた当初から変わっておらず、現在も彼女のことを好いている。愛しているともいいたい。
好きと愛は違う。私のこの気持ちが愛に到達しているかは定かでは無いし愛を過大評価している訳でもない。しかし私は彼女のことが好きで大切にしたい楽しませたいし喜んでいる顔がみたい。これらを動機に彼女に対して自分が持っている最大限をしてきたつもりである。ただ愛が双方からなされる行為である以上、私がここで単独の愛"的”なものを振り翳してもそれは一人相撲だ。にも関わらず愛は与えるものでるからして、ほしがってはいけないものでもある。この恋愛のジレンマは私一人では解決できない。愛を測る尺度、ベクトル、匙加減、恋愛を成立させる上でこの全てを見誤ってはいけないのに、私は色々と間違ってきたのかもしれないと自信が持てなくなっている。
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