3.11 BLUE CANDLE NIGHT ※時差投稿です
3月11日、東日本大震災で甚大な被害を受けた気仙沼市。
地元でもない、縁もゆかりもないこの街に引っ越してきて半年が経ちました。
気仙沼市でお世話になっている方が企画している「ともしびプロジェクト」。
東日本大地震の月命日である11日に毎月キャンドルを灯す活動を続けてきた「ともしびプロジェクト」が、今年初めて開催した「3.11 BLUE CANDLE NIGHT」に参加して、初めて生の声を聞いた気がした。
「3.11 BLUE CANDLE NIGHT」とは、青いキャンドルを世界中で灯すイベント。
わたしも一緒にプロジェクトに入らせていただいて、プロジェクトの概念を作るところから関わらせていただきました。
ここで感じたものを少しでも伝えたいと思い、noteを書くことにしました。
3月11日が近づくにつれ、鈍感な私ですら気仙沼市という土地に異様な雰囲気を感じていました。
なんとなく、街全体が落ち着かないような、そんな雰囲気。
異様さもありつつ、県外からの来訪者も増えて、賑やかな時間でもありました。
そんな中で迎えた3月11日。
正直、わたしにとっては、気仙沼にいなかったらスルーしてしまう日常の中の1日。
フワッとした気持ちでイベントに参加していた。
14時46分。
黙祷の合図がなる。
なんだか、急に引き戻される感覚だった。
震災の時のイメージが自分の中に入ってきた。
(※15:40あたりで黙祷のサイレンが入ります。良かったら聞いてみて欲しいです。)
サイレンが鳴り終わる頃、どこからか嗚咽が聞こえてきた。
黙祷のサイレンが鳴り止んで目を開けると、たくさんのおとなたちが、涙を流しながら、互いを支え合っていました。
ああ、私はなんて無力なんだろう。
何も知らない。この人たちにかける言葉が見つからない。
自然と抱擁が生まれる。
「帰ってきてくれてありがとう、ありがとう。」
そんな言葉をかけ合う人たちを見て、胸が熱くなった。
この後、藤源寺の住職・佐藤良規さんの震災の時のお話しを聞かせていただきました。
震災の時、津波に飲まれかけて4tトラックの上で急死に一生を得た佐藤良規さん。
およそ2時間半。4tトラックの屋根の上で第7波まで津波をやり過ごした。そしてその後一か八か水位の下がった地面に飛び降り九死に一生を得た。そのトラックの屋根の上にいる間ずっとこれは本当に生きて家に帰ることはできないんじゃないかそう思わざるを得なかった。幸運にも、生きて帰ることができた。歩くことも話すことも人に会うことも布団に入ることもごはんを食べることも生きてそれが出来るってことはすごいことだ。本当にすごいことだ。
良規さんは、自身の体験をお話ししてくださった後に、こんな言葉を贈ってくれました。
「魂は生きたがっている。魂が喜ぶことをしよう。」
つい忘れてしまいがちなんだけれど、命ほど大事なものはない。
その尊さを、ここに存在する奇跡をつい忘れてしまう。忘れちゃうんだよなあ。
命というものと対峙した時、わたしは息ができなくなる。
ついさっきまで一緒にいたのに、次の瞬間には会えなくなる人が大勢いたという事実。
10年経っても尚、震災で生まれた心の傷は消えない。
何がこのひとたちの心を癒すのか?
わからない。ただただ、自分の無力さを感じることしかできない。
結局のところ答えは出なかったけど、ここで感じたことを忘れてはいけないし、月並みだけど、亡くなった方の分まで、強く生きていきたい。
たくさんのものを受け取った3月11日。
また来年も、この場所で青いキャンドルを灯します。
※半年前に途中までかいて、なんとなく上げれなくてずっと下書きしてた内容です。途中なので文章めちゃ荒いですが、当時の感覚のまま上げたいのでこのまま出しちゃいます。