2019年 怒りの日記
椎名林檎は好きな人やものが多すぎて見放されてしまいそうらしい。全然違うけどちょっとわかる。
わたしは人や物を好きになるスピードがすごく早くて吸収力がダイソンっていうかスポンジっていうかそんな感じで。それは人が好きだって言っていたものに対しても同じわけで。音楽にしても本にしても、普通に勧められた時はわたしの吸収力は喜ばれるけど、ただ好きだって言ってたものをわたしが真似して(そんなつもりもないけど)好きになった時、人によってはすごく嫌がられる。真似されたとか、聖域を侵された、みたいな気分になるんだと思う。
パクリとオマージュの違いは何か、みたいな話と似てるか?ちょっと違う?
人を通じて知りました、それから好きになりました。こんな風にわたしが好きなものは人を通じて知ったものばっかりだけど、それを影響されやすいだとか、浅いとか、真似ばっかりしてるとか思われるのはちょっと癪なんだよな。じゃあ、どのくらいの期間好きだったら自分のものにしていいとかある?そもそも自分のものっていう感覚が傲慢じゃない?自分を特別だと思ってんじゃないよ。
100%自力で集められる情報なんてほとんどないと思う。人の話を聞いたり、直接勧められたりする以外にも、雑誌、Apple MusicとかSpotifyが作ってくれたプレイリスト、ラジオ、その他メディアからたくさんの情報が入ってくる。選択してるのは自分でも、数ある中から選んで共有してくれている人達がいるわけじゃん?便利な世の中だけに簡単にいろんな情報が簡単に入ってくる。勘違いしそうになる。
いいなー!と思う意見があったら同調するし、新しいものの考え方だと思って取り入れる、それの何が悪いんだろう?自分の意見がないわけじゃなくて、それをいいなと思う、という自分の意見。好み。趣味。そういうことじゃないの?
自分の好きなものを好きになられたくらいで、自分の人間性まで侵されたような気になるなんて逆に浅いですね、と思う。本当は自分がないんじゃないですか?好きなもので固めてるだけなんじゃないですか?中身はありますか?変わったもの、人とかぶらないものを好きになって満足していませんか?
確かに好きなものは自分を作るし、それらから自分の意見が作られることはある。でももっといろんな要因とか要素が絡み合ってグチャグチャになって自分は出来上がってる。何か真似されたと思うことがあってもそれくらいで誰かがわたしになり得ることもないし。わたしはわたしだし。お前はお前だ。生きてるだけでオンリーワンじゃん。
November 19th, 2019 12:30pm
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